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趣味が光に変るとき。

今日は「M3 2017 春」という音楽やボイスドラマ等のCDを売るイベントに行ってきた。「同人イベント」というやつだ。

今回はスタッフも不足していたと聞いて、前日の手伝いをした。二回の往復料金も安いモノではない。体調もよくなくて、あまり元気はなかったかもしれないけれど、懐かしい……というか、よくあっていたメンツに会えたのは嬉しい気持ちもした。

M3では一万円ぐらい使った。それでも知り合いや友人のサークルのもの、それからちょっとお会いしたかった人達に会うので精一杯だ。もっと予算があればどんどん買ったのだけれど・・・・・・貧乏が恨めしい。一万円。節約すれば一週間暮らせる金額だけれど、後悔はしていない。

作曲の系

M3にいって驚くのは、その「作曲をする人達の多さ」だ。音楽を作って、音楽を売ることをこれほど多くの人達が行っているのだと思うと、それだけでぞわぁっとするような感慨が湧いてくる。

企業ブースもずいぶん賑わっていた。毎回でているバグパイプ奏者の方がいてその方の演奏を聴くのが楽しみなのだ。今回はAI作曲やVRに関する展示も出ていて、すごく面白かった。変な話だけど、音楽関係のプロダクションの先端性は、売りに来るイベントよりも、こういう場のほうが強く感じる。

友達はみんな優しかった。思いやりのあり方はそれぞれ違ったけれど、気を遣ってくれているのがわかる。「生きろ」と言われたり、CDをもらったり、形はいろいろだけれど、クリエイションの根本は憎しみと優しさだとつくづく思ったりしたし、自分のことを気にかけてくれる人がいることは単純に嬉しかった。

ところで、先日ある人とTwitterで同人音楽はオワコンかというような話をした。僕はオワコン、まではいかないはずだと熱弁したけれど、社会全体で同人音楽に対する期待値は下がっているのではないかという疑念はあった。

同人音楽は2007から10年ぐらいにかけて、めちゃくちゃ注目された時期があった。

切っ掛けは初音ミクと東方のギガヒットだった。

ただ、この二つがヒットした理由も動機もヒットしたことの意味もヒットさせた人達も、何もかもがいまだによくわからないままだ。開発した会社の思惑とも、ニコニコ動画の運営母体も、当時盛んにネットに動画を揚げていた人達も、なんでヒットしたのかはよくわからなかったと思う。例えば『ユリイカ』で初音ミクの特集が組まれたときの違和感。東方で儲けられるといった言説に対する不思議さ。そういうことについて考えるまもなく、なんとなくミクは「殿堂」にあがって商業的欲望の対象になり、東方はオワコン化したように思われている(僕はいまでも東方が好きです)。


同人音楽が続き、続いているのはM3が祝祭であり、祝祭に投じられる趣味だからだ。

話題は変る。

東日本大震災で被災した地域にライブがあるという。被災者たちが副業で運営しているものがいくつか。それもやっぱり運営が厳しく、代表は何度も変っているそうだ。そうしたライブハウスはそれでも人々の、つまり地域と趣味の二つの「つながり」があり、その時間をいとおしむ人達によって、音楽を趣味としない人達にも憩いを与えている、と聞く。

ただの趣味に見えることの多くは、多数の複雑な文化的諸条件によってかろうじて成立していることだ。同人イベントは世界中にあるけれど、この形のイベントはCDを買い集めたいとか、ネットで知っている人に会いたいとか、そもそもこの規模の人達を集めて安全にものごとを処理できる会場があるとか、開催している人達が優秀とか、その条件が成立するための複雑さは想像もできないぐらいの偶然に支えられている。

だから、ある人が漠然と行っている趣味が、文化―すなわち人の営み―の中で特別な意味をもってしまうことがある。BL文化は女性たちによる女性達のための文化的創出活動だし(裁縫や織物などとは異なる)、大人向けアニメーションなんて考えられないという世界もある。

ただの趣味が副業と言われるようになったとしても、その趣味は世界を照らすかもしれない。そういう光を今日は見た。そういう一日だった。

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