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ビートたけしは最強の芸能人であったし、今では誰も筒井康隆に勝てない。

筒井康隆が外交問題レベルの超大炎上で燃えさかった。

その発端となったTwitterはいまは見ることすらできないが(どうやらTwitter社に不表示にさせられたらしい)、差別発言、愛国(?)主義、日本国第一主義転じて他国を罵倒すると何かいいことあるに違いない主義の多数の右翼作家やら活動家がなしえなかった大暴挙である。

もちろん、筒井の発言にはまったく同意しない。文学をかじったことのない実務家の人達や余裕がない人にはわからないかもしれないが(わかっていてもいいことないが)筒井康隆という男はこういう暴言を心の底からの冗談として言える神兼大阿呆なのである。大阿呆にタブーへの挑戦とか大層な文句つけてもまったく意味は無い。アルジャジーラみろアルジャジーラ。で、そのあと。

と言っている。

筒井は以前にもてんかん病を揶揄した筆禍事件を起こして断筆宣言をしたことがあった。断筆宣言をした作家はたくさんいるけれど、筒井の断筆宣言はつまり本気ではなく心底からの冗談であり、だからこそたぶんみんな怒りくるったんじゃないかなと思わなくはない。

ところでビートたけしである。ビートたけしがこんどのニコニコ超会議にでて、関係各所の「落ちぶれ」具合にいろいろ思いを馳せなくはないが、かつて最強の芸能人といえば――いまでも――ビートたけしだったと言って過言ではない。

僕も当時のことは知らないが、ビートたけしが門弟の「たけし軍団」を率いて、「フライデー襲撃事件」というのを起こした。事件の要は簡単で、適当なことを書かれたたけしが怒り狂ってフライデー編集部を襲撃したというだけの話なのだけれど、今思えばこれこそ「冗談が通じなかった」という事の極端な事例だろう。そのときのテレビの映像はネットでも拾える。

そういう意味で、僕は筒井康隆とビートたけしは二人ともすごいと思っている。すごいのはたぶん本質的には真逆の人間なのに、一般の大衆をへらへら笑わせる圧倒的な波及力があるからだ。

僕はビートたけしをすごく尊敬している。

『ユリイカ 詩と批評』という人文学者であれば誰でも一度は載せてみたい雑誌がある。詩のほうではなく、主に批評のほうで有名であり、日増しに実証主義と専門分化を著しく加速させていく学術産業の落ち目の横で、一緒に落ち目を食らっているマニアックな雑誌だ。

でも面白いと思うよ。

で、その『ユリイカ』で一番売れた号は、実は「ビートたけし特集」だったと拝聞した。

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2866

あれ、もっと昔の号だったかな。

ビートたけしと批評というと、なんか微妙なミスマッチを感じさせる気がするけれど、すごく得心するのではないかな、という気持ちがする。それは北野武にせよ、あるいは筒井康隆にせよ、たぶん共通にもっている「謎めいた」部分を人は知りたいからだ。

筒井康隆大炎上のあと、筒井のtweetはほとんど注目されなかった。みんな「謎」への興味を失ってしまったのだった。

だからこそ、たぶんこの巨大な二人は炎を消すことはないだろう。いまや燃えたらすぐ消す時代だけれど、燃やす小手先の技術を磨くような小物ではこういう燃え方はできない。片方はガチンコの本気の本気で、もう片方は本気のかけらもない冗談で。どちらも誰もまねができない。今の政権にもできないことだ。だからこれからしばらく、あるいは当分、だれも筒井康隆にも、北野武にもかてないままだ。


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