見出し画像

27歳オフィスレディ、メーカー開発職にあこがれを抱くも結局芸術家と結婚する。

2014年の頃だからそんなに昔というわけではないのだけれど、もう僕は2014年に何があったのか全然思い出せない。それぐらい2015年と2016年はめまぐるしく、めまぐるしい割になんの成果もない2年間だった。

2014年の春ぐらいに後輩の女子がメーカー開発職についての憧れというか、めーかー開発職、という職業がどれほど「理想的」なのかについて延々と話しているのを聞いた事がある。

僕がそこで感じたはデジャヴだった。以前あるちいさなカフェ公演の舞台で同じような話を同じような感じで見かけたからで、そうか、世の中の女性はメーカー開発職(なにを開発しているのかしらない)にそんなに憧れを感じるのかと思った。

僕はメーカー開発職(以下めんどいのでメカと略す)の人に会ったことがある。その人は自動車のスイッチを研究開発していて、スイッチがどうしたら壊れないかを研究しているのだ、と拝聞した。なにぶんスイッチである。大事な部品だ。スイッチに携わる研究者は20人ぐらいいて、世界では一万人以上の人がスイッチの研究をしているのだ、と言った。

そうか、と僕は思った。それからだ。僕はスイッチを丁寧に押すようになったのは。

で、メーカー開発職に憧れを抱いていた女の子が先日、絵描きと結婚した、と聞いた。その子の結婚式に呼ばれなかったのでよく分からないが、メカの人にはなかった何かを絵描きから感じ取ったのだろう。ちなみに僕はとにかく結婚式に出ないことで有名なので、まあ呼ばないほうが賢明である。

そんでもって、ここからが本番だが、先日その絵描きの絵を見ることがあった。都内にあるギャラリーの企画展でやっていたもので、その時は素通りしたものの後日パンフレットの名前を見て度肝を抜かれたのである。

絵描きの絵はややポップなかわいさを以て男子を描き、その男子は明らかに性欲にまみれながら青い木を眺めている、といった具合の具象絵画で、度肝が抜かれるほどではないが「芸術」といったらみんな「芸術」だと認めてくれそうな品位を保っていた。でも僕が驚いたのはそのキャプションである。そのキャプションには「死んでしまった妻」に対する長くて正直どうでもよい愛の告白が解説として付されていた。

でもどうでもよくないのは「死んだ妻」である。僕は慌ててその子のLINEに「死んだの!?」と送った。その場で帰ってきたのはシナモロールのスタンプであった。妻は生きていた。妻を死んだことにして、絵描きは妻への告白をしたのであった。

……といった某大学の助手さんにしたら「よくやる手です」とにべもない。よくある事らしい。誰か死んだことにしてそれに対する思いを描く、描いたことにする。そうすることで、一段高いところにいけるのだという。そうか。と僕は得心した。嘘だと思うが、得心せざるを得なかった。

かつて、ある高僧は真実の教えを求めに鉄塔に籠もる師へと会いにゆき、鉄塔の入口でケシのつぶを振ると鋼鉄の扉は砂が落ちるように開いた、という。この鉄塔が想像上、観念上のものか、実物のものかで古代中世期の仏教学史は塗りつぶされるほどだ、と聞いた。観念と実態とは結局それほど乖離するものではない。

でもよく考えてみると(観念上)死んでしまった妻にたいしてこれほどの情熱をもって絵を描くというのはすごいことなのかもしれなかった。なぜ妻の絵を直接描かないのか分からなかったけれど、それが芸術なのだろうと思う。

そんなバカなまねはもちろんメカの人にはできないに決まっている。今や芸術家の情念と化した妻に事情を説明したが、結果LINEで「わたしよく死ぬんですw」と「w」がついて帰ってきただけだった。

そんなわけだけど、全部嘘だから安心してほしい。僕の知らないところでみんな幸せになっているよ、というだけの話なのだ。






昔のことや未来のことを考えるための、書籍代や、旅行費や、おいしい料理を食べたり、いろんなネタを探すための足代になります。何もお返しできませんが、ドッカンと支援くだされば幸いです。