「絶対売れると思った」などと供述しており・・・・・・。
花椒とチョコレートはマリアージュするのかー!? してしまうのか~!?
今朝方、テレビで延々と花山椒の特集を組んでいた。
その番組ではチョコレートにまで花椒をかける女子を紹介していた。一緒に見ていた家族が「味覚オカシイのでは?」と疑問を投げかけていた。番組を作った人も、もう何が花山椒の魅力かわからなくなってたんだろうと思う。
そういうことは本当によくある。
以前、とある雑誌社で働いていたときに、ある小物メーカーの営業さんが髪留めを持ってきた。それはブロッコリーとテントウムシがあしらわれた「なぜ作ったし」と思わず編集長がつぶやいてしまうような一物だった。
でも、営業さんは自信満々で「ほら、最近ケーキのコサージュ流行ってるじゃないですか」と、当時流行していたスイーツ・コサージュと並べて見せた。
スイーツ・コサージュも色々なものが出ていたが、僕はそれを見て、とあるマンガの「いもけんぴ、ついてるぞ☆」でおなじみになってしまったネタを思い出し、もう一つの過去を思い出していた。
結局ブロッコリーとテントウムシのコサージュについてはノーコメントを貫くことになった。ノーコメントだったのは、雑誌の対象読者の年齢が少し高かったからで、子供っぽすぎるというのが表向きの理由。本当の理由は担当の編集が大の虫嫌いだったから。
「絶対売れると思ったのにー」とつぶやきながら営業さんは帰っていった。別の所で一コマ取り上げられていたと思うが、どうだったかな。
こういうのだ。
スイーツのコサージュが流行していた。就活に失敗したり、大学院に進学願いを出したころの僕は、その時に男の子と女の子と、あと誰かと新宿に遊びに行っていた。新宿で遊んでいるうちに、みんなとはぐれてしまった。
みんなとはぐれただが、ケータイに電話をかけても誰にも繋がらなかった。僕は一人ぼっちで伊勢丹をぶらついていると、その頃メイド喫茶で働き始めたばかりの声優の卵の女の子とばったり出会った。取材で知り合ったと思うが、最初のきっかけは忘れた。
その子と、少し積る話をした。当時の秋葉原ではメイドカフェが乱立し、ひどいお店がいろいろと増えていた。声優の卵という言葉は嘲弄をもって言われていた。なんとなく辛そうな顔をしているなあと思ったが、そういう時にどういう言葉をかければいいのか分からなかった。
伊勢丹をぶらついているときスイーツのコサージュが目に入った。
「これって『私を食べて』っていうニュアンスが含まれてるよね」
と僕は何気なくいった。冗談だった。その子は、バットで殴られたような、強いショックを受けた顔をした。「ふうん、そういう風に、みるんだ」と彼女は独り言のようにつぶやき、おいしくなさそうなマカロンの偽物が、純銀のパッチにくっついている髪留めをまじまじと見た。
今ならはっきりと分かるが、つまるところ髪留めやコサージュの種類にそういう意味を読取らないでほしかったのだろう。「かわいい」という言葉、「かわいい」という物には、かわいい以外の感情はない。かわいいは作れる。かわいいは、性的であったり侮蔑や上からの視線の全てから隔離された安全地帯であるべきなのだった。
その子は、それからしばらくして吉祥寺のバーで働き始めた。僕は3回そのお店にいった。いつも通りレッドアイを頼んで飲んだ。人生とかクソですよねーと間延びした声で客あしらいをしている彼女はいつも悲しそうにしていたが、悲しそうにしている人に悲しそう、と名指しで言う無礼を僕はしなかったはずだ。
三回目の来店で、「絶対売れるって、思ったて言われたんですけどね」と、ブロッコリーとテントウムシの商品を持ってきた営業さんの話をした。少しは笑ってくれるかと思ったけど、彼女は「テントウムシ可哀想」ってよくわからない同意をして、演劇人であった同じ店に来ていた友人も同じような感想をもらした。
彼女の連絡先は知らないし、なんとなくもう合わないと思う。「絶対売れると思った」信頼に応えられなかったテントウムシのなんと可哀想なことだろうか。
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