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アイドルと『明星』

さいきん、こんな本を読んだ。

新進気鋭のメディア研究者である田島悠来氏による、アイドルメディア『明星/myojo』の分析から、アイドルとはなんだったかを考えた本である

。70年代から現代までの『明星』の分析を通じてアイドル受容の変化を記しているが、明星と対になる『平凡』の分析がないのが玉に瑕。全体的につぎはぎ記述が多かったり、時代考証などを先行研究に寄りかかりすぎな印象もある。あと、記述の疎密が著しい。あと、この手(メディア論)の研究書にありがちな対象メディア以外はいっさい触れないという実証スタンスのせいで、余計に時代的な変移相が見えなくなっている。テレビやラジオなどにも触れるべきところは触れておくべきだっただろう。

 若干の物足りなさはあるが、本書の見所は『明星』をとりあえず全部分析して、当時のスタッフや現行の編集にも取材をかけて、アイドル像の遷移を追ったことにある。

 とくにアイドルを見ていた人々、集団就職による黄金の卵たちや、その後の世代である70年代の「新人類」たちの生き方を、投書欄の分析を通じて具体的に描いているところは教えられることが多かった。

 『明星』には「ハロー!ヤング」(69~71年)のコーナーに読者の生活を描くコーナーがあったのだが、そのなかには「愛媛から大阪にきた中卒の電気工」や「熊本から大阪にきたトラック運転手」が、過酷な生活の合間に「アイドル」たちから勇気や元気をもらっていたこと、そしてアイドル雑誌に集う人々との見えない絆が彼らの生活を機械化から守っていたことを示している。

 『明星』はアイドル雑誌とつくり「男女二対」のアイドルを基本に歌手=アイドルであった80年代までの世界で圧倒的な人気を博した。80年代末から90年代以降にはジャニーズのブレイクがあり男性アイドル優位に、2015年には実質的に「ジャニーズ雑誌」へと変貌してしまったという。

 『明星』から見るアイドル像は、アイドルの中に内在的なスター性があって、それが評価されるとスターになるというわけではなく、アイドルを作るためにあらゆるメディアがスター性になるパラメータを引っ張り出そうとしていたということである。スターなのだから日常が赤裸々に描かれているとうれしいはずだし(だから私生活についての記事がたくさん載る)、バブルには海外に「はじめて」行かせることでスターを特別な存在として演出する。

 こうした「隣にいそうな子」でありながら「スターである」という像が崩れるのも、おそらくはジャニーズの本格的な台頭と、厄介ファンの存在が顕在化してきたことが遠因にあるだろう。NGT48のまほほんの「告発」が、実質的に彼女のプライベート(住居)をめぐる厄介の情報戦に起因するものであることも含めて、2018年のアイドル像は70年代とはまったく異なるものになっている。

 田島氏のNGT事件論などぜひ読んでみたくなる。

 スター性を形作るものはなんなのか。アイドルにファンは何を見いだしていたのか。ほんの4,50年前の間、変転していったアイドル像について考えるための好著。内容もだが、とくに注が面白い。

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