満員電車は、つらい。

眠れない。不安でねむれない。


その不安の最たるものが「明日早起きできるだろうか」だ。

もう笑うしかない。笑って、どうするんだ。でも僕は、これからTRPGのリプレイ動画を聞き流しながら、寝るだけ寝ようとするはずだ。

そしてたぶん、明日は寝過ごす。

うまいこと明日早起きができてもそれだけではすまない。ここからが勝負だ。まず起きる、着替える。朝食をとり、それからしばらくして電車に乗り込んで満員電車を耐えなければならない。

満員電車はつらい。

何がつらいのかわからなかったが、最近やっと分かった気がする。体力的にもつらいし、朝に立ったまま一時間以上かけていくのもつらい。でも、それ以上につらいものがある。

それは、悪意と敵意に晒されることだ。

満員電車で座れる事がある。そして座ると、くたくたに疲れた体がほっと一息付けるような気がするが、座った瞬間には全身に矢のような視線を感じることがあるだろうと、思う。

それが敵意だ。早くいなくなれ、早く消えろ、早く席をゆずれ。そしてできればこの電車内にいるやつら全員死ね、という類いのあれだ。もちろんそれは一瞬しかないものだが、一瞬で人の心をすり減らすぐらいの気持はある。

東京オリンピックをするんならば、満員電車をまずなんとかしてほしいと思うけれど、きっとどうにもならない。少子高齢化が叫ばれておりますが、早く電車ががらんどうになるんなら、それもいいなって思うのがみんなの正直な気持ちだろうと思う。

視線からの悪意をなんとかするにはこういう手がある。無視だ。そして寝たふり。あるいは寝る。他人なんてどうでもいいから、自分を休ませないとならない。

そうでなければ、会社で負ける。

最近、罵詈雑言を浴びせかけたリンゴの話をつかっていじめをなんとかしようという話がネットにあがっていた。

ひどい言葉を投げかけたリンゴの中身が…… リンゴを使っていじめの影響教えた授業が話題に - ねとらぼ http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1607/03/news038.html 

この手の「いい授業」ネタはTEDの影響で一般に広く知れ渡るようになったけれど、実際の教育効果を実測してみるとほとんど影響があったのかないのかわからなくなってしまう事があるらしい。まあ人の道徳は計れなくて当然だ。

こうした「いい話」がもてはやされる裏側で、実際に社会に出て身に付けるべきはより合理的なスキルだという話もよく聞く。その「合理性」というのも難しい話なのだけれど、その一つに自愛がある。

自愛は利己主義とも功利主義とも微妙にことなる感性だ。そこでは他人を優先しすぎることは悪いことにもなる。

僕が満員電車で寝たふりをする人達から感じるのはこの「自愛」という感覚だ。他人に尽くすのはよいことだろう(一般的にいって)。でも、自分を犠牲にしてまで他人に尽くすのはよいことでもなんでもなく柔らかな自殺行為に過ぎない。満員電車でぐうすか寝ているおじちゃんや若い人達だって、電車を降りたら深夜まで拘束されるハードワークに疲れ果てているのかもしれない。

あるいは、精神的なダメージがあって、せめてこの短い通勤時間の間は体を休めていたいのかもしれない。というか、僕は休めていたい。

満員電車が辛いときは、午後から出かけるといい。空いている電車はなぜか心が晴れ晴れするような安心感がある。どうしてこれを朝や夜に準備できないのだろうか。新幹線やリニアを整備するよりも、ほんのわずかな郊外までの電車をなんとかできないものだろうか。

でも、それを「なんとか」できる人はそんなことはしないだろう。彼らは満員電車に乗らないし、人からの悪意なんてなんとも思わないし、リンゴを腐らせることにためらいなんて持たないからだ。

だから大丈夫。

安心してリンゴを握り潰しなさい。



昔のことや未来のことを考えるための、書籍代や、旅行費や、おいしい料理を食べたり、いろんなネタを探すための足代になります。何もお返しできませんが、ドッカンと支援くだされば幸いです。