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インターネットで真面目な謝罪。はじめしゃちょーとヒカキンと。

朝から、はじめしゃちょーの謝罪動画が上がっていて、そもそも何がどうなっているのか分からなかったの覗いてみた。

見始める前は「どうせネタでしょ」と思っていたが、最初から最後まで、しっかりとした?謝罪だった。ネットで謝っても実際の被害者は何も救われない気がしないでもないが、はじめしゃちょーの動画としては明らかに異色で、だからこそ、事態が凄まじく深刻なことになっているような気がしたものである。

経緯についてはアチラコチラに書いてあるけれど、ようするに浮気したのしないの、という話である。こう書くと軽そうにとらえているように思われるかもしれないが、浮気はそれなりに重い罪だ。不倫も同様。なぜなら、同意をとるべき人に同意をとっていないから。「浮気公認」なら別に本質的に問題ではないと思うけれど、そんな公認を取ったところでせんない話である。

 ちなみに今回は複数人に渡るらしいので「全公認」は無理だろうと思う。

 で、はじめしゃちょーである。はじめしゃちょークラスのVIPユーチューバーになると炎上だのなんだのというのは日常茶飯事、チャメシ・インシデントにすぎない。実際、以前にもはじめしゃちょーは「ニベアクリームで作られたお風呂にはいる」というイベントをこなして見事に燃え上がっている。


にも関わらずはじめしゃちょーがスーツ着て謝罪動画を上げたことは小さくない意味がある。つまり、浮気がばれた、というのはそれなりに「ヤバい」ことだと認識したのだ。これはユーチューバーの嗅覚というか、ネット民の動向を知り抜いた人だからこそのアクションだと思う。数々の炎上謝罪動画でおフザケに走ったりPRで終わったり誰かからのパクリを吐露したり☓☓して死んでいった多くのユーチューバー仲間たちの死骸を見てきたからこそ(なのかどうかはわからない。見てきたのは僕だったのかもしれない)、謝罪はシリアスに徹するべきだと判断したのだろう。

僕ははじめしゃちょーのよきフォロワーではないが、はじめしゃちょーは好きだ。好奇心が旺盛で、バカげたことを探す才能に長けている。小さなマンションの一室でもたくさんのドラマが有ることを知っている。日常の中で夢見る小さな願望を、仲間と叶える力がある。当たり前すぎてなんだけど、こんなことは普通の人はできないのだ。

というその日に、同じくVIPユーチューバーのヒカキン氏が、なぜかシュークリームを食べている動画が話題になるという事態が発生していた、らしい。

意味がわからなかったが、なぜかこの動画が「一方その頃」という形でウェブを賑わせていた。つまり「はじめしゃちょーがスーツ着て謝罪している間に、ヒカキンがシュークリームを飲んでいた」という対比が面白いらしい。そりゃ面白い。面白さの話だけしよう。いいか。「はじめしゃちょーがスーツ着て謝罪している間に、ヒカキンがシュークリームを飲んでいた」んだ。意味がわからなくて面白いじゃないか。

僕は別にヒカキンとはじめしゃちょーを貶めたいわけではない。ただ、二人のこの、二つの動画が「謝罪」が変わってしまったことを感じたということだ。

かつてだったら「謝罪」は個人的なことだった。そりゃそうだ。謝るべき相手にあやまることが謝罪なんだから。でも、今や謝罪は「関係性」の間にある。ある人がある人に謝っている。しかしその謝罪が、まったくほぼほぼ無関係な別のリソースと比較されてしまう。それはいいこともあるだろうし、悪いこともあるだろう。昔から政治の世界では日本代表が勝ったタイミングで謝罪をしたり重要な会見を開いたりして「それどころじゃない」感を出す常套的な手段があった。それはある程度意図的に行われた。

 けれども、ネットにおける謝罪はその圧倒的なコンテンツ量の前に何かとの比較が避けられなくなってしまう。謝ってる内容ではなく、その人の人格や頭のハゲ具合ばかり気になってしょうがない時もあるだろう。そんな時に「真面目に謝罪する」ってどういうことなのかっていうのをしみじみ考えるのである。


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