見出し画像

インターネットの村から、インターネットの村へ

昨日、ずっと追掛けていたライター・エディターさんと初めてお会いして打ち合わせをしてきた。もっと話を伺いたいこととかもあったのだけれど、ごく簡単に、ビジネスライクなさっぱりとした打ち合わせだった。

そこででたいくつかの話の一つに「ニコニコ動画」の話があった。僕はもう三十を超えてしまった「サブカルオッサン」なわけだけれど、2007年のニコ動最盛期のころはまだうら若き大学生で、ふわふわした頭でネットのニューストリームが次々に現れてくるのがなんだかおもしろかったのはよく覚えている。

なかでもくっそ面白かったのが、エルシャダイのPVだ。エルシャダイは当時新興のゲーム会社がなけなしの財産を投じて作った横スクロールのアクションゲームで、

「そんな装備で大丈夫か」

「大丈夫だ、問題ない。」

という何がなんだかわからない名台詞を生み出したこと、みな知って亡くても知って欲しい。

それが全部根こそぎぶっつぶれたのは、東日本大震災のあの日以来だ。どれほどポジティブなメッセージを発しようとも、あまりにも多くの人が亡くなってしまい、「喪の作業」になれていない日本人たちは誰が最初に「喪に飽きるか」を競い合うようにして現実から目を背けて続けていた。エルシャダイは地震の揺れもおさまらないころに、ひっそりと登場して、忘れられていった。

ただ、2011年まではなんとなくニコニコ動画の「全体」があったように思う。もちろんそれはフィクションであり、2010年代までは「2000年代の全て」を冠して廃刊していった無数の雑誌があった。その頃はまだカルチャーには全体があり、フィクションとしての「オタク」がいて、フィクションとしての「物知り」がいた。

それが2013年ぐらいには根こそぎぶっつぶれてしまった、ように思う。超会議にいっても「何をやっているのか意味がわからない」「誰が有名なのか理解できない」という状況が加速していたし、ニコニコをよく見ているといってもなんのカテゴリを見ているのかでもう全然話が通じない。一方でネット出身を歌い文句にメジャーへと殴り込みをかけて著名になった人もいる。

 2010年ぐらいの語り口ではインターネットはもう語れないのだ。

僕はこれを「村から町へ」の移動と、「村から村へ」の移動の違いだと理解している。ネットはかつて一つの街だった。ところが、町に人があつまって、なぜか小さな村がたくさんできた。そして、こんどはその小さな村から、大きな町に行こうとする人達が登場した。

ところが今度は村同士で没交渉になってしまった。僕らが町だと思っていたインターネットはあまりにも大きくなりすぎてしまったのだ。

昔のことや未来のことを考えるための、書籍代や、旅行費や、おいしい料理を食べたり、いろんなネタを探すための足代になります。何もお返しできませんが、ドッカンと支援くだされば幸いです。