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いま読むべき本はただこれだけ。

端的にいってすごいと思った。書物が死んだあと、文学が生き延びるとしたらこのような「カタチ」だろうと思うぐらいに。

高橋文樹『メタメタな時代の曖昧な私の文学』(破滅派、2018・1)は、もう崩壊してしまった「文学エッセイ」の最先端を突き抜けてしまった。かつての「人文学」にすがりつく地獄の餓鬼たちのドウシヨウモない救いのなさを切って捨てながら、文学がウェブ社会で生き延びるための手法を手探りで書いてしまった。

著者はエンジニアで「破滅派」という会社をやっている。同時に賞を取った文学者でもある。それから山梨を開墾したりもしている。よくわからないが、面倒見がよい人だ。そして文才に恵まれている。たぶんCODEを書く才能にも。

 フランス文学を基盤とする端正ながら、皮肉で偽悪的な文体。そして何よりも高度なテクノロジーに関する理解。専門のエンジニアにも、文学者にも身につけることができない2つの要素が合わさって、これは非常になんとも、読みやすくて読みにくい本になっている。

 本書は要するに「テクノロジーの進展で別に人間が書かなくてもよとくなりつつある文章テキストを人間が作ることで、それなりに評価されるにはどうしたらいいか」をシステム面から徹底的に論じたものだ。〈まだ〉出版文化や賞レースが機能する文学産業では遠い未来を心配する杞憂を論じた本として冷笑されるだろう。だが、文学研究のように研究者の自爆営業と公開促進費で本を出すことでかろうじて成り立つ状況下では、本書が憂慮した「もうダメ」の域に入り込んでいる。

 テキスト分析、AI、SEO、「文章」の評価を廻る基準は販売冊数や発行部数といった曖昧なものではなくPV、KPIといった冷酷な数字に移り変わり、その数字を勝ち取る手段は最早文章である必要すらないという状況になっている。それらにたいする著者の態度は徹底して「ハッカー」のそれである。気合いや勇気ではなく、具体的に対応策を分析し、無視すべきものを無視し、必要な対策を淡々と書いていく。

  でだ。本書の結論はもう単純明快である。

 単純すぎて、笑ってしまった。膨大で長い長いテキストを読んだ先の単純な終り。これはライターやネット編集者がよくやる手である。正攻法だ。正攻法すぎて、笑ってしまった。

 本書はシニカルで誠実な本だ。文学が生き延びるとしたら、この誠実さが求められるかもしれない。そして技術についても適切だ。おそらくここまで的確にわかりやすく書いたものはない。

世界は高橋文樹を知らなさすぎる。

そして、忘れたがってる。

なんて可哀想なやつらだ! と僕はいわずにいられない。『メタメタ』はそういう本だ。アマゾンで250円。電書だが、安すぎるとしか言えない。


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