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なつかしさと新しさには、その間にたくさんの中間色があるんだよ

近所の小学校でベーゴマを遊んでいた。

僕はひどい腰痛で病院にいく途中だった。病院は空いていた。湿布とロキソニンとかを処方してもらって、帰宅する途中にさび付いた色のベーゴマを空中になげて遊んでいる小学生の一群に行き当たった。

小学生男子は「べーゴマって新しいよな。懐かしさをウリにしている」と言った。

懐かしさは売りになる。

僕は感動した。いまベーゴマを作っている会社があるのかどうかわからない(僕が最後にベーゴマを遊んだ時にはもう一社しかなかったはずだ)けれど、オールドスタイルのベーゴマは、いまの小学生たちには「懐かしさ」をウリにする「新しさ」で満ちあふれていたらしい。昭和レトロの駄菓子や、あるいは清水寺前のスターバックスのように。

懐かしいと思うもの

僕が「懐かしい」と思うのはキンモクセイの香りだ。どこでかいだのか記憶にない、懐かしいどこかでキンモクセイをたしかに毎日かいでいた。

その香りが「金木犀」という植物であることは『南国少年パプア君』で知ったのだから何とも落ち着かないけれど、もう僕が金木犀をみても、その香りを知っても新しいとは思わない。なつかしさには種類があって、記憶の中でゆっくりと消えていくものと、懐かしさを越えて新しさを見るものがある。

新しいと思うのは、DESTEY2だ。PS4のロンチタイトルとして信じられないほどのヒットになった作品で、僕も途中まで遊んだ。新しさと思ったのは、道ばたにいる外人たちとボイチャをしながらダンジョンを進んでいくさなかに、「I'm here.You Go!」といって、一人後ろから押し寄せてくる大群に立ち向かっていったタイタンを見たときだ。

感動した。

ベーゴマをいま売り出しても、その新しさ故に認められるということはないかもしれない。その懐かしさ故に感動されることもないだろう。

でもあの、漬け物樽の廃品の上に布を貼って「チッチ!」といいながら紐をほどく瞬間の緊迫感は懐かしさも新しさも越えて未来に残る。そういう遊びだったからこそ、小学生たちもベーゴマを遊んで、自分もまた強くありたいと思ったに違いなかった。ポケモンで最強でありたいと思うように。


 

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