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「生理的に無理」を越える恋愛術

生理的に無理、という表現をよく聞いた。

恋愛本を読んでいると「エグい」とか「絶対成功する」とか「悪魔の」とか、ピュアではないしたたかな表現でもって恋愛を成就させようという本が多い。恋愛とは複雑なものだが、その複雑さのあまり邪道に落ちるものもいるのだろう。

恋愛とは善悪の彼岸にある技術でもって愛を貫く方法なのだ。

最初の、学生時代のピュアな思いなどドブ直行である。

「生理的に無理」を「恋愛術」は超えられない。

そこで基本的に触れないことになっているエリアがある。「生理的に無理を乗り越える方法」だ。

恋愛本は男性向けの女性向け、心理学寄り体験段風といろいろとあるけれど、あまりピンとくるものがない。その理由に先日思い当たったのだ。

先週から立て続けに「婚活」をしている女性に話を聞きに行った。これも仕事……だったのだが、企画は潰れたのでもういいだろう。婚活している女性をなんとか負け犬の遠吠えさせたい諸メディアには申し訳ない話だが、聞いてみると、かなりのペースで好条件の男性を見つけていることは少なくない。

少なくないが、その人とは付き合わないことが多い。

いわく、「生理的に無理」。

よく聞く理由だが、考えてみると意味がわからない。「太ってるから」とか「ブスだから」とか食べ方が汚いとか、なんかそういう理由だと思う。ただ、聞くと細かい不満はあっても理由ではないのだという。

無理。生理的に。

触られたくない触りたくない口を聞きたくない目にいれたくない……そして、無理。この絶対的な嫌悪は何に由来するのか。

聞いてみてもわからなかった。当人たちもわからないらしく、生理的に無理な人と第一印象でさよならしてたけど、それじゃダメかもと思って生理的に無理かもしれないけれど付き合ってみたけどやっぱり生理的に無理だった、とのことも聞いた。

男性が「生理的に無理」ということは比較的少ない……というか聞いたことが無い。「無いワー」といって女性を恋愛対象から外れるように表現することは多いが「生理的に無理です」とは言わない。

女性がここまで重たく感じる「生理的」なものの正体について多くの恋愛指南書は無視を決め込む。少なくとも恋愛指南書の役割ではない、ということか。

恋愛とは「最初から好きな相手にどう振り向いてもらうのか」という点に技術が必要なものであり、「生理的に無理なものとどうやって付き合うか」ではないからだ。

無理を乗り越えた先?

ある人は、オレンジジュースを飲みながら時間つぶしに「生理的に無理でも幸せや高給が約束された彼と上手いこと付き合う方法」とか、「現在の広すぎる生理的に無理な範囲を狭める方法」とかを恋愛術として考えたらどうだろう、と言っていた。多分彼もまた「生理的に無理」であると言われたのだろう。

でも、嫌いな人と結婚して付き合い続けるというのは、それこそ過去のお見合い結婚や戦後の後家の再婚のようなものだった。戦後には恋愛なんてしている余裕はなかったのだ

恋愛とは極めて近代的な概念だが(江戸時代にも恋愛という言葉はあるが、これは男性から女性に向けて以外には使われない〉、それはまだ未整理なまま。まだ人の心の複雑さをつかめていないのだった。

ではどうやって生理的に無理を乗り越えるのか。それとも無理なので無理なのだろうか。


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