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不安の夜に

眠れない夜に、牛乳に蜂蜜を入れて飲み、歯を磨く。

そうしたからといって眠れるわけではないけれど、そうすると「眠れない」ということが理解できる。焦らないことやストレスをためないこと。医療産業で山のようにいわれるこれらの魔法のことばで救われる人は誰もいないだろう。

不安の夜と戦うための方法を少し書いてみようと思う。

ずっと昔に『眠られぬ夜のために』という本を書いた人がいた。カール・ヒルティというスイスの哲学者で、国際法の大家だった。同時に、宗教倫理と呼ばれるキリスト教的な道徳観の思索者として著名だった。この『眠られぬ夜のために』という長大な著作は、正直にいって今よむにはとても苦しい一冊だ。息苦しくて、狭くて、しかし暖かい。

ヒルティの言葉は左右にゆれている。僕はキリスト教をあまりよく知らない(そのせいで一つ大きな友情を失ったこともある)から何もいえないが、彼は福音を倫理的な生活の実践に求めている、らしい。眠られぬ夜に、自分を大いに反省して、より正しい人生を歩むための思索の時間にあてることを推奨している。

ヒルティは若い頃に決闘をしたことがあるらしかった。酒で失敗したこともあるようだった。ハーグ平和会議を痛烈に非難したこともあった。利害関係の一致ではなく、一人一人が平和を求めなければならないといった。

夜の眠れない日に平和について考えるのはおもたすぎる、と思う。

夜の眠れない日に外にでて、星を眺めてくるのもいいと思う。いま僕はそうやって星をながめにでて、深夜に強烈な光をはなつ八王子のせいで星空がほとんどかすんでみえていることに絶望して帰ってきた。自分は重たい病気かもしれないと思うことがあって、あるいは軽い病気かもしれないと思うことがあるとき、星空を眺めていると、結局自分一人が死んで生きてもたいしたことはないのだという気持ちになることがある。それは暖かい気持ちなのだと思う。

もう何年も前のことだ。とある女性が、自分が一番好きな著作はヒルティだと言った。僕はその時にはヒルティを読んだことがなく、その女性に好意をもたれたい一心でヒルティを読んであまりのくだらなさと眠たくなる説教節に嫌気がさした。

その女性に「ヒルティは面白くなかった」といった。言わなければよかった。明らかにその言葉に傷ついた彼女は「無理にすすめたわけじゃない」と吐き捨てるようにいった。僕は当時他人の好きな作家をけなすことで自分が優位にたてると思い込んでいるような阿呆だった(きみの上司と同じだ)。

それからしばらくして、眠れない夜をモチーフにした映画をみて、演劇をみて、眠れない夜に外にでて記憶と思い出に浸ってノスタルジイを感じる作品を見た。現代では「眠れない夜」の原因は自分のなかのトラウマにあり、それを解消することは思索や不安を圧倒する善なのだった。眠れない夜に株式を売買したり、副業をしたりすることはよいことではなかった。眠れない、ということの原因と結果と因果。そこに対するアプローチは「いまっぽさ」の現れでもある。

ねむれないなぁ。

いまアイドルの子がTwitterを更新した。その子は地域アイドルをやっていて、その地域アイドルが地域のオトナたちの思惑よりもずっとストレスのたまるものであることはよく分かっていた。明日は学校があり、学校のあとは練習があるはずだった。大人たちはアイドルを洗脳する力を持っていた。アイドルたちは洗脳されなければ自分たちが、自分たちの春をあけわたすことができないことを知っていた。知っていたからこそ、その理解の手前には不安があったのかもしれない。あるいは何もないのかもしれない。

十五年前は大の大人たちが「女子高生に傷つく内面があるかどうか」を真剣に議論していた。笑ってしまうよな。あるに決まっている。何も考えなかったとしても、痛みがなくなったとしても内面はある。

別の人はnoteを更新している。noteには「お金儲け」や「ビジネス」についての記事が洪水のようにあふれていて、僕の記事は「自己啓発」の一翼をになることになっていた。眠れないよるに自己啓発せお、というのはピケティもそれなりに褒めてくれる行状だと思う。

眠れないなぁ。

眠れない夜の過ごし方に正解はなかった。僕は昼間に可能なかぎりがんばろうとMonster Energyを飲んだのだった。無理をしたのだった。無理をし、元気を前借りし、でなかった成果に落胆したのだった。

不安と戦う力をもった人はすでに不安と戦っていた。僕らは逃げ回っている。でもきっと逃げ回っていてもいいはずだ。自己反省をする段階ではない。宇宙では星が周期をきめてまわっており、僕らの一生はそのわずかな時間にも満たないのだから。だから星をみてトラウマを癒やすようなわかりやすい夜があってもいい。そういう夜があなたに訪れてもいいはずだ。


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