休むことの罪と罰と

今週一週間は休むことにした。各位にご迷惑をかけると思う。仕事でも負担にならない範囲ではするつもりだし、人にあう体力があったら会うかもしれない。でもそれはまだ正直きっついところはある。

GW明けそうそうで申し訳ない。でもGWも休まらなかったし、その前からずっといろんな事に追い立てられていて、追い立てられすぎて休めなかった。それから、僕はずっと「休むこと」を罪深い何かだと思っていて、だから休んだつもりになっているだけで休めていなかった。それをなんとか本当に休むことにしたい。ゆっくりする、のではなくて、みつめなおす、でもなくて、休息をとりたい、と思ったのだ。

いろいろな呪縛を全部取り去って、休もうと思ったのだ。それから、「休む」ためにはその予備動作として別の「休む」が必要だということも知った。人は休む。でも、本当は「休みかた」を知らないのかもしれない。

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「休むこと」には二つのレイヤーがある。一つ目のレイヤーについて話すために、時間をぐぐっと遡りたい。

小学校の時に、Mさんという皆勤賞を取り続けていた女の子がいた。健康で、勤勉でマジメで、さらに頭もよく運動もできた。彼女は六年間すべて皆勤賞をとった、らしい。

そのことで、高校時代にいじめられたと聞いた。皆勤賞という歪んだ栄誉は、心身の健康を顕彰しているのではなく、心身の幸運ー病気にかかるタイミングや、事故に遭わない幸運ーを褒め称える栄誉だ。多くの子供はそういう幸運に恵まれないことを学校関係者は知っていると思うかもしれないが、学校は狂気でないと通り過ぎることができない場所だ。その狂気の源泉に健康があったらしい。

Mさんが高校時代にいじめられていたという話は、高校生時代からさらに年月がたって、市が主催するまちづくりイベントで知った。僕はなんの取り柄も才能もないライターで、郊外都市のまちづくりイベントはほぼほぼ自己啓発と刀研ぎをしにくるおばちゃんたちのたまり場だった。でも、そこでクソまずい珈琲を飲みながらぼんやり市役所の人が焼いたスモークソーセージを食らっているのは悪い時間ではなかった。

Mさんが登壇したのはそんなイベントの「輝く私」をしゃべくる時間でのことだった。主婦になった彼女は自分のおいたちや生まれやキャリアをひとしきりしゃべったのち、そのいじめられたエピソードを笑ってはなして「はじめて自分の取り柄を否定された」と述べた。そして、「結婚して初めて心が休めた気持ちがしました」と言った。

その「結婚」と「休息」の組み合わせに、会場の空気はゾットするような冷たさが宿る。その時のカンジをうまく言葉にできないのだけれど、この「休む」事に対するすさまじい敵愾心の正体には興味があった。Mさんはでも「結婚後の一休み」がずっと続いてほしいと思っていたみたいだった。彼女はつまり、結婚をして一つ目のレイヤー、「安心できる休息」を手にいれた、ということだ。

でもこの国では、安心して休むことは罪なのだ。たぶんその罪に対する恐怖こそが、Mさんの皆勤賞だったんだろう。

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休むための予備動作が必要だ、と僕が思ったのはそれからさらに数年たって、今年のGWに文学フリマに言ったときだ。文学フリマにはずっとでていたが、ここ二年ぐらいはお金も時間もなくてでれなかった。でも自分を覚えていてくれる人が一定数いて、その一定数の人達の奇妙な優しさに触れてみると、ああ、なるほど、という気持ちになった。それは仕事や金銭とは違う時間ー趣味といってもいいし、縁といってもいいーが流れる空間があるっていうことだ。

GWになるちょっと前に病院にいった。地域で一番の藪医者が出してくれる薬はいままで飲んだことがないほど強い薬で、とりあえずこれを三週間飲めということだった。三週間飲んで良くなる保証はないが、これが体に合わなかったらしく。ひどい膨満感と下痢と慢性的な疲労に悩まされ続けることになった。そういう状態でずっと「休みたい」と思ってると「休みたい」が「休まなければ」になり、休む仕事をするために不安と恐怖の間で睡眠と食事と生活を暇無くてはならなくなる。体力を維持するための運動を無理に、昼に寝ないようにと珈琲をがぶ飲みする・・・・・・。

二つ目のレイヤーはこうだ。復帰を急ぐための効率的な回復。昔、心理学者たちは心の傷を負った兵士がどうしたら早く戦線に復帰できるかの研究をさせられていた。最終的にその研究の結論がどうなったかは知らないけれど、軍人たちは的を人型にすることを始めたと聞いた。○ではなくて、人型。人をうつことに慣れさせたのだ。

それはつまりこうだ「心の傷なんて戦場は気に掛けない」だから復帰するか、しないかが重要だ。リスポーンしたか、しなかったのかが。

リスポーンの間の時間は休息に似ている。日曜日に似ている。その休息に「安心」はない。けっきょくは新しい苦行でしかない。休まないとならないという使命感による休息は地獄でしかない。永遠につづく8月31日。

自分は四月からずっとリスポーンだけを目指してきたけれど、それを横に置くための時間が本当は必要だったのだ、と気づいた。休もう。と、穏やかな時間や穏やかで適切な生活と、そして回復を祈ることが必要だ。たぶん僕よりも、もっとこうした穏やかさを必要としている人達がいるはずだ。そしてその穏やかさは、突然には手に入らない。なぜならば、リスポーンのための休息は罰だからだ。誰からの?誰への? 内面から内面への罰だ。

あ、でも休むためには安心してご飯を食べられる程度の収入も必要なのだった。もし君に余裕があったら、したの「サポート」を推して500円払ってみたらいいと思う。500円じゃなくてもいい。1000円でも10円でもいい。僕がやすめる。君は人を休ませる力を手に入れるということの意味を自分で実感することができる。いい取引だ。

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