放生会ビジネス

皆さんは放生会のことご存知でしょうか?もしかしてご自分でやったことがありましたでしょうか?

放生会を簡単に説明すると、仏教の『不殺生』の戒に基づいて、捕われて屠殺される運命だった動物を自然に返すことで自身の徳を高めることです。しかし動物を自由にして徳が高めることは科学的に立証ができない主観的観念論(Subjective idealism)なので、善意をもとにやった行為ではあるものの、動物愛護や環境保全と逆の方向に働くこともあります。淡水魚を海に放ったり、ミシシッピアカミミガメなど侵略的外来種を放流して生態をめちゃくちゃにしたり、放生会目的で動物が乱獲されたりなど、我が国では実際に起きていた数々の問題があって放生会は批判が集まって放死会とも揶揄されていますが、やる人は依然やり続けている。

機会があって、放生会に参加する信者から話を聞きました。
Q:動物の生態ガン無視かつ無責任に自然に放つなんて、おこがましいにもほどがあると思いませんか?
A:そんなことありません。私たちは動物のことリサーチして最適な環境を選定し、かつ法師の読経により加護を授かることによって彼らは二度と人間の手に落ちたことがなければ生態系を乱すこともなくなり、輪廻してよりいい存在になるのです。

なるほど、正気ではないですね。信仰なき人間にはどうてい敵わない信心の深さよ。ビバ、主観的観念論(Subjective idealism)。そしてこれらは他人ではなく、肉親の口からの言葉でしたよね。

まあいい、よそで好きにやればいいでしょう。と言いたいところですが、いい歳して実家の地下室に住んでいる私は立場的に弱いので、何度か運転手として肉親を放生会に連れていくついでに参加することがあった。あれは親父が死んで間もない頃、午前中にチベット僧を何人車に乗せて、漁港に赴きました。

まずは放生会に使う動物の確保。肉親とその仲間は魚屋と商談を始めた。そして魚屋は生簀からまた泳いているサバ、ハタ、ハリセンボンなどの魚を網ですくい、別の容器(プラスチックのタンク)に移して重量を測った。

魚を買う時は海水まで買わない。同然その容器に水は張ってありませんでした。魚たちはタンクのなかでもがきながらさらに上から新しい魚を加えられる。水から離れた魚はどれぐらい苦しいか、そして下敷きになっている魚はどれぐらいの重さに圧迫されているか、私は知る由もなかればあまり考えたくもなかった。案外「へっ、これぐらい水圧と比べてなんともないぜ」だったら幸いですけど。

そして十数分のあと、魚の総重量が足りたか、いよいよ海水がタンクに注がれる。いよいよ魚たちの苦難が一段落か?チベット僧たちがお経を唱えはじめました。肉親とその仲間も合掌して加わる。

信仰なき私は距離を取ってみていたが、ふと通りすがりの漁師たちの会話が耳に入った。

「おい見ろ、またカルト連中なんかやってんぜ」
「めでたい奴らだ。魚を苦しめて自分が救われるとかほざいてよ」
「まあたくさん買ってくれるし厄介のハリセンボンも利益にしてくれるから
いいんじゃね?むしろありがてぇよ」
「そいつぁちげえねえわ」

口が悪いけど私と意見と似ていて少しほっとしました。

そのあとは肉親とその仲間が船に乗って魚を放ちに行ったので、その間に私は近くの朝食屋でハムエッグサンドイッチを食べました。


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