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「おちゃめな肩書き」のすごさ

「人はわかりあえない」というテーマのなにがしかを、この一年間でおそらく50回以上は見たり聞いたり読んだり考えたりした。

それは、ダイバーシティというテーマが世の中で話題になったこと、「自分に正直に生きていい」という価値観が広がって常識という殻やまとまりを人々がどんどんぶち破るようになってきたこと、「そもそも常識をぶち破らずとも人は多様だ」という考えがさらには出てきたこと、そして何よりそういった話題に私が興味を持っていること、など、さまざまな要因があるのだと思う。

「わかりあえない」と言ってしまうと、気難しくて、なんだか寂しいような気持ちになる。「わかりあえない」と言ってしまうと、その先どうすればいいのかわからなくなる。

本当に難しいテーマだよなあ、と思っていたのだけれど──私はここ最近、「わかりあえない」状態を心から楽しんで乗り越えている人や現象に出会うことがいくつかあった。


まずはじめは、「注文をまちがえる料理店」。去年の秋頃に話題を集めた、注文をとるスタッフが全員認知症というコンセプトを持つ期間限定の飲食店だ。

「私たちは、注文をまちがえてしまうんです」という情報を事前にお客さんに刷り込むことによって、「まちがえる」という行為そのものをエンタメ化している。ロゴとかのデザインも、とってもとってもかわいいの。


そして次は、これまた「注文をまちがえる料理店」の発起人である小国さんが関わる「レインボー風呂ジェクト」。

一言で言うと、「LGBTと呼ばれる多様な性の人たちと一緒に温泉につかりながら、誰もが楽しめる温泉について考えちゃおう」というプロジェクト

と記事にもあるように、「LGBT」という話題を茶目っ気たっぷりに扱っている。


さいきんでは、後輩のあつたちゃんのTwitterでの投稿が目にとまった。「夫と妻」というわかりあえない他人同士がうまく楽しんで付き合っていくためのとてもいい考え方だな、と思った。


友達のポイちゃんは、「エロデューサー」という肩書きで、男女楽しめるエロスのあるコンテンツを作っている(先日はクラウドファウンディングがとっても話題になっていた)。「エロ」という話題を、これほどオープンに楽しそうに、みんなから応援されながら取り扱っている人に、私は初めて出会った。


そしてそういった人々やコンテンツに出会っていくうちに、「わかりあえなさ」とうまく付き合っている人や物事には「おちゃめな肩書き」があるな、ということに気がついた。それはポイちゃんの「エロデューサー」だったり、あつたちゃんの「おおざっぱ王国の民・神経質な国の住人」だったり、小国さんの「注文をまちがえる料理店」だったり。

逆に「わかりあえなさ」を超えられないものは、肩書きがなかったり、あったとしてもそれが「ネガティブな肩書き」であることが原因のひとつとしてあるのかもしれないな、ということを同時に思った。「障害者」ということばに「害」があるように──そんな肩書きで、お互いが歩み寄れるわけがない。

自分を誰かに説明する、理解してもらうために、自分のことを言葉にして、肩書きを生み出す。それが肩書きではなかったとしても、やはり人は、言葉にしなければわからない。「言わなくてもわかってほしい」というのはやっぱり不可能で、好きならば好きと、反対なら反対と、賛成なら賛成と、ちゃんと声に出さないとだめなのだ、と個人的には思っている。

そういう意味で、「おちゃめな肩書き」は、このどんどんわかりあえなくなっていく世の中を楽しく生きるための一助になるのかもしれないな、とふと思った。世の中の肩書きすべてがポジティブでわかりやすくおちゃめなものになったら、もっと誰しもが生きやすい世の中になりそう、なんてことを思う水曜日の夜。体調が鬼悪いです。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。