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「行為」ではなく「状態」を求める旅行

この週末は、「チルアウトできる」とツイッターで噂になっていた湯河原の温泉旅館に行くことになっていた。

さいきん、ツイッターや友人との会話の中で「チルアウト」という言葉がよく出てくる。出てくるなあと思ってはいたものの、特にその意味を調べることはしなかったので──その言葉の意味をちゃんと知ったのは、この週末旅行でのことだった。

言葉というものは、意味を知らないと使うことができないし、意味を知ったとしても、実感を伴わないと使うことができない。

特に感情や状態に関する言葉はそうだよな、と思う。おもしろい、楽しい、うれしい、寂しい、切ない、もったいない。まったりする、落ち着く、のんびりする。今私たちが日常で当たり前に使っている言葉たちも、成長していく過程で、言葉を知り、手に入れた実感があったからこそ使うようになった言葉たちで。

この週末は、チルアウトとはどういうことか、について、知り、実感する2日間だったなあと思う。

「チルアウト」。落ち着く、くつろぐ、仲間とまったりする。

今回の旅行は、どこに行くが目的でもなく、何をするが目的でもなく、チルアウトすることが目的だった。なので、ただまったりと、その時々にやりたいことをした。

寝たかったら寝るし、起きたかったら起きるし、話したかったら話す。無茶はしない。旅行にありがちな「せっかく来たんだから、行って(やって)おかなきゃ損だよね」ということは一切なかった。行きたくないなら行かない。やりたくないならしない。

そうやって2日間、ただ友人たちとまったりする時間はとても至福で最高だった。そしてその中で、ああ、旅行には「行為」が目的なものと、「状態」が目的なものがあるんだな、ということを思った。

「縄文杉を見るために」とか「瀬戸内国際芸術祭に行くために」とか「誰々に会いにいくために」とか、何かの「行為」が目的な旅行は、これまでの人生の中でたくさんあった。自分が知らない場所に行って、何か新しいものを見て、感情が揺さぶられることはとても楽しいので、そういう旅行は大好きだ。

一方で、「癒されるために」とか、「自分と向き合うために」とか、それこそ「チルアウトするために」とか、ただ「状態」が目的の旅行は、私はこれまであまりしたことがなかったんだなあ、と思った。

だけど今回「チルアウト」という状態が目的の旅行をしてみて──自分の性格的にはむしろ、「状態」を求める旅行の方が向いているのではないか、と思った、のだ。

「行為」ではなく、今自分に必要な「状態」を求める旅行。今年は一人でモロッコに行こうと思っているけれど、あまり行きたい場所や予定を詰めすぎるでもなく、「状態」にフォーカスをした、自由きままな旅をしようかな、と思ったのであった。


ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。