「非日常」を味わうことの意味

ただひたすらに「なんてことのない日常」が目の前にあること、それはすごく素敵でかけがえのないことだな、と思う。

こぎたない居酒屋で気の置けない友人とワイワイお酒を飲んで、ああ今日もお仕事がんばったなあってベッドに入って5分で就寝して、低血圧でちょっと気だるい朝を迎えて、休日になったら行きつけの喫茶店でマスターと話しながらカフェオレを飲んで、お気に入りの映画館で見逃した映画を見て。

自分にとって、なんてことはないけれど壊したくない平凡で幸せな日常。この日常を守りたいと、心底思っている。


ただ同時に、その「日常」が実はとても壊れやすいものなのだ、ということも忘れてはいけない事実だな、と思う。

ある日学校に行ったらクラスメイト全員から冷ややかな眼差しを向けられているだとか、行きつけだったお店の店主が亡くなったことを急に知らされるだとか、その「なんてことのない日常」の終わりはとても容易く訪れる。


わたしたちのこのありふれた平凡は
本当はとてもこわれやすくて
なくさないことは奇跡


これは、魚喃キリコさん『南瓜とマヨネーズ』のラストシーンのことばだ。

このマンガの登場人物たちには正直なところ全然共感できなかったのだけれど、このマンガで描かれている「なんてことのない日常の脆さや壊れやすさ」というそのメッセージには、とても共感した。


そういうことを考えていて、ふと、人が「非日常」や「刺激」を求めることの意味について思いを馳せる。

「非日常な経験がしたい」と思うのは、今の日常に満足していないからなのだろうか。それとも、今の大切な日常をあらためて大切なものだと噛みしめるために、あえてそう思うのだろうか。それとも、単なる好奇心なのだろうか。


私は、人が「非日常」を求めることの意味は、ありふれたなんてことのない日常を守るための儀式のようなものなのだ、と思っている。大切なことはいつだって見失いがちで、それを見失わないためにもちゃんと「非日常」を味わうことは大切なのだ、と思う。

なにげない幸せをいつまでも大切にするための自分なりのちょっとした工夫を考えることは、とても大切で。

いつもよりちょっとおしゃれをしてブルーノートにジャズを聞きに行くだとか、帝国劇場にミュージカルを見に行くだとか、旅行をするだとか。

私にとっては、甘い非日常を定期的に味わうことこそが、ありふれた日常を大切にするためのちょっとした秘訣なのではないかなと思う、火曜日の夜なのでした。鼻のバンソウコウが取れてハッピーです。

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あかしゆか

よもやま雑記

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