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優しい文章を書く人

文章は、書くよりも読む方が好きだ。
そして、いろんな人の、いろんな文章に感動を覚える。

ARuFaさんや菊池良さんのように、お腹がよじれるくらいおもしろい文章。鳥井弘文さんや日野瑛太郎さんのように、分かりやすくいつも気づきや視点を与えてくれる文章。穂村弘さんや岸本佐知子さんのように、爆笑ではないけれど思わずクスッと笑ってしまうようなユニークな文章。角田光代さんや山崎ナオコーラさんのように、共感やときめきをくれる文章。吉田篤弘さんや木皿泉さんのように、ホッとさせてくれる文章。町田康さんのように、衝撃と鳥肌が止まらない文章……。

どの方の文章もとても好きで、ああ、いいなあ、好きだなあ、私もこういう文章を書けたらいいのになあ、とよく思う。

そんな中でも私が憧れるのは、優しい文章を書く人だ。

読むと心が洗われて、なんだかちょっと切なくて、どこか少し懐かしいような文章を書く人に、たまに出会うときがある。

私が必ず読むWeb連載の人々も、思い返せばそういう文章を書く方たちだなあ、と気づいた。ブロガーズコラムを書いていただいている、はせおやさいさんも、そうだ。


そして私が今までの人生の中でいちばん優しく、脆いからこそ強いと思い、涙がついつい出てしまった文章は、早川義夫さんの文章だ。

これらは大学時代本屋で働いているときに出会った本たちで、何度も何度も読んだ本。弱さとか不完全さがあってもいいんだと、はじめて(遅い)気づかせてくれた本。今でも定期的に読み直す。


恋をしていいのだ。叫んでいいのだ。歌を作っていいのだ。恥をかいていいのだ。答えはなくていい。答えを出すために生きているのだ。僕たちは生きている最中なんだ。そう思った。過去を歌うのではない。明日を歌うのとも違う。今を歌っていくのだ。

一生懸命やること。そこに誤魔化しや妥協をしないこと。出来ることだけを出来るようにやること。当たり前のことを偉そうにやらないこと。ひたむきであること。いつも新鮮であること。自分の感覚を信じること。友達や仲間の助けを素直に受け入れること。実際はカッコ悪くてもカッコよく生きようとすること。

いい人に出会えば、いい人になれる。いい歌に出会えば、いい演奏ができる。いい音に出会えば、より歌える。いい言葉、いい映画に出会えば、心が澄んでいく。信じられなくなったら、不潔に思えるようになってしまったら、終わりである。


優しい文章にこれからも触れていたい、とあらためて思う。
今日はちょっといいことがあって、明日からもがんばろうと思っている、そんな火曜日の夜。


ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。