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おとうさんの涙

おとうさんの涙を見たことは2度ある。1度はTVドラマ『よいこの味方』の最終回を見たとき(なぜか鮮明に覚えている)、もう1度は愛犬クーが死んでしまったときだ。

おじいちゃん、つまりおとうさんのおとうさんが死んだときでさえおとうさんは泣かなかったのだけれど、クーが死んだときにおとうさんは泣いた。

今日は、愛犬クーとおとうさんのことを書きたいと思う。


うちはおばあちゃんがペット大好き人間なので、犬や猫やインコ等々、実家ではたくさんのペットを飼っていた(インコに関しては私が生まれる前なのでつい最近まで知らなかったのだけれど)。

私が生まれてから飼ったペットたちは、ペルシャ猫のサム、アメリカンショートヘアのサリー、ヨークシャテリアのテリー、そしてアイリッシュセッターのクーだった。おとうさんは小さい可愛らしいペットがあまり好きではないらしく、それらのペットのことをあまり可愛がってはいなかった(どれくらい可愛がっていなかったかというと、定期的に「クソ犬!」と叫ぶくらい)。


テリーが死んじゃったとき、おばあちゃんは「もう絶対に犬は飼わない」と言った。たしかにそう言ったのだけれど、私が中学生だったある日、家に帰ってくると1匹の大きくて可愛い、そしてちょっと汚い犬がひょこんといた。

「買い物してたら、ついてきちゃってねえ」とおばあちゃん。買い物した帰り道、自転車を漕いでいてふと後ろを振り返ったら、犬がついてきたのだそうだ。

つまるところ、何かしらの理由で捨てられた野良犬だった。お医者さんに連れて行くと「まだ0歳ですね」と診断された。犬種はアイリッシュセッターで、私が四つん這いしたのと同じくらいの大きさまで成長するとのこと。明石家にとって、はじめての大型犬だった。

「名前をつけなあかんなあ」とつぶやくおばあちゃんの横で、私はジュースの「Qoo」を飲んでいたからボソッと「クーでいいんちゃうん」とつぶやいたら、それがそのまま採用された。その日から、野良犬の彼女は明石家のクーになった。


クーはもともと野良犬だったこともあり、本当によく脱走した。うちの実家は民間の車検工場なので工場で放し飼いにしていたのだけれど(それが悪い)、それはもう、すぐにあちらこちらに脱走した。クーの走るスピードが速いのなんの。町内のいろんな人を巻き込んで「クーを捕まえろー!」「また明石さん家のクーちゃんが逃げたぞー!」と叫び、走り、クーの脱走劇は地元の恒例イベントのようになっていた。清水寺にあるお墓にも毎シーズン一緒に行ったけれど、そこでもクーは脱走し、周りの観光客は目を丸くしていた。

クーは色気がある犬でもあった。色気というか、頻繁に発情していた。お尻をなすりつけてきてクネクネするのである。犬にも性欲があるのだと知ったのはそのときが初めてだった……という話は置いておいて、なんといっても、クーはチャーミングでセクシーで、いつまでたっても可愛かった。


そんなクーのことを、おとうさんは心から愛していた。言い方が悪いけれどおとうさんは子育てにはわりと無関与な人で、車とゲームしか愛していないんだと思っていた。だからおとうさんがクーのことを本気で可愛がり、ときに本気で心配し、毎日一緒にいるのを見たときには心から驚いたし、おとうさんがこんなに人間らしい表情をするなんて、と思った。

おとうさんはクーと片時も離れなかった。テリーのときはお願いしても絶対散歩になんて連れて行かなかったくせに、「クーと散歩行ってくるわ」と自ら率先して散歩に出かけた。


そんなクーが死んでしまったとき、おとうさんは涙を見せた。その涙が私には、今でも忘れることができないのだ。

元々迷い込んできたワンコですが、しかし、だからこそ一緒に過ごした 7年余りの年月は、まるで天からの授かり物だったように思え、そのことを何とか形にして残したいと考えました。

場所は勿論玄関口。
実質的には墓標なのですが、あからさまにはそうとせず。
一見建物の定礎のような素材・様式を選び、ただ淡々とした英字の碑文を刻んで貰ったのでした。今では脇に植木鉢が置かれ、花に囲まれた中、ひっそりと往時を偲んでいます。


つい先ほどおとうさんがこんなことを書いているのを見つけ、そして愛犬クーの前で見せたおとうさんの涙のことを思い出し、私は、おとうさんやおかあさんのことを何も知らないな、と思った。

次に帰省したら、ちゃんと話をしようと思う。家族でワイワイごはんにいくのではなく、ひとりの大人と大人として、対話がしたいなと思う。どんなときに泣いて、どんなことに苦労して、どんな恋愛をして、どんなことに今悩んでいるのか、ちゃんと話そうと思う。

そしてまたいつか、違うおとうさんの涙が見たいなと思う。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。