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待つ、動く、そして出会う

傘を持っていないときに雨が降ってきて、周りに雨宿りできる場所が見当たらなかったとしたら私はどうするのだろう、ということをふと考える。

じっとそこに立って雨が止むのを待ってみるか、それとも、とりあえずあてもなく動き回ってみるか。

この両者だったら、私はきっと「動き回る」ことを選ぶ。


基本的に私は何においても「じっと待っている」ことができないので、常に動き回りながら生きている。大学時代もいろんなバイトを経験しないと気が済まなかったし、いろんな人に常に出会いたいと思っているし、おもしろいことには積極的に巻き込まれていきたいし、人生がいろんな興味あることであふれている。

何かに出会うためには「待つ」よりも「動く」ことが大事だ、と思っていて、その考えは、昔から今もあまり変わってはいない。


2週間ほど前、倉敷に旅行に行った際に「蟲文庫」という本屋さんを偶然に見つけた。ひっそりと、でも堂々とした佇まいで、女性が1人で営んでいるお店だった。一番目立つ平台の左端っこに、ひっそりとその店主の女性が書いたらしい『わたしの小さな古本屋』という本が3冊ほど積んであるのを見つけた。

一番目立つ平台の、一番目立たない場所に自分の本を置いている、というその事実自体がとても好きだったし、解説が私の大好きな早川義夫さんであったことも後押しして、蟲文庫ではその本を含めて5冊ほどを購入した(先週の大雨でもお店は無事だったようで、本当によかった)。

帰り道の新幹線。パラパラと本をめくっていると、次のような一節に目を奪われた。

「店は、はじめるまでの、ああしよう、こうしようと考えているときが一番楽しいんよね。開けてしまったら、もう毎日が同じことの繰り返しで」

これは、店をはじめる準備をしていたとき、ある先輩業者から言われた言葉です。「そんなもんかなぁ」と思いながら、それなりの苦労と努力の期間を経て開店にこぎつけ、いざ店番生活をはじめてみると、それはあまり当てはまっていませんでした。(中略)

もともと、じっとしているのが好きなのです。しかも、じっとしているだけで、誰かが訪ねて来てくれたり、本を売りに来てくれたりして、だんだんとお店らしくなっていくのです。ああ、なんて楽しいんだろう、とそう思っていました。(中略)

たぶん人には、自ら動き続けることでいろいろな事柄に出会うタイプと、じっとしていることで出会うタイプ。おおまかに分けて、この二通りあるのではないかと思っています。

「自ら動き続けることでいろいろな事柄に出会うタイプと、じっとしていることで出会うタイプ。おおまかに分けて、この二通りあるのではないか」。

なんだか言葉にしてみればすごく当たり前なのだけれど、この言葉を見て私はハッとした。「待つことで出会う」という選択肢が、今までの私の人生には、あまりなかったな、ということを思ったのだ。


冒頭の雨の話に戻りたいと思う。

雨は、降っている間じっと待っていても、動き回っていても、結果的に雨に濡れる量は同じだ、という。じっと待っている方が雨に濡れると思う人も、動き回っている方が雨に濡れると思う人も両方が存在すると思うけれど、でも、両者とも出会う雨の量は「同じ」なのだ。

そうであるならば、人生の雨に濡れる量──すなわち人生で出会う人の数というのもその人それぞれで既に決まっていて、「待つ」か「動く」かは、もしかしたらあまり関係ないのかもしれない、ということを思ってみる。

「待つ」ことで見つかる出会いも、「動く」ことで見つかる出会いもたしかに存在する。それであるならば、「待つ」か「動く」かは、その時々の自分の感性に任せてもいいのかもしれない。

今は動いているのがとても楽しいけれど、でもいつか、私もどこかで「じっと待つ」ことをしてみるのも、それはそれでいろんな出会いがあってきっと楽しいのだろうなあ。「出会うためには動かなければ」という自分の考えは捨ててみてもいいかもしれない、と思う木曜日の夜なのでした。夏だね。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。