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「定点観測」の習慣を。

見逃してしまっていた映画『パターソン』を見た。

なんというか、見終わったあとにじんわりと心があたたかくなり、日常のふとした瞬間に登場人物のことを思い出してしまうような、不思議な感覚のする、すごく好みな映画だった。

この映画は、詩を書く一人の男性パターソンの日常が、月曜日から日曜日まで定点観測的に描かれている。

劇的なハプニングがあるわけでもなく、ストーリーにものすごく大きな起伏があるわけでもない。パターソンを中心に、個性的な嫁、飼っているブルドッグ、ちょっと不幸な仕事の上司、バスの中での乗客の会話、行きつけのバーの常連カップルの一悶着……。ゆるやかにゆるやかに、物語は進んでいく。

そしてその中で緻密に描かれていたのは、「日常の中にあるさりげない変化」、だったように思う。


さいきん、下記のエントリがタイムラインに流れてきたので、何気なしにページを開いて読んだ。

それは、ある人が毎日の朝食(目玉焼きとソーセージ、トースト)を2年間食べつづけ、その写真を撮り続けた記録だった。

いいなあ、と思った。もちろんその「習慣自体」も非常におもしろいのだけれど、その中にある「ささやかな変化(この日はソーセージが3本だとか、この日のトースターはちょっと厚いんだなとか、いいジャムを買ったんだなとか)」が、とてもいいなあ、と思ったのだ。


これらを通じて思ったのは、「定点観測はおもしろいな」ということだった。

何気なく過ごしている私たちの日常には、思ったよりもたくさんの習慣がある。ただその習慣は、同じ習慣であったとしても「ずっと完全に同じ」なわけではなく、少しずつ、自分の意識しないところで変わっていたりする。そして、その中に物語がある。

自分の日常の中にあるささやかな変化に目を向けること。そのために、定点観測的に何かを記録してみる、ということ。

習慣は習慣でも、「100円玉貯金をする」とか「毎日カフェラテを飲む」とかではなくて、「定点観測をして記録する習慣」を私も何かやってみたいなあ、と思った日曜日の朝なのでした。二日酔いです。


ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。