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無意識に「意識する」ための習慣

人の意識はすごいんだよ、という話を、大学生のとき心理学の授業で教わったことがある。

たとえば、いろんなマークが描かれた1枚の絵を10秒間見せられて、そのあとに「さて、この絵の中に★はいくつあったでしょう?」と聞かれても、人はなかなか★の数を思い出すことはできない。

けれど、「★に注目してね」と言われてから同じ絵を同じ時間だけ見てみると、あら不思議、★だけがクッキリハッキリと鮮明に浮かび上がって見えてくるのである。

こういった現象を、心理学では「カラーバス効果」、と言うらしい。人は、意識しているものだけを見て生きている。たしかに思い返してみると学生時代、好きな人のことはいつだって大勢の中からでも見つけることができた。

人の意識はすごいんである。


私は意思が弱くあまのじゃくな人間なので、自分に対して「必達目標」を課すことがすこぶる苦手だ。もちろん、仕事の締め切りだとか、誰かにお願いされたものに対してはしっかりと取り組むけれど、そうではない「自分に対して」の目標に対しては、ものすごくものすごく甘ったれ。

たとえば夏までに3キロ体重を落とす、だとか、毎日noteを更新する、だとか。

「○○しなければいけない」状態に自分が陥った瞬間に──なんだかムズムズともどかしく、早くその場を逃げ出してしまいたくなる。目標に支配されているような感覚に陥ってしまう。それが分かっているから、私はそういった目標を立てることがない。

私は意思が弱く、あまのじゃくな人間なのだ。


けれど同時に、貪欲な人間でもあることに気づいている。文章は定期的に書いていたいし、おもしろい情報に出会うためのアンテナも鈍らせたくないし、太りたくないし、少しでも長く綺麗でいたい。

怠惰だけれど貪欲──。そんな私がマイペースに頑張れるコツは、「無意識に意識する習慣」があることなのかもしれない、と先日ふと思った(これも無意識に)。


私はnoteに、「下書き」をものすごくたくさん作っている(数でいうと80個くらい)。自分が「おもしろいな」と思う具体的なエピソードに出会ったときに、そのエピソードのどこが面白かったのかを抽象化して言語化し、メモや下書きにとりあえず記録している。

そうすると、その現象は頭の隅っこに記憶されるので、それに紐づくエピソードに日常的に敏感になる。これはまさに、言葉のカラーバス効果。文章のエピソードを集めるための「意識」が、「下書き」があることによって無意識にされるのである。


たとえばこのnoteを書いたきっかけは、「無意識に意識する」という下書きを、いつかの自分が書いていたからだった。

そして今日、朝に私の毎日の習慣である「体重計に乗った」ときに──「あ、これも無意識に意識するための習慣だな」「あ、note書けそうだなあ」と思ったのだ。

(余談だけれど、毎日体重計に乗ると、無意識に自制心が働くので、本当に太らない。無意識に、「今日は+1キロだったから、ビールは一缶にしといたほうがいいぞ?」と意識している自分が生まれるのである。)


このように、自分が得たい何かを達成するための「意識」を「無意識的に」醸成してくれる習慣は、マイペースな貪欲人間にとても向いているのではないか、と思う火曜日の夜なのでした。関西の台風が心配です。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。