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『ア・ゴースト・ストーリー』:アーカイブする亡霊たち【1/2 an Hour Challenge Essay】

11月に見た映画の中でかなり強烈な印象を残したのが、『ア・ゴースト・ストーリー(原題『A GHOST STORY』)』だ。昨年のサンダンス映画祭で注目を浴びた作品で、私も予告を見て釘付けになってしまった。なんといっても、シーツおばけが可愛すぎる。

シーツをかぶったおばけ役をケイシー・アフレック、その夫に先立たれる妻をルーニー・マーラが演じている。監督はデヴィット・ロウリー。ちなみに製作は『レディ・バード』や『ムーンライト』など、ヒット作を飛ばし続けているスタジオA24。

この映画の前情報はほとんど頭に入れず、シーツおばけ(以下ゴースト)と女性の切ないラブストーリーだと思って映画館に行った。しかし、それは全くの間違いというかラブストーリーは物語のテーマの一部でしかない(というか、結構前半の方であっさりと終わってしまう…)。とはいえ、単なる泣けるラブストーリー以上の壮大な物語があり、困惑さえしてしまうほどの良作だった。一体この作品についてどう語ったらいいのだろう?

【あらすじ】
アメリカ・テキサスの郊外、小さな一軒家に住む若い夫婦のCとMは幸せな日々を送っていたが、ある日夫Cが交通事故で突然の死を迎える。妻Mは病院でCの死体を確認し、遺体にシーツを被せ病院を去るが、死んだはずのCは突如シーツを被った状態で起き上がり、そのまま妻が待つ自宅まで戻ってきた。Mは彼の存在には気が付かないが、それでも幽霊となったCは、悲しみに苦しむ妻を見守り続ける。しかしある日、Mは前に進むためある決断をし、残されたCは妻の残した最後の想いを求め、彷徨い始めるーー。
映画公式HPより)   


以下ネタバレが多く含まれるエッセイなので、ぜひ映画を観終わってからどうぞ。


【夫婦から始まる「蓄積」の物語】
「小さいころから引っ越しが多かった。それで楽しかった思い出を書いたメモを小さくたたんで、家に隠しておいたの。そうすればいつか戻った時、自分の一部が待っていてくれるから」

その夜、2人は誰もいないはずの居間からピアノの音が鳴ったことで目が覚める。居間へ行き、何事もないことを確認するとまた寝室に戻る。しかし、翌朝夫は自動車事故で死んでしまい、2人は二度と一緒に眠ることはなかった…。

死んでゴーストとなった夫は、夫婦の家に帰ってくる。ここでかなり重要なのが、妻がキッチンに座り込み、延々とチョコレートタルトを食べ続けるシーン。とにかく気が狂いそうなくらい長い。せっかちな私は、その長回しにイライライライラしてしまったが、ルーニー・マーラの感情を押し殺したような、それでもこぼれ落ちてしまう悲しみの表情はさすがとしかいいようがない。これは生きている人間と、ゴーストの時の流れ方の違いを体感させてくれるシーンだ。ゴーストにとって一瞬に感じる時間も、人間の側に立てば気が遠くなるほど長い。特に悲しみの真っただ中にいる人間は、時の檻の中に閉じ込められたかのように感じられるだろう。

このあと観客はゴースト側に立って物語を注視していくことになるが、ゴーストになってからの時間の経過の仕方は尋常じゃない。一瞬で一日が終わって、気がついたら全く知らない人が家に引っ越してきている。ゴーストと自分を重ね合わせ、今私どこにいる?いつ?私はなにしてるの?という、奇妙な浮遊感に包まれた。

【土地の記憶と、口ずさまれるストーリー】
妻が家を出ていき、新しい住人が家に住みだすころに浮き出てくるテーマ。それは「土地の歴史とは?」「なぜ人は曲や物語を残すのか?」という2点だろう。愛の物語から一気に飛躍。

ゴーストの住む土地(家)に入れ替わり立ち替わりやってくる新しい人間たち(ゴーストにとっては、それも一瞬の出来事なんだけど)。で、あるパーティーの夜、なんか説教ぶったおじさんが語り出す。「人類には今後色々な災難が起きて、いつか地球もなくなる。でもそれを逃れた人々がいつか、昔に残された曲や物語を語りついで、口ずさむんだ。それはとても素晴らしいことだと思う」と。

ゴーストは、人間の住む時間の流れの外側から彼らをじっと見つめる。彼ら自身だって意識しないうちに、その場所の記憶にアーカイブされていく作品のようなものだろう。もし人間がアーカイブ役を担ったら、誰かが誰かを記憶(記録)していないと、彼らは忘れ去られ、なかったことになってしまう(映画『リメンバー・ミー』はドンピシャでそういう話だ)。しかし土地は静かにすべてを記憶していくことができる。人間はそれに触れることはできないのだが。

ここでハタと気づく。人々の存在の記憶はミルフィーユのように重なっていき、土地の中にアーカイブ化されていく。しかし当事者たちは自分の「今現在」のことしか知ることはない(正確には知ることができない)。自分の立っている場所に100年前誰が生きていたかなんて、気にも留めない。
でも一方で人間にも個人史というアーカイブがある。それは、ある人間自身、そしてその周りのごく身近な人物しか触れることの出来ない些末な記憶の断片。それに触れられた時、後世の人間は時空を超えた恩恵を受けることになる。それをアーカイブしてくれるのは、音楽であったり、物語のような作品たちだ。読者はその時代と空気でしか生まれえない作品に、未来で出会う。誰かの過去に触れられた人間は、分厚いミルフィーユにナイフを入れることが出来るのだろう。

【循環する時間を断ち切るには】
この話に一番驚かされたのは、実は「時は循環していた」というオチだ。記憶は積み重ねられ、時間は一方向に進むと思わされていた。しかし、土地の記憶の中では時間は円環状のものになっていたらしい。そう、あの時の謎の物音も実は…。そして、いわゆる地縛霊となったゴーストだったが、あるものをついに手に入れて、その時間軸から逃れることになる。

結局、後世に残された作品というのは、忘却を恐れる作者のためのものではなく、未来のために過去を掬い上げる読者のためにあるのだろう。私たちは決して地縛霊のようになってはいけない。アーカイブは土地と物語にお任せして、未来へ進もう。


※1/2 an hourということで、30分で映画エッセイを書こうと思ったけれど、第一回目から an hourかかってしまった…。次回はもっとライトにやろう。

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