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瀬戸内にて『喜嶋先生の静かな世界』と卒論。

大学生の務め、それは単位を取ること。
どうも、1ミリたりとも予断が許されないサボり分を見事に回収。かつての「受験燃え尽き症候群」発病者が、島国に浮かぶ島国、四国は安藤サクラ主演映画『0.5ミリ』の舞台、高知県より夜中の2時をお報せ致します。

彷徨うに、目的も、大義も、名分も。もちろん金もない貧乏旅は現在名古屋から四国へ、言葉どおりに河岸を移して瀬戸内海。出発前は欅坂46の選抜をどうこう言っていたくせに、今やSTU48に思いを馳せたりなんかして。どうする安倍内閣、どうするHiHi jets。唯一の情報源は飲み屋の小せえテレビですから、そんなことより眼前の鰹に夢中。以外にうまい、かめのては貝。
 
***

この夏最初の旅はゼミ合宿でした。二泊三日、電車で2時間の大学施設は当然何の味気もない、無味無臭の時間と金の消費行動という逃避行。
飲み会なんて開催されたことないクールゼミの、何を目的にするでもない履き溜めゼミによる、自然極まりない超健全退屈ファッキンゼミ旅行。
スーツケースをガラガラガラガラ、ガラガラガラ柄本明ですよ。エモトじゃなくてガラモトですよ。意味わからないでしょう、俺も俺も。卒業論文中間報告会と題した合宿ですが、基本的にどんな会も、貝も、嫌いな性分ですから(かめのてはイケてた)なんの準備もせず、前日の夜のやっつけ資料を手に発表。
昨日やっつけたはずの資料が、翌日に一番の味方になる状況に感動して、思わずジャイアン現象なんて名前つけちゃいました。

「君のこの資料は、読書記録であって研究じゃない。ダメだよ」

「ジャイア〜〜〜〜〜ン!!!!」

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森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』

いやぁ、そろそろ君も卒論を始めないと駄目じゃない。
あれ?じゃあ今までのは卒論じゃないんですか?
ただ、本を読んでいただけだよ。研究じゃないでしょ?

なんて先輩に言われていた主人公が、研究室で出会った喜嶋先生について書いた小説は、森博嗣本人の自伝と妄想が絡まった作品とされている。
朝から晩まで研究室にこもり、数学的なデータを分析する主人公の眼前には、常に喜嶋先生の背中があった。

この本で描かれる研究者像は、(それを途中でリタイアしてしまった後悔を筆者が抱いているということの証明でもあるが)作品の題名となって現れている。
『静かな世界』であって、『静かな生活』ではないのだ。

いられるだけここにいよう。自分の限界が知りたい。人間の限界を垣間見たい。それ以外のもの(生活)が犠牲になってもいい。

それほど研究熱心だった主人公もやがて、大学に勤めるようになる。
研究は続けた。
だけど「栄誉」「実用」「稼ぎ」そして「生活」選択肢がいくつも現れる。
どれを選ぶかではない。選択肢が見えてしまった時点で、研究者の王道から逸れている。

喜嶋先生はいつだって研究者だった。
知れば知るだけ知らない、ことを体現し、ボロボロのアパートで本に囲まれて生きて、優秀ながら助教授という立場に居続けることで大学教授という「政界」に参加しない。頭がおかしい人種と揶揄されようが、つっけんどんな物言いを恐れられようが、関係ない。

そして、主人公は教えてくれる。喜嶋先生ほど穏やかな人はいないと。「飾りではなく、内容のある言葉」と先生自身がおっしゃるように、言葉とは理論であって感情ではない。意味ではなく、スタイルだけを捉えるから、感情の勘違いされる。
研究と自分しか存在しない先生の世界は、いつだって静かだった。

***

 
ジャイア〜〜〜〜〜ン!!!!
 
どうでしょう、僕の感情は伝わりましたか。

じゃあこれはどうでしょう。

「あー・・わっがまま娘―・・・・あー・・これっからーもぉむーすめー・・・・一生懸命恋しましたー、サンキュー・・・・・・」
 
キャリーケースをガラガラガラガラ引きずって、久しぶりに実家に帰るあの人が口ずさむ「ハッピーサマーウェディング」は果たして。

言葉を発する人の表情、間合い、語気。状況を乗りこなして物語が生まれることにワクワクする自分は、もしかしたらそれに重きを置き過ぎているのかもしれない。

分かってはいる。研究するということは、何をするか自分で決めるということ。
与えられた宿題とは違う。

分かってはいる。

大学生の務めは単位を取ることじゃない。

分かっては、いる。

<今日の一曲>
椎名林檎 「走れゎナンバー」



 
 
 

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