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2021年”日本カメラ休刊”。日本カメラ社解散。…ああ、ひとつの時代が終わった。な。

日本カメラがついに休刊になった。昨年のどさくさアサヒカメラの休刊は驚いたが、日本カメラが休刊することは、そうか、やっぱり、あんなに頑張っていたのになって、素直に思った。残念。写真誌はまだいくつか残っているけれど、アサヒカメラ、カメラ毎日など、連綿と日本の過去の写真文化を地道に継承していた日本カメラの、この数年は最後のあがきだったのだろうかと思えた。少ない編集者で、懸命に存続の努力を重ねてきた、編集者の全員に敬意と、ごくろうさまと真に言いたい。そして、まだ写真が死んだわけじゃないので、いや、もしかしたら写真は新しい局面に来ているだけのことで、実際そうなのだから、あらたな写真を創造するために、さらに力をかしてほしいと願ってます。なんてちょっと偉そうかな。

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僕が日本カメラに初めて掲載されたのは、1986年ぐらだったかな。ちょっと資料が見つからないので、たしかニコンサロンでの二回目の写真展、1986年「American Heads」だったろうか。モノクロ写真だ。その前に1972年のカメラ毎日のアルバムに掲載され、アサヒカメラは1974年、独立した1975年からは、いくつか掲載されたこともあったが、そのころはあまりカメラ雑誌に興味がなく、1985年の最初のニコンサロンでの写真展以後のことだ。その年「カメラ毎日」が休刊した。

そのころから仕事(広告や雑誌)と、写真誌を両立しようと思い始めた。人物写真はアサヒカメラで、スナップなどは日本カメラにと、かってに分けていた。
1992年、日本カメラの編集長から来年1年表紙をやってくれないかと打診があった。そのころは、年に一回アサヒカメラの表紙と口絵を撮っていた。たいてい年の終わりごろの号だったから、両方やるのに問題がないと思った。ところが受けた後、すぐにアサヒカメラから新年号の表紙と、口絵の依頼がきてしまった。
アサヒカメラと日本カメラの新年号で表紙。2誌同時はかっこいいけど、ちょっと節操がないなと思い、素晴らしいチャンスだったが、アサヒカメラの新年号の表紙と口絵を選び、日本カメラの表紙は断った。
その後、日本カメラは疎遠になり、アサヒカメラばかりやっていた。編集長の河野さんとは写真展やイベントでよくあっていたので、いや何か一緒にやったかもしれないが、2002年、ライカを持った安珠を表紙で撮りたいとのことで初めて日本カメラの表紙を撮った。それが上の写真だ。そのころになると、アサヒカメラの新しい編集長とそりが合わず、日本カメラを主戦場にすることになった。
そんな2008年かな、月例、日本カメラフォトコンテストのカラープリント部門の選評を1年間することになった。僕は、大学から写真を本格的に始めたので、それまでカメラ雑誌を読むこともなく、写真をコンテストに応募することもなく、雑誌のコンテストページを見ることもめったになかった。
それらはアマチュアの写真でプロである自分とは違う世界のことだと思い込んでいた。
そんな僕が審査をすることになった。
月一度、数千枚のカラープリントが編集部の机の上に積み重なった。日本カメラの場合、選者はその全部にひとりで目を通す。編集者は、応募作の整理と選びやすいように並べるだけだ。たいへんだけれど全部を見ることが面白かった。ちょうどアマチュアの世界での、銀塩からデジタルの変わり目で、すでに多くはデジタルカメラだったけれど、まだ銀塩カラープリントが多かった。しかもコーリティが高い。
まだインクジェットプリントは技術の未熟さが目についた。応募者は圧倒的に50歳以上だった。
そのなかで、自分の娘を撮っている、40代の赤松幸生といはらほつみがいた。赤松が断トツでカラープリント年度賞を取る。いはらほつみには、その年のベストな一枚、最高賞をあげた。
ところが赤松はその年、アサヒカメラでも年度賞をとった。僕はアサカメのコンテストを見ていなかったので、見ていたら選ばなかったかもしれない。その二人に、日本カメラの表彰式のパーティで、月例だけじゃなく、写真展をするようにと勧めた。
結局、アサヒカメラで赤松君と競っていた下園昌彦と3人で、喧嘩のようなミーティングを重ね、キヤノンギャラリー銀座での写真展を僕がプロデュースした。
その後、赤松といはらは、AYPC(ALAOYOKOGIPHOTOCLUB)立ち上げの、設立メンバーになった。

日本カメラではいくつかの思い出深い作品があるが、2015年、前妻の娘LEONAの、UCLA卒業式に参加したときの写真、表紙と口絵14ページが掲載された。この作品を紹介して、日本カメラとその関係者に、お礼のかわりとしたい。

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