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名言は自分に必要なものだけ取り入れる

名言を読むのが好きです。

自分に刺さる言葉、響く言葉に出会うとすっきりした気持ちになるし、涙が込み上げてくることもあります。

"置かれた場所で咲きなさい"

という言葉がありますが、わたしはあまり共感できません。

"置かれた場所"という表現自体が自分で環境を選んでいないようで、受動的に生きているように感じます。

「我慢しなきゃならないような環境」に身を置いてしまっているのなら、自ら生きやすい環境を探すために移動したらいいんじゃないか、と思うからです。

これを言うとそもそも、みたいな話にはなってしまうけれど。

どちらかというと、

"全開で咲ける場所を全力で選ぶ"

わたしはこう生きたい。
合わないと思ったらすぐ環境を変えたい。

心地よく生きれる環境はこの世のどこかに絶対あると思っているからです。そして、それは自分で選ぶことができるとも思っているからです。


と、ここまで書いて、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を検索してみました。そしたらこんなnoteに辿り着きました。

すでにタイトルから、"「その場所で我慢しなさい」ということではない"と。

そ、そうなの……!?

これは私の言葉の解釈の仕方がそもそも違ったのかも…本当の意図を知らずに思い込んでいたのかも…と思いました。

原文の英語の詩の島田さんの意訳は、

「置かれた場所で諦めず、最善を尽くすことで、幸せになりなさい。それがきっとあなたの周りの人をも幸せにするから」

人によっては、置かれる場所を選べない人もいるのかあ…と。たしかによく考えると、たとえば子どもは自ら生きる環境を選べないよなあ、と。

でもどんな環境に身を置いても、"幸せ"でいることは自分で選べる。

腐るか最善を尽くすか、自分で選ぶことができる。

それなら最善を尽くす方を選びたい。


この詩の原文、ラインホルド・ニーバーの詩のタイトルからとられていると。初めて知った。びっくり。

「ニーバーの祈り」、大好きなんです。

ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
ラインホルド・ニーバー(大木英夫 訳)

一部抜粋ですが、これ、本質だなと思うんです。

これを書いた人がつくった他の詩の題名からとられたのが「置かれた場所で咲きなさい」とは…

知れてよかったし、知らずに表面だけで判断すると誤解するなあ、、と勉強になりました。

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