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<兄の話:13杯目>兄の失踪

兄の保証人問題がどうなったのか知らないまま、高校を卒業したわたしは就職先の社員寮に引っ越した。
実家と同じ市内だが頻繁に行き来きする距離でもなく、父の威圧感から解放されて毎日楽しく暮らしていた。
寮に入って何週間か経ち、仕事にも慣れ始めた頃に兄から電話があった。
今すぐお金を貸して欲しいと言う内容だった。
まだ給与も出ていないので、アルバイトのお金で用意した数万円しかないと伝えると、1万円でもいい、2万円でもいいと兄が言う。
仕方ないと思い了承すると、今から車で取りに行くと言い出した。
電話があったのは深夜で、実家から寮までは車で片道2時間ほどの距離。
来るなら来たらという気持ちで待っていたのだが、当時は今の様に24時間コンビニ等でお金を簡単に下すことができない。
この時は深く考えず、やって来た兄にキャッシュカードを渡し、朝現金を下したらキャッシュカードを夜返しに来てとお願いしてしまった。
さすがに返しに来てくれると当時のわたしは思っていたが、当然返しに来なかった。
以降何度電話しても兄が電話に出ることはなかった。
通帳と印鑑は手元にあるので、幾ばくか残ったお金は自分で引き出しておいた。

そして1週間ほど時間が過ぎ、わたしの給料日がやって来た。
会社に勤めて初めての給料日だ。
初任給何に使おうなどと話しながら、昼休みに同僚と銀行の支店に向かった。
通帳を記帳する為、みんなでATMに並んだ。
わたしの番がやってきて、膝から崩れそうになった。
記帳後の残高は数百円だった。
初任給は確かに振込みされていたが、わたしが記帳する前に引き出されていた。
念の為、行員の方にお願いして調べてもらったが、市内のATMで引き出されたと言われた。
幸いなことに寮費と日に3回の食堂費は天引きだったので、手元にあるお金で次の給料日まではなんとか凌げる。
それでも初めての給与を引き出されたショックはかなりのものだった。
暗証番号変えれば良かったとか、色々と後になって頭に浮かんできたが後の祭り。
兄に電話したところで出るわけがないと思い、実家に電話をしてそれとなく兄がどうしているか尋ねてみた。
数日前から家に帰ってきていないと母から聞かされ、母からも何かあったのかと尋ねられた。
なんでもない、また暫くしたら帰ってくるんじゃないのと言って電話を切った。
それから1年、2年過ぎても兄が実家に戻ってくることはなかった。
兄は借金から逃げたのだ。
わたしの初任給は失踪の軍資金となったわけだ。

その後、兄が市内の繁華街で客引きしているのを叔父が見た、とか、叔母の携帯に電話があったとか、度々生存を確認できる様な話を聞いたが、両親とわたしの元には何一つ便りがなかった。
働いているならいいとか、知らせがないのは生きている証拠だと父も母も言っていたが、わたしはまともになる気があるのかどうかの方がずっと気になっていた。
借りたものは返さなければならない。
逃げだした先で働いて、借金を少しづつでも返しているならいいなあと考えていた。
それから何十年経っても、兄が戻ってくることも連絡が来ることもなかったが、17年後にわたしと兄は東京で再開することになる。


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