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<兄の話:7杯目>前に進んだと思えた数日間

見舞いに行った翌日、ソーシャルワーカーさんから電話を頂いた。
内容は、福祉事務所のケースワーカさんが話を伺いたいということで、わたしの電話番号を伝えたこと。
もう一つは、転院先の目星が付いたという報告だった。

ソーシャルワーカーさんと面談した際、わたしの連絡先を福祉事務所の方に伝えて頂いて構いません。と、元々話をしていたので、何の問題もなかった。

転院先の件は、A区A病院が受け入れ可能ということで、生活保護が決まればすぐに移れますと言われた。
アルコール依存症について調べていた時、都内で対応している病院のHPをいくつか閲覧していたのだが、A病院もその内のひとつだった。
広い庭がある大きな精神病院だ。
閉鎖的な病院だったら可哀想だと思っていたので、電話口では平静を装って返事をしたが、内心ほっとした。
本人の承諾が取れない状況なので、家族の希望で宜しいですかと念押しされたので、「はい、お願いします」と即答した。
転院時は介護タクシーで午前中に移動する、わたしが付き添うことになると説明を受け電話を終えた。

さらに1日置いて、福祉事務所からも電話を頂いた。
ソーシャルワーカーさんとの面談前と同様に、どんな人かと不安だったが、とても丁寧に話してくださる、これまた優しそうなケースワーカさんだった。
詳しい話は省略するが、制度の説明や、簡単に事情を確認され、『照会書類を送るので返送してくださいね』と、お願いされた。
兄とも翌日面談すると聞き、同席したかったのだが、仕事の打ち合わせと時間が重なっており、叶わなかった。
面談当日、夕方頃に報告しますよと申し出てくださり、約束通り電話を頂いた。

一応申請の意志は確認できたので手続きを進めますとのことだった。
(一応)と聞いて、最近の兄の様子から想像は着く。
詳しい事情を聞きけなかったとも言われ、自分でよければ分かる範囲で照会書類に書いて返信しますと伝えた。

今日も病状に進展がない。
ケースワーカさんを通じて感じた。
それでも、転院や生活保護の方が少しずつ進んでいる。
何もかもが行き詰まっているわけではないと思えると、やはり心持ちが違う。
帰りの電車では、気が早いかなと思いつつ、わたしの自宅や勤務先からA病院のアクセスを調べたりしていた。

明日は兄の病状が悪化したと病院から電話が入るのに呑気なものだ。
転院の件も振り出しに戻るなんて、この時は当然想像すらしていない。

体調が悪そうで、申請の意志確認のみで帰ったとソーシャルワーカーさんが話していたが、会話ができないのでそう言ったのだろうと思っていた。
実は本当に体調が悪化していたのだった。
兄は肺炎にかかっていた。

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