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<兄の話:11杯目>わたし達が育った環境

わたし達はMゴロウ王国の所在地でもある某北国で生まれ育った。
父と母が2人で食料品店を始めた頃に兄が生まれ、その5年後にわたしも生まれた。
兄が小学校高学年、わたしが小学校1年の頃、それまで小さなスーパーの中に店を構えていた両親が、遅れてやって来たバブル景気の波に押され、店舗兼自宅を構えた辺りから父に余裕がなくなって来た様に思う。
多分に漏れず、社会に出てから”働いて家族を養う”ことの大変さが身に染みたわけだが、大型スーパーが当たり前になって行く頃に、食料品店を個人で営むのは更に大変だったと思う。
だからと言って、不安や焦りを家族にぶつけていいわけではない。

不安や焦りを家族にぶつけると言っても、暴力ではない。
母、兄、わたしの行動に父が不満に感じるとお説教が始まる。
それが我が家の日常になっていった。
何をしたら納得がいくのか、父の癪に障さわらないのか、父本人にしか分からないので回避が難しい。
胸の辺りまであった髪の毛をボブにしただけで怒られたこともある。
お説教も長かった。
晩酌をしながら上座に座る父の前で正座をさせられて、2~3時間は当たり前だった。
言い訳や反論は更に長引く原因になるので、わたしはいつもただ黙って父の言葉を聞いて、終わり頃に「はい」と言ってすごすごと自分の部屋に戻る様にしていた。
母は多少反論するものの、父の言う通りしますよと言って切り上げるタイプ。
母もわたしも無難に済まそうとするところ、兄は違った。
泣きながら、感情を爆発させながら父にぶつかって行くタイプだった。
父も釣られてヒートアップする為、兄がお説教される場合はいつも修羅場になる。

お説教は、なぜそこが癪に障るのか理解できない理不尽なケースと、こちらが悪いと分かり切ったケースに分けられる。
いずれにしても沸点はかなり低い。
わたしも勉強をあまりしないとか、やりたいと言ったことが続かないとか、自分が悪いケースでお説教タイムに入ることがあったが、兄は自分が悪いケースでのお説教タイムが特に多かった。
そして、わたしから見ても(それはやっちゃダメだろ)と思うことも多かった。
代表例でいうと、
・ 留守番中、友達を家に呼び飲酒喫煙し騒ぐ→ 早く家に戻った父に見つかる
・ 塾を頻繁にサボっていることがバレる
・ 気胸になり喫煙がバレれ、更に高校留年の危機
・ 教習所に通う為に渡されたお金を使いこむ
ちなみに、両親は未だに知らないが浪人中の予備校費を実際通わずに、2年間使い込んだりもしていた。

父のお説教が特にすごかったのは、学業に対しての事柄だった。
兄を絶対に大学に出そうと躍起になっていた。
わたしも中学受験しろと言われたり(結局受けなかった)、公立高校しか受けさせてもらえなかったりした。
兄が公立高校に落ちて私立高校に進学が決まり、浪人2年間を過ごし終わるまでの数年間、毎日家中がピリピリしていた。
父の兄に対するイライラは、わたしにも矛先が向けられるので、家を出たくてしかたなかったし、指先をカッターで切ったり精神的にもちょっとおかしくなりそうだった。
わたしでもかなり辛かったのだから、兄はもっと追い詰められていただろう。

勉強は好きじゃないけど最低限高校までは出る、だから理想通りにならないからといって責めないでくれ。
あの頃のわたしも、教師になりたいと浪人までした兄も、そう言っていれば何かが変わっていたかもしれないと考えたこともあった。
今更ながら学業の大切さも分かる。
自分達の努力が足りなかったのも分かる。
でも、精神的に追い詰めるようなことは、親としてどうなんだろうと今でも思う。
同時に、学業を疎かにしたツケが社会に出てから廻ってくることを思っての親心だったいうことも感じている。
父は家の事情で高校に行っていない。
だから余計にそう思っていたかもしれない。

わたしが今、あの頃の両親を許して仲良く出来ているのは、父が穏やかになったという事もあるが、親心あっての説教や、両親の大変さも理解できた気でいるからだと思う。
理不尽に怒られたこともたくさんあったが、こちらも非の打ちどころもない子供だったわけではない。
楽しいこともあったし、尊敬できることもたくさんあった。

でも兄は違う、自分の今は父のせいだと頑なに思っている。
今の生活も、お酒をたくさん飲んでしまうのも、実家に顔を出せないのも、全て父が悪いのだと。
父が異常に厳しかったの紛れもない事実だが、兄が自分のしたこと、自分が選んできた選択肢を鑑みることができたら、その考えは変わる気がする。
育った環境で人格形成されるのは当然だが、自分を変えられるのは自分しかいないのではないか。
他人に何を言われても、自分が納得しなければ心情は変わらないのではないか。
辛く悲しいこと、自分ではどうしようもない事から逃げることは大切だが、自分でどうにかできることからはずっと逃げるべきではないと思う。
いつか向き合わなければならないことから逃げていると、不安に襲われまたその不安から逃げる。
兄はずっとそれを繰り返して来たのだと思う。

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