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<兄の話:8杯目>土曜日の電話

ケースワーカーさんが兄と1回目の面談を終えた日の翌日。
この日は土曜日で、わたしは自宅で掃除や洗濯など、平日にゆっくりできない家事に勤しんでいた。
一息ついてTVを見ていた13時頃、携帯のバイブレーションに気付いて画面を見ると、D病院からの架電だった。
平日ならば、手続きの件や治療のことで電話が来ることを想像できるが、今日は土曜日だ。
兄に何かあったのか、不安な気持ちで電話に出ると担当医師の声が聞こえた。
『お兄さんは肺炎にかかっています』
現在酸素を供給していて~
これ以上悪くなれば、人工呼吸器で支えなければならないかもしれません~
???
頭が追い付かなかった。
肺炎になって、呼吸を助けるために酸素を与えられているのは理解できた。
(わたしは頭が悪いので、もっと解りやすく説明を)とは言えず、そのまま医師が話終わるまで、なんとか理解しようと耳を傾けた。
現状を話し終えると、医師から治療の方針を尋ねられた。
『本人に確認できないので、治療の方針をご家族に決めて頂きたい』
治療の方針??
どういった治療をすれば良くなるのか、わたしが分かるわけがないと思った。
話の流れとしては、容体が悪化した場合に人工呼吸器を着ける・着けないの判断をして下さいという意味だったのだと思う。
この時はちょっとしたパニック状態だった。
(医者じゃないから分かるかいな)、そんな気持ちで「病院にお任せします」と答えた。
『病院の判断に任せます、ですか』、わたしの言葉を反復されて、聞きたい答えはそうじゃないという、医師の不満な気持ちが伝わった気がした。
『では、これ以上悪化すれば命の危険もあるので、そうなったら人工呼吸器を付けますね』。
医師がそう言い終わると、ぷつっと電話が切れた。
人工呼吸器を付けるくらいの状況になったら両親に話した方がいいだろいかと考えながら、病院に向かう為の準備に取り掛かった。

病院に着いたのは15時前、まっすぐに兄の病室に向かった。
痩せこけた頬が赤くなっている。
鼻には酸素供給の管が付いていた。
兄はぼーっと天井を見つめていた。
そういえば、病院に入ってから目を閉じているのを一度も見たことがなかった。
熱があって辛くても起きているんだなあと思いながら、兄に挨拶をした。
手を痙攣させながら、何かを呟いているが内容は分からない。
聞き取れそうで聞き取れない。
あきらめて「何にも心配いらないよ」、そう言いながら震える手を布団に戻した。
手を擦ったり、肩を擦ったりしながら暫く様子を見ていると、看護師さんが病室に入って来た。
痰を吸引し終え、戻ろうとする看護師さんに担当医師に会えないかと尋ねた。
電話ではちょっと混乱してしまって、いらっしゃればもう一度お話を聞きたいんです。
恥ずかしいかな、ちょっと泣き声になった。
まだナースステーションにいるとのことで、案内してもらう。
お忙しいのにすみませんと言いながら、医師の斜め後ろに座り、もう一度説明をお願いした。

医師の説明は次の通り。
■ アルコール離脱せん妄と言う意識障害が先行しているので、精神科のコンサルの元、薬を投与して管理していたが中々進展がない
■ せん妄の薬は嚥下(えんげ)障害が出ているので止めた
■ 現在はせん妄と誤嚥性(ごえんせい)肺炎を合併している
■ 肺炎に対しては昨日から治療している
■ 頻脈と熱は改善していない
■ 呼吸を助ける為に酸素を与えているが、量がだんだんと上がってきている
■ カニューレ(鼻の管)では最大15Lの供給までで、現在は5Lで行っている
■ 15L以上必要となると人工呼吸器が必要になる

嚥下(えんげ)、誤嚥性(ごえんせい)という言葉は、帰りの電車で検索し腑に落ちたが、この時はなんとなく咽たりとかそんな感じかなと思った。
調べた上で解釈するに、【嚥下(えんげ)障害】で上手く飲み込めない状況から、細菌を伴った唾液が肺に入り【誤嚥性(ごえんせい)肺炎】になったということだ。
書きながら思い出したが、祖母の死因となったのも誤嚥性肺炎だ。
どこかのサイトでは、高齢者の死亡理由第3位と書かれているのを見た。

容体が悪化した際に人工呼吸器を着けない場合、どうなるのか訊ねてみた。
『なんとか戻ってくるケースもありますが、そのまま死亡してもおかしくないです』
高齢者の場合、着けずに天に任せる様なケースもあるが、兄は40代だ。
回復を期待して着ける他ない。
「では、必要と判断されたら人工呼吸器を着けて下さい」と医師に改めてお願いした。

電話でも目の前でも、何度も(悪化した場合は命の危険性がある)、と聞かされた。
その言葉を耳にする度、脅かすつもりはないだろうが胸がドキドキして、不安が増していく。
人工呼吸器だって、着ければ必ず回復して外せる様になるわけではない。
体調が回復しなければ、人工呼吸器は外せない。
どこまで回復するかも分からないと言われている。
とにかく、これ以上悪化しない様に祈るしかない。
ちなみに、電話で人工呼吸器と聞いてから、頭の中でずっと酸素マスクを描いていたが、医師と話している途中に自分の勘違いに気付いた。

人工呼吸器の方針が改めて決まった所で、次にアルコール離脱の説明に入った。
アルコール離脱は通常数日、長くても1週間程度で抜けるそうなのだが、兄は重症でいつまで続くか分からないそうだ。
そして、受け入れの話が進んでいたA病院は、酸素チューブを付けた状態では無理だとして、一旦白紙になりましたと聞かされた。
その状態で受け入れ可能な精神病院を何軒か問い合わせしているが、いずれも満床で断られたとのことだった。
振り出しに戻ってしまったのは仕方がないし、今は安定するまで予断を許さない状況で、転院を考える前に肺炎から回復することが先決すべき課題だ。

何事も予想よりも、想像よりも、悪い結果に辿り着いてしまう。
いっそ死ぬことを前提に考えていた方が心持ち楽な気がしてきた。
死んで欲しいわけじゃなく、その方が辛い気持ちを我慢出来る様な気がする。

このnoteを書いているのは月曜日。
今日は病院から電話が来なかった。
明日も電話がないといい。
なにもなければ、兄が搬送される前夜の出来事を書こうと思っている。

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