ジェンダー・フルイッドと僕/自分/私

僕はジェンダー・フルイッドです。日本ではXジェンダーの部類に入る。

Xジェンダーは特定の性に心が属さない部類のことを示します。

ジェンダー・フルイッドは、心の性が男とか女とか中性とかを行ったり来たり、まさに心が液体(フルイッド)のように自由に動くこと。

生まれつき自分は身体は完全に女性なので、胸もありますし、生理も毎月きます。ただ、心は定まっていないだけ。

自分の場合は、心の性は1日に何回か変わります。この文章も何時間かに渡って書いているので一人称が変わっているところがあります。普段なら後になって修正するのですが、今回は自分がどれくらい変わっているか興味もあるので放置しておきます。一応誤解を招く前に、書いているのは自分一人です。


はじめ、私は自分の違和感に気づきませんでした。なぜなら、記憶が有る限りそうだったから。違和感ではなくただの日常。

住んでいるのも田舎だった。「心の性」なんて話すことなど無かったし、話すテーマにも思いつかないくらい。性自認、性的指向、性表現なども会話に出てくるわけもない。ベールで隠れている以前にベールに隠せるほども無かった。

自分はバイであることに気づく方がはやかった。倫理の教科書が自分を否定していたので。「女性はいずれ男性、男性はいずれ女性と結婚をし、家族を作ります」みたいなことが書いてあった。それを読んだのは、倫理の授業中に暇で適当に教科書を読み進めていた時。それを読んだ途端、周りのクラスメイトや先生がモノクロのように見えた。孤独を感じていたのだと思う。これが最初の違和感だった。

結局、自分はゲイやLGBTは漫画の世界のものであると最初思ってしまっていた。自分はいわゆるオタクなので、BL系も読んでい、そこから情報を取れていたのもあって、ゲイは完全にフィクションの存在だと思っていた。

でも、自分が映画や海外ドラマが好きだったのが救いだった。ちょうど違和感に気づき始めたのが2009年頃、この辺りからアメリカでは一般向けのLGBTに関する作品が増えていた。特にLGBTを異常者、特異者としてではなく、一般に存在するキャラとして。

そんな自分が初めて孤独ではないことを知ったのはドラマの "Glee" でゲイの生徒、カート・ハミル(Kurt Hummel)を見た時。それまでのゲイがフィクションであるという自分の考えを覆してくれた。そうして、今まで心を縛っていた孤独感や不安が一気にほどけていった。

それから何年かして大学に進学し、アメリカの芸術系の学部に入ると周りはむしろLGBTが大半になっていた。おかげで様々なLGBTの人と出会えることができた。

そんな中でジェンダー・フルイッドを知った。初めて知ったとき、その説明文にはかなりしっくりきてることに驚いた。自分が長年持っていて過ごしてきたこれが、普通では無かったことに驚いたのもあった。だけど、それにも名前があったことには嬉しかった。

こうして私はジェンダー・フルイッドでバイをカミングアウトして生活している。友達や父親にはカミングアウトしたが、拒否してくるような反応は今のところ出会ってない。本当にラッキーだと思っている。

これからもカミングアウトし続ける人生なわけだが、カミングアウト前と比べたら楽な人生を過ごせている。このまま楽しく過ごせれたら、自分はかなりの幸せ者だ。


もし周りの人でLGBTであることをカミングアウトしてきたりした場合、わかって欲しいことは、カミングアウトした本人は変化していないこと。周りの人が変化すること。そこをわかってくれれば良いだけです。でも、そのせいで本人を不幸にしようとするのはおかしいので、どうしても無理な場合は黙って去ることをおすすめします。

まだまだ世の中はLGBTの認識は進んでいる途中ですが、自分のこんな文を読んでいただいて何か気づけたら幸いです。


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