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IRIS & SPIDER /渋谷210X年

これは、渋谷保安官事務所の物語の80年後の世界のおはなし。

1 空白の曽祖父
 80年前、強力な伝染病の蔓延でロックダウンを食らった東京、その後密輸武器、薬物の流通で崩壊した秩序を立て直した五つの家の一つ森山家、僕は森山慎作という名を与えられて生まれた。
 高祖父の森山和樹は、崩壊した渋谷を再建した五人衆の一人、市議であり初代保安官だったと聞いている。しかし一族の傑物と言えば曽祖母の森山はるかだ。18歳で総司令官として足立・葛飾制圧戦を指揮し、東京大戦争に直接終止符を打った人だ。
 東京大戦争の頃の曽祖母は、真っ赤なショートカットの髪の上から直にヘッドセットを装着し作戦指揮を行なった画像が残っている。飛びきりの美形だが、利かん気の強そうな、恐らく上司にとっては扱いずらい少女だったのだろうと思う。何せ有名人だ、当時の画像が大量に残っている。有名人家系の常だが、曽祖母を自分より年下の少女の姿で見るのは不思議な気分だ。曾祖母をはじめ、渋谷保安官事務所一期生の斉藤玉緒、久住夏希、成海樹里、高橋涼子の10代の娘たちは、五人娘と呼ばれ、東京大戦争のアイコンだったが、実態はアイコンであることに留まらず、当時の東京では最も組織的に成功した保安官事務所の指揮官で、実務家で、将来の政治家候補だった。
 実際曽祖母は東京大戦争後すぐに市の危機管理課長を拝命、高祖父の引退後は政治家に転身、同期の久住夏希市長とコンビを組んで、副市長として市政を5期動かした。その間祖父の森山泰介に地盤を譲る準備を整え、副市長退任後は斉藤家が運営する斉藤財団の理事に。これまた同期の斉藤玉緒初代理事長死後、斉藤財団を引き継ぎ、更に斉藤一族のこれまた有名人の元女子アナ、斉藤愛梨さんに斉藤財団を引き継ぐことになる。
 祖父の森山泰介は、五人衆の時代から3世代目、初代斉藤素子、2代斉藤文太郎、3代久住夏希に続く4代目の市長として市政を3期預かり、副市長だった成海家4世代目の樹一郎さんを後継5代目市長に指名して引退している。僕は祖父の前に出るとその強烈な覇気で何も喋れなくなる。正直僕にとってとても近寄り難い人で、有り体に言えば苦手だった。
 不思議と森山家は、何の呪いか身長170センチ以上の男が生まれない家系だった。祖父も父の英介も兄の雄作も小柄だ。ただ例外なく運動能力は高く、祖父と父は保安官事務所で活躍、兄に至っては「森山の小天狗」の異名を取り、剣道で東京を制覇する程の剣士でかつ秀才だった。
 僕は森山の男の中では例外的に体格に恵まれた。中学生で身長185センチだった僕は、バスケットボールの有名校に特待生として引っ張られた程だった。祖父は僕ら兄弟を評し、雄作は私の母に、慎作は父に似たようだと呟いたのだと言う。曽祖母が剣道の名手だったというのは意外だった。曽祖父はバスケ選手だったのだろうか?森山家に語り継がれた家系図は、どうやら僕と同じく長身だったらしい曽祖父の名前だけがブランクだった。
 ちなみに僕は、先輩とのトラブルで、特待生で入学した高校から退学を余儀なくされた。これも親父の血かな・・・と祖父は嘆いたらしい。
 その後、不良の吹き溜まりのような品川の市立高校に僕は編入し、卒業後は横浜市警に就職した。言うまでもなく「森山の出来損ないプリンス」には渋谷の空気が重かったからだ。
 横浜市警で8年の時が流れ、僕は警部補に昇進、強行犯係長としていわゆるギャングユニットを率いていた。僕は水を得た魚になれたかに思えたが、高校卒業10年目の今、僕は市警の大規模な不祥事に巻き込まれて退職を余儀なくされ、森山の実家に戻ってニート生活をしている。

2 三浦良平
 森山の家は曽祖母の代から訪問者が多かった。今は一線を退いた祖父と、市議である父の両方を訪問する人が次々やって来て、その応対を秘書である雄作兄がやっている。五家門はどこも似たようなものだ。五家門含め渋谷市の与党議員はそうしたステイクホルダー達の話を聞き、取捨選択の上、与党の政策の整合性を図り総合調整をする政調に持ち込む。当代の政調会長は五家門に準ずる代々木の馴柴家が担当している。馴柴家は市政が発足した頃は野党だったというが、今は与党内で五家門がエゴに流されないよう監視する重鎮となっている。
 僕は次男坊の気楽さで、読書の合間に、曽祖母が庭にしつらえた喫煙所で一服と洒落込む。僕が後の「ボス」である三浦良平と出会ったのはこの喫煙所でだった。
 「もしかしてあなたは、森山慎作さんですか?」と、その初老の男は声を掛けてきた。
 「はい、初めまして。あなたは?」
 「私は、あなたの曽祖母に当たるはるかさんの母方の縁者で、三浦良平と申します。森山の家で警察の仕事をされているのは慎作さんだけと伺いまして・・・実は私も元警官だったものですから。」
 「いや、僕も「元」警官で、退職して今は実家に戻っているんですよ。」
 「そうでしたか。私は道警を退職しまして、第二の人生を渋谷でとこちらへ出て来ました。今はこちらの保安官事務所の下請けみたいなことをやっておりますよ。」
 「保安官事務所の下請けって・・・エージェントですか?」
 「ええ、細々とやっておりますよ。」
 「道警を結構なお年まで勤めて、第二の人生がエージェントって、もっと立派な仕事がありそうなのに。」

 東京は厄災によるマンパワー不足で、エージェントという外部人材に頼らざるを得なかったが、それは両刃の剣だった。宮仕えに向かなかった元警官が担い手になることが多く、彼らの素行の悪さもあり、職業としての評判はあまり芳しくない。
 三浦良平は細っそりとした長身。緑のカーゴパンツに水色のチェック柄の白いシャツという涼しげな格好にトレッキングシューズという出で立ち、よく見ると左腰にコンパクトな自動拳銃を差していた。森山の家で銃の携帯を許されるということは、余程祖父の信頼が厚いということだ。そんな人物がエージェントとは。
 「荒事専門の強行犯畑で昇進もせず勤めてきて、エージェントってのは私には丁度いい仕事だと思ってますよ。」
 「そうすると最終階級は警部補くらいですか?」
 「いや、万年巡査部長ですよ。」と三浦は頭を掻いて苦笑いした。綺麗にまとめた白髪頭の長髪と白い髭。トップが縁なしのセルフレームの老眼鏡。そのインテリ然とした風貌と万年巡査部長という脳筋然とした職歴は、元同業の僕の目には整合性を欠いて見えた。
 「良さん、ここにいた!」との声に三浦は振り返る。
 「ああ、あっちゃんか。済まんね。」
 声の主はこれまた長身の美女。その体つきと気安さから血縁かと一瞬疑ったが、否そんなはずは無い。その美女と遭遇するのは初めてだが、僕は彼女をよく知っていた。荒川市の南家の令嬢の南敦子さんだ。曽祖母と幼馴染で盟友、センター街攻略戦と代々木戦争の英雄にして、荒川で市長になった高橋涼子さんの曾孫の敦子さんだ。高橋涼子さんは、東京の若者なら誰でも知っている英雄、厄災時代の渋谷市長補佐官にして五人娘のボスである渋谷市保安官代理、南慎介の子を身籠り、慎介の父である南大介荒川市長との養子縁組みで南家の人となった。今の高橋家の血筋は祖母を通じて僕とも血縁があるが、涼子さんとは無関係だ。敦子さんは、現市長でお父上の南康介氏の秘書をやっていたはずだ。ちなみに歳の離れた兄の南亮介氏は荒川市議だ。
 「おや、慎作さんはあっちゃんと面識があるのかな?私の事務所で今インターンとして働いてもらっているんですよ。」
 「いや、初めてお目に掛かります。驚きました。」僕は本当に驚いていた。いくら曾祖母の縁者とは言え、森山家で銃を携帯し、南家のご令嬢を預かるほどの信頼を獲得しているこの三浦良平という得体の知れない男は、僕に強い印象を残した。

3 センター街
 三浦良平と南敦子・・・この二人とは程なく再会することになった。
 10代の曽祖母たちが渋谷復興協議会の戦力として、武装してチャイナタウン化したセンター街を攻略したいわゆるセンター街攻略戦は、僕の世代にとっても血沸き肉踊る物語だった。渋谷市は、中華系住民との融和を主な狙いとしてセンター街の中華街化を後押しし、今では横浜と遜色ない中華街となっている。実家に戻ってから、僕は週に一度はこの中華街の朝屋台で朝食を摂ることにしている。
 (あの時代のことを調べて小説にでもするか。)僕は今そんな気分になっている。
 実を言えば渋谷の物語は何度もテレビドラマになり、関連書籍は膨大だ。しかしどれもこれも現実感が薄い。例えば多くの作品は、東京再建の英雄、南慎介市長補佐官(通称アダム補佐官)が斉藤素子市長と恋仲だったとして描いているが、五家門の共通認識としては完全に否定的だ。というか、南敦子さんの属する今の南家は南慎介と涼子さんの血筋だと五家門には伝わっている。DNA鑑定までしたらしいので確実だ。ところが没年から言って南慎介は17~8歳の涼子さんと性交したことになる。更に涼子さんの息子で、敦子さんの祖父である南敬介氏は涼子さんの20歳の時の子供。ほんの80年前のことなのに謎が多すぎるのだ。
 僕は砂糖入りの豆乳に浸した定番の揚げパンを頬張りながらタブレットを読み、センター街の地図を開いた。
 「おや、慎作さんじゃないですか。」三浦氏に声を掛けられて僕は我に返った。傍らには敦子さんもいる。「ここでお食事ですか?」
 「ええ、週に一度はここで。三浦さんもですか?」
 「私はこの近くに事務所がありますので、ほぼ毎日ですよ。」
 「私も良さんのお付き合いで、たまに。」敦子さんはニッコリと笑った。
 流暢な北京語で注文し、水餃子を2椀受け取る三浦氏。
 「北京語がお出来になるんですね。」色々とこの三浦氏には驚かされる。
 「ある程度は。慎作さんも横浜市警なら中華街があったから必須でしたでしょう?」
 「ええ、でもそれ以前に渋谷の五家門の子供は小さい頃から渋谷を統治する家系の一員として北京語を仕込まれますから。」
 「大したものだ。」三浦氏は随分と感心してくれた。
 「曽祖父が曽祖母たちに必修プログラムとして与えたのがずっと残っているのでしょうね。」
 「曽祖父か、敦子さんは南慎介直系ですからね。」
 「え、それは・・・」と三浦氏を見る敦子さん。
 「五家門の直系というのはやはり凄いものですね。」と口を挟む三浦氏。
 「僕は五家門直系って言っても18歳で家を出て横浜で働き始めて、警察で働きながら横浜市立大学で学位を取ったくらいで、一族のことをよく知らないんですよ。曽祖母は有名人ですが、曽祖父が何をやっていた人なのかも知らないくらいで・・・」
  ゴホ、ゴホと噎せる三浦氏。
 「大丈夫ですか?・・・」
 「いや、いや、失礼しました。」と額の汗を拭う三浦氏。
 「僕の祖父と敦子さんのお爺様は同い年でいらっしゃる・・・ということは曽祖母は涼子さんと同じ頃に、父親の分からない子供を妊娠したことになるし・・・色々と謎が多いんですよ。その癖、祖父は曽祖父のことを良く知っているようだし。」
 「と言いますと?」三浦氏が水を向ける。
 「僕が先輩とトラブルを起こしてバスケの特待で入学した高校を退学になった時、これも親父の血かなと言ったとか。曽祖父はどんな人だったんだろうってなりません?影が薄い上に、芳しからぬお人柄が見え隠れする。ちょっと微妙な人だったのかなって・・・」
 「なりますね・・・。」と敦子さん。
 その時防犯ベルが大音量で鳴った。
 「あっちゃん!慎作さんと事務所行って施錠して!早く!」そう言って疾風のように駆け出す三浦氏。腰には例のコンパクトオート拳銃が見え隠れする。


 すぐ側の中華料理店の2階にある「事務所」。「これでも僕は元警官だから。」と言って僕は敦子さんを押し込んで三浦氏を追う。僕は左腰のチーフスペシャルカスタムを取り出して装弾数を確認してホルスターに収めて駆け出した。
 現着すると、3人の強盗は三浦氏に既に倒されていた。
 遅れてやって来る保安官事務所の保安官補たち。
 「チクショー、また良さんに先を越された!」と悔しがる若い保安官補。
 「すぐそこで朝食を摂ってたところで・・・たまたまですよ。」とホクホク顔でタブレットを出す三浦氏。
 タブレットに若い保安官補がバッジナンバーを入力して認証ボタンを押す。すると後でエージェントに対して賞金が振り込まれる仕組みになっている。これが東京のエージェント制度だ。
 (なるほど、こういう商売か・・・。スキルがあると意外と稼げるのかな?)と僕は感心した。

4 悪夢
 「201(トゥー・オー・ワン)ヤンキーより本部、任務失敗!待ち伏せです!応援願います!」
 ギャングの組織立ったアンブッシュにより僕のユニットが壊滅的打撃を被ったのは1年前のことだった。
 上司である丸山警部に命令を受け、赤煉瓦倉庫に集結しているギャング急襲の任務を負った僕らは、レンジャーグリーンの戦闘服、ヘルメットにプレートキャリアという突入時のフル装備に95式小銃、S&W M&P9という制式火器で武装して倉庫に突入した。
 コントロールフリークで、部下、特に係長級の忠誠心を常に試そうとする丸山警部との関係は毎日がストレステストであった。僕の部下たちの地道な聞き込み捜査によって得たガサ入れのチャンスを、丸山警部は難癖をつけて悉く潰して来た人だ。
 「警部補になったのに詰めが甘過ぎるって思いません?・・・何ですかその顔は、上司に対して反抗的な係長は要りませんよ。」
 強行犯第1係長、先任の市川警部補は基本的に僕と警部の間のことには無関心を貫いている。その時の僕は助けを求める以前に、市川警部補に丸山警部の側に立たれ、先輩ヅラで説教されることをむしろ警戒していた。
 そんな中「重火器で武装したギャングの赤煉瓦倉庫集結」という情報が、丸山警部本人からもたらされた。これは彼自身の情報源から得たもので、任務が成功して僕の大嫌いな警部がドヤ顏で功績を誇ることになろうと、久々に強行犯係らしい活躍ができることに係一同気分が高揚したものだった。
 そしてタブレットに令状を用意し、中から施錠された分厚い引き戸にブリーチ用の対物グレネードをセット。爆破と同時に我々は踏み込んだ。その刹那、倉庫の灯りが一斉に消えた。
 何だ何だとライフルのフラッシュライトを点灯する部下に、止めろバカ!と僕は叫ぶ。そして一斉に銃声が鳴った。ロシア制の旧型アサルトライフルらしい7.62ミリ弾の重い連射音だ。部下が4人倒れた。
 「レベル5のプレートを貫通しているだと?あり得ないだろう!どんな弾薬だ!」
 「まずい、火器の性能が段違いだ!」
 部下たちは浮き足立った。
 「201ヤンキーより本部、任務失敗!待ち伏せです!応援願います!」
 それまでも部下に無線連絡を入れさせたが、改めて僕からも無線を入れる。そして指示を出す。
 「陣形を整えて撤退だ!」との僕の指示に踵を返す部下、僕とベテランの加藤巡査部長が殿となりジリジリと後退するが、急所は外したものの、僕もプレートとヘルメットに被弾したほか、太ももや頬を掠める跳弾でかなり出血させられた。その時背後から、ダメです係長進めません!という声が聞こえた。
 僕らが入って来たドアには2人のギャングが後詰をしていた。
 (丸山にハメられた!クソっ!)と心の中で毒づき、「散開!散開!」と指示を出す僕。チームの生存者は僕、加藤、そして新人の山内巡査の3人だけになり、山内も「係長!」という叫び声を上げ、たっぷりと新種の7.62ミリ弾を浴びて倒れた。
 (クソ!こうなったら目に物見せてやる。死なば諸共だコノヤロー!)僕はナイフを取り出して闇に潜んだ。
 市川警部補の一係が到着した時には、加藤巡査部長を除く7人の部下の遺体と惨殺された15人のギャングの遺体が転がっていたという。生存者は僕だけ。僕は声を枯らしながら「クソ、戻って来い!ぶっ殺してやる!」と叫び続けていたんだそうだ。僕には3人目のギャングの首をへし折って倒した後の記憶が全く無かった。
 行方をくらました加藤巡査部長はギャングの内通者だったと後に断定された。なぜ加藤は行方をくらましたのか。この凶行は加藤の単独犯行だったのか。そこに思いが至る程にはハマポリの内務調査は有能だった。
 内務調査は嫌がる丸山警部に有無を言わせず事情聴取を開始する。情報源は高威力の新型7.62ミリ弾について何も情報を提供しなかったのか、丸山警部は僕に意図的にその情報を隠したのではないか等、鋭い追及を行なった。丸山警部の情報源は三つ。一つは警察庁の東京鎮守の森支所だった。警察庁は新型7.62ミリ弾について「甚だ曖昧な未確認情報」として伝えただけだった。もう一つは彼自身が飼っている情報屋だ。この情報屋は連絡が取れなくなっている。ギャング側がこの情報屋を通じて丸山を操ったと内務調査は考えた。そして三つ目は刑事課からもたらされた情報だ。内務調査はこの刑事課ルートで、もう一人の内通者を特定した。丸山の刑事課時代の部下だった浦部という巡査部長だ。内務調査班は浦部を姿を消す前に確保することができた。
 浦部は洗いざらい白状した。ギャングが、新型弾薬の取引と、横浜市警の弱体化を同時に狙うため、二係と、応援に来た一係諸共葬る計画だったのだという。結果を見ての通り、それは背筋が凍るほど巧妙で、ほとんど完璧な作戦だった。ところが森山慎作警部補というファクター、つまり僕を仕留め損ねた上、僕に加藤が内通者であることを知られてしまったため(という話だが僕には記憶が無い)、加藤も浦部も身を隠すことになったのだと浦部は証言した。
 内務調査班は、浦部が丸山警部の情報屋と接触があったのか追及したが、丸山警部の情報屋の存在を浦部は知らなかった。プレイヤー同士が接触せず、事前に悟られること無く計画が進行する。絵図を描いた人物は相当なキレ者に違いない。
 浦部が加藤から聞いた話によると、丸山警部の情報屋は丸山の腹心である市川警部補から加藤が聞き出したとのことだった。今になって見ると、一係壊滅に至り得た重要な情報を内通者に漏らしたということになるが、内通を知らなかった市川警部補は単に操られていただけだ。 
 内務調査は、僕がギャングに対して壊滅に近い打撃を与えたため、被害を半分に抑えることができた、つまり僕を英雄として祭り上げる報告をまとめようとしていた。
 ところが僕は英雄にはならなかった。僕の頭の中では、丸山警部が内通者で丸山警部が僕を殺害するため部下諸共ギャングに売り渡したことになっていた。退院後僕はまっすぐ市警に向かい、警部を見るや・・・市警に入ってから一から訓練させられた柔道ではなく・・・幼い頃から仕込まれた合気道の技で倒し、顔面をこれでもかと殴りつけた。言い訳はしない。動機は部下の恨みを晴らすため。もちろん殺意100%だ。市川警部補が止めに入らなかったら多分僕は丸山警部を殺していただろう。
 頭を抱えたのは僕を英雄にしようとしていた内務調査班だ。丸山警部は僕をクビにしろとかなりゴリ押ししたらしいが、彼は市警首脳部により更迭、閑職へ回されることになった。そして僕には、自分から辞表を出すように勧めて来た。喧嘩両成敗だ。お陰で僕は、表向き退職警官として、元法執行官が銃を所持することができる東京で引き続き銃を持てている。
 僕が横浜を去る時、市川警部補は「お前には丸山さんの件で何もしてやれなかった上、返せないほどのデカい借りを作っちまった。何か俺の力になれそうなことがあったら言ってくれ。」と言ってくれた。
 僕は市川さんと握手して「お達者で。」と言って敬礼した。
 市川さんは敬礼を返してくれた。

5 残響
 その大捕物は、渋谷保安官事務所令状管理課(warrant division)の電子掲示板(通称「ボード」)の委任案件一覧のうちの一つを、三浦氏のエージェント会社、アイリス・コーポレーションが受注したことで始まった。
 元は子供の養育費未払いという、エージェント案件としては極小案件だった。三浦氏もそのつもりで左腰後ろのパンツベルト内側にグロック19、ベルトの右前にエージェントのバッジを装着、上はポロシャツ一枚という軽装で出掛けたのだという。
 三浦氏は手順通り、アパートのインターフォンを鳴らし、養育費を未払いで逃走中の若い男、山岸一誠という男を呼び出した。
 「山岸さん、保安官事務所エージェントの三浦と申します、逮捕令状及び捜索差押令状の執行で参りました。ドアを開けて頂けませんか?」
 返事が無い。代わりに7.62ミリ弾が連射で弾ける鈍い音がして、比較的新しい頑丈なアパートのドアを全弾が貫通した。
 「うぉっ!こりゃ久々だなぁ・・・」と言ってニヤリと笑う三浦氏。「今の渋谷の若い保安官補ならドアの前に立ってて一発ぐらい喰らったかな?」  
 低い姿勢でドアに手を伸ばし、弾が貫通した痕を指先でそっと撫でる三浦氏。
 (これはヤバいやつだ。)と直感を頼りにバックパックから無線を取り出す三浦氏。
 「こちら03(オースリー)インディ、代々木3丁目で発砲案件です。容疑者は令状を持ったエージェントに、アサルトライフルと思われる銃で施錠された屋内からフルオートで発砲。弾頭がドアを多数貫通。未知の強力な火器を所持しています。応援願います!」
 東京フェデレーションという東京の保安官事務所の連合組織に登録したエージェントは、保安官事務所に無線で通信を行うことができる。
 「63メアリー、こちらもパトロール中に銃声を聞いた。直ちに急行する!」と保安官事務所の隊員より応答があった。
 そして三浦氏は自分の事務所に通信を行う。
 「あっちゃん、事務所にいるかい?」
 「良さん、どうかしましたか?」
 「代々木3丁目の現場にルカを寄越して欲しい。養育費未払い案件のつもりがヤバい奴を引いてしまったようだ。私のプレートとベルト、ヘルメットを持って来るように伝えてくれ。それからルカも完全装備で来るように伝えてくれ。」
 「了解しました!」と応える敦子さん。
 さて、ここはアパートの6階。敵さんにしたら三浦氏のいるドア側から出るのが理想だろうが、たった一人とは言え、十中八九護身用の銃で武装しているだろうエージェントを突破するのはそこそこ手間だ。となると窓から逃走というのが常套だろう。
 その時三浦氏のところにドローンに積まれたコンテナが届いた。
 「仕事早ぇな、ルカ!」


 コンテナからベルトを取り出して装着、ベストを着て、ヘルメットをかぶる。分解されたクリスベクターサブマシンガンを組み立て、ドアに対物グレネードをセット。1分も掛からない作業で三浦氏はドアを爆破。開いたドアからダダダダという発砲音とともに例のアサルトライフルの弾が風を切って飛んでくる。対して三浦氏はドアの左側からベクターの銃口を少しだけ出してセミオートでパンパンと応戦。
 その間に空からアパートの窓側に回り込んだドローンが9mmバラベラムをバカスカ撃ちまくる。退路を断たれたと見て、賊の一人がドローンと銃撃戦を始める。
 その時三浦氏がフラッシュバンを部屋に投げ込んだ。賊の一人が目をやられてうずくまる。一方もう一人はドローンをライフルで撃ち抜き撃墜に成功。ベランダからロープで下に降りる賊。慌ててロープで降りたために、ロープには賊の血液と手の皮膚の欠片が残った。
 ベランダの上から逃げた賊をベクターで狙う三浦氏。
 「こりゃダメだ・・・」と追跡を諦め、無線を入れた。
 「こちら03インディ、突入時敵は2名、1名確保するも1名逃走。逃走した容疑者は新宿方面に向かいました、どうぞ。」
  「逃走した容疑者は新宿方面に、63メアリー了解した。63メアリーより各局、代々木3丁目アパートへ容疑者確保と現場の保存に向かわれたし。」
 確保された容疑者、山岸一誠には養育費未払に加え、三浦氏への殺人未遂、銃刀法違反など複数の嫌疑が追加され、尿検査によって覚醒剤の使用まで確定したため、アイリスコーポレーションへの報酬は10倍に膨れ上がった。山岸は愚かにも自分のオッズを自分で引き上げた形になった。
 なお、破壊されたドローンは実に良い仕事をした。空のルートでベランダ側に回り、賊の一人と睨み合って撃ちあったドローンは敵の姿をしっかりカメラにおさめていた。
 渋谷保安官事務所に提供された映像。それを分析した渋谷保安官事務所のギャングユニットより、僕のところに協力要請の連絡が入った。
 カメラに写っていたのは、横浜の事件で全国指名手配されていた加藤翔吾元巡査部長だったからだ。

6 IRIS CORPS
 80年前警視庁渋谷警察署があった渋谷保安官事務所の本署で加藤についての質問に答えながら、僕は改めて(三浦良平とは何者だ?)という思いに取りつかれた。
 ドア越しに例のライフルを撃たれて無傷ということは、中から重火器で撃たれることを想定していたに違いない。80年前の渋谷保安官事務所の隊員たちは、ガサ入れの際絶対にドアの前には立たなかったという。ガサ入れに来たら室内でもAKや時にはRPGで応戦するバカ者が多かったからだ。(三浦氏の頭の中は東京大戦争時代の感覚だ)と僕は思った。
 それから9mmパラベラム弾を発射する機構のあるドローンをエージェント事務所が持っているというのもすごい話だ。
 「あそこは斉藤財団の委託で、法執行機関向けのガジェットのテストもやってるからね。三浦良平氏と部下の葉山ルカさんは道警出身の森山家の縁者ってことで保安官事務所にはお馴染みだよ。」
 本署の副保安官を補佐している中学の同級生の有田が教えてくれた。有田は渋谷保安官事務所の士官相当職以上が着る黒シャツに黒パンツ、赤い縦線の入ったネクタイをキッチリと締めピカピカの制帽を被っている。
 「森山の縁者って、僕は最近知ったばかりなんでな。」
 「慎作はずっと横浜だったからな。俺らも政治一族森山家の縁者ってことでかなり構えてだけど、三浦さんはすごく腰の低い人で、エージェントとしての役割は踏み越えて来ないからやり易いよ。」
 「人となりは知ってる。でもあれが警察組織で巡査部長っておかしくないか?」
 「一説によると今の部下の葉山さんとの恋愛沙汰で出世の道を閉ざされたとかなんとか。憶測だがね。」
 「要するに現場もちょっとは不審に思ってるわけだ。」
 「思ったところで慎作の亡くなった大婆さんお墨付きの人だから俺らに何ができるよ。」
 「はるか婆さんの?」
 「渋谷の妖怪、森山はるかのお墨付きだぜ。渋谷の閻魔大王と異名を取るお前の爺様だって逆らえやしないよ。」
 「閻魔大王って・・・」これには苦笑いするしかなかった。
 「まぁでも、部下たちには良い刺激になってるよ。街で何かが起こると三浦さんが先に現着してるなんてことが何度もあってさ、三浦のおっさんに先を越されるなってね。」有田は笑った。
 「それで有田、このヤマについてなんだが・・・。」
 「おっ、森山の御曹司の再就職先は地元の保安官事務所になりそうか?」
 「それは・・・」
 「上役とも反りが合わず、部下を7人も亡くしって普通なら・・・いやごめん、俺がお前の立場なら分かるよ。宮仕えはお腹いっぱいだよな。それでも奴にワッパをかけるまでは前に進めないとか思ってんだろ。」
 「有田は何でもお見通しか。」
 「そりゃ俺は御曹司のご学友って奴だから。あまりお勧めはしないが、あとはエージェントぐらいしか無いぜ。」
 「ここで加藤の顔を見るまでは正直思いもしなかったが、今はそれしか無いと思ってる。」
 「紹介状なら書くぜ。元警部補殿なら試験は免除だしな。しかし森山の御曹司が現代の岡っ引きかぁ、五家門初、前代未聞だな。」と、有田は笑った。
 エージェント、正式にはFUGITIVE RECOVERY AGENT。逃走犯、指名手配犯、マイナーな刑法犯、保護観察中の順守事項違反者、保釈金を積んで逃げた刑事被告人等の逮捕を請け負う保安官事務所の法執行代行業、早い話が賞金稼ぎだ。
 退職警官がなることの多い仕事だが、元警部補以上の士官相当職は普通ならない。素行不良と言わないまでも、警官仕事にあまり向かなかったあぶれ者が多く、市民の評判も決して良くはない現代の岡っ引き。あのお上品な三浦氏の仕事がエージェントと知った時に驚いたのはそういうわけだ。
 「助かるよ、有田。あと、ハマポリで僕の先任だった市川警部補はきっとこの件では全面協力してくれるはず。あの人は頼って良い。」
 「ああ、あてにするさ。」
 「じゃあな。」
 僕はその足で斉藤財団の行政手続き代行サービスカウンターへ。端末に必要な情報を入力し、打ち出された申込書と有田の紹介状、自分が元法執行官として登録したチーフスペシャルカスタムを改めてエージェントの銃として登録するため、カウンターに預けた。
 30分ほど待つと宣誓室に呼ばれてカメラの前で宣誓。その後カウンターからすぐに呼び出され、バッジ、身分証明書、返却された登録済銃、サービスで皮のハンドカフポーチに手錠を渡された。これで僕はエージェントになった。
 サービスカウンター待合室を出ると、そこには南敦子さんと、戦闘服を着た赤い髪の大柄なセクシー美女がいた。腰のバッジから、彼女もエージェントと分かる。
 「アイリス・コープスの葉山ルカだ。よろしくな。」右手を差し出す葉山ルカ。
 「ああ、よろしくお願いします。今日エージェントになりました、森山慎作です。」
 握り返した手は人間離れした握力を感じさせたが、奇妙なことにどこか懐かしさも感じた。
 「慎作さん、良さんが至急会いたいって。」
 「三浦さんが?」
 「ええ、横浜の事件の件でと伝えて欲しいって。このビルの地下で待ってるそうです。」
 三浦氏とは代々木の件で話したいこともあった。
 「やぁ、慎作さん。ご足労かけました。実は今保安官事務所から急な依頼を受けましてね。ぜひ慎作さんのお力をお借りしたくて。」
 「僕も三浦さんにお聞きしたいことがあったところです。」
 「分かりました。まずは慎作さんの興味を引きそうな件からお話しますよ。」と言って大きなモニターに映写されるライフル弾。「見た目普通の7.62×39ミリ弾ですが、ステンレス鋼の薬莢に同じ量でも高圧が出せる新型の火薬、そして弾芯にタングステン鋼が使われたもの。今通常弾用に使われているレベル5プレートは無効、いわゆるマタ・ポリシア(警官殺し)弾です。なぜこれをロシア軍用の5.45ミリ弾ではなく、7.62ミリ弾で作ったのかは不明ですが、それはさておき、この強力な弾薬はCQBの戦術にかなり修正を迫るものになりました。なぜなら・・・」
 「使える障害物が限定されるようになったから。」
 「その通り。そこで・・・あっちゃん、悪い、ここからはまだ君には見せられないやつだ。外してくれないか?」と促し、敦子さんが退出したのを見計らい、モニターを改めて展開する三浦氏。真っ暗なモニターから(死なば諸供だコノヤロー!)と僕の声が聞こえる。
 「これは横浜の!」
 「このままでは何も見えませんが、画像を処理すると、あなたの動きを立体的にトレースすることができます。」
 人形(ひとがた)がナイフを取り出して暗闇に溶け込み、五感を駆使して索敵、一人ずつ葬る様が鮮明に映っている。改めて自分の動きを見てみると、とんでもない戦闘能力に驚く。
 「ルカ、君はこれと同じことできるか?」
 「いや、ちょっと無理だね。ボスは?」
 「君に無理なのに私にできるわけないだろ。」
 「ちょっと、待ってください。あなたたちは何をやっているんですか?」
 「私たちはアイリス・コープス、保安官事務所のエージェント兼・・・法執行官ための基礎的な技術等を研究する、斉藤財団のテスト部隊ですよ。」三浦氏はそう言った。

7 雄作
 「警官の便利グッズ作りを依頼されてるってのは聞いてましたが、それだけじゃないんですか?」
 「まぁ、それの延長線上の仕事にはなりますが、我々は一応閉所戦闘のエキスパートでもあるので。」
 「はぁ。」確かにギャングユニットの隊員経験があればその種の訓練は受けているだろうが。
 「奴らとの実戦で奴らを圧倒できた実績があるのは今のところ慎作さんだけなんですよ。私としては慎作さんの戦闘データを取って参考にさせていただきたい。ご協力いただけませんか?」三浦さんの要請はとてもシンプルだった。
 「でもどうやって?」


 「ここにレーザー銃があります。」改良型のAK47のプロップガンに不可視光でレーザーを飛ばす機構のついたものを三浦氏は僕に見せた。「このプロップガンのレーザーには、例の弾薬の威力がインプットされています。」
 「なるほど、障害物の種類によって弾道がどこに行くか、コンピューターで追えるということですね。」
 

 「ご名答。慎作さんには新型のレベル6プレートキャリアを着ていただいて、サプレッサー付きのSIG SAUER MPX・・・つまり渋谷保安官事務所の制式銃のプロップガンですが、それでAKを持った私と、トレーニングルームで闘っていただきます。」
 「保安官事務所の隊員が戦闘した場合のシミュレーションをするというわけですか。」 
 「その通りです。」
 僕らはこのゲームを三回ほど繰り返した。プレートのついていない脇腹を狙われて撃たれた一戦目、膝を撃たれた二戦目、そしてこのゲームをするうちに噴き出して来たアドレナリンが、三戦目にようやく僕のベストパフォーマンスを引き出した。
(取った!)僕は完全に三浦氏の後ろを取ったと思った。だがトリガーを引こうとした刹那、三浦氏は突然消えた。

 ブオーン!という音が鳴って、トレーニングルームに照明がついた。三浦氏は何かで天井にぶら下がっていたのだ。
 「ボス、スパイダーショットは反則だろ!」と葉山ルカの笑い声が聞こえる。「三戦目は慎作さんの勝ちだ!」
 左手首から天井に伸びたケーブルがシュルシュルと音を立てて地上に降りる三浦氏。
 「いや、面目ない。殺されると思ったら体が勝手に動いてしまいました。しかし私が後ろを取られるとは。」はにかむように頭を掻く三浦氏。
 「そんな、僕は音も立てないで後ろを取ったのに、どうして狙われてるって分かったんですか?」
 「私は生まれつき生存本能が強いようで、慎作さんから発せられるプレッシャーで思わず飛んでしまったんですよ。」
 「それは・・・出鱈目な能力ですよ。」
 「でも随分良いデータが取れました。あと慎作さんの足運びは参考にさせていただきたいのですか、ご協力いただけますか?」
 「構いませんが、多分足運びのコーチについては僕よりも適任がいますよ。「森山の小天狗」こと僕の兄の雄作です。この足運びは雄作兄から習いましたので。兄も忙しいのでアポが必要ですが、僕から話してみますよ。」
 「是非お願いします!」三浦氏は大層喜んだ。
 翌日斉藤財団で、僕は兄と待ち合わせた。ロビーには東京大戦争の時代を彩った二人の英雄、南慎介と水沢花音の武器が展示されていた。渋谷市長補佐官にして保安官代理の南慎介愛用のHK45が左に、右には品川海援隊総長水沢花音愛用の朱鞘の日本刀。


 「銃の時代に日本刀で、一体どんな戦い方をしたのか。」
 「神速と言われていたらしいぜ、我らが曾祖母、水沢花音の剣は。」
 「雄作兄ぃ、今日は・・・というか我らが曾祖母って?」
 「文字通りの意味だよ。俺たちの祖父、森山泰介の実の母が、水沢花音だったんだ。」
 「ちょっと待ってくれよ!なんで今そんな話をするんだ。」
 「森山の子たちは二十歳になったら自分たちの血筋の話を伝えられる。何せ俺たちの祖父の泰介爺さんは、表向きには自分が森山はるかの本当の子ではないことを特に言って来なかった。子供たちにも、東京大戦争時代の特級の英雄の血筋であることをペラペラ言いふらさないで欲しかったんだろう。」
 「そういうことか。ちなみに僕らの曾祖父も雄作兄ぃは知ってるんだね。」
 「南慎介さ。」
 「ふざけろよ、何の冗談だよ!マジなのか?」
 「ああ、色々胸のつかえが無くなったんじゃないか?」
 「南慎介ってのは一体何者だったんだ?うちの爺さんはあまり好ましい印象を抱いてないようだけど。」
 「逆だよ。あれでうちの爺さんはツンデレなところがあって、実父の南慎介を狂おしいくらいに憧憬してる。実父への悪態は実の息子としての細やかな特権意識さ。我らが大爺さまは、ちょっとした秀才ではあったようだよ。経済学の修士号も持っていたし、ライターとしても名が売れてたみたいだ。でもあまり目上の人間に可愛がられないタイプの人だったみたいだ。それはきっと彼の持っていた何らかのポジティブな力の代償だったのだろうけど。知っての通り、皮肉にも50歳近くになって我らが曾祖父は活躍の場を与えられ、華々しく生きてスっと世を去ったわけさ。」
 「彼の息子、つまり南敬介と森山泰介、彼らが南慎介の没後2年掛かって生まれたのはどういうわけなんだ?」
 「そりゃ、人工授精さ。」
 「なんでまたそんなことを!おかしいだろ!」
 「高橋涼子と水沢花音は、南慎介と恋愛関係だったわけじゃない。もちろん高橋涼子は彼の教え子であり部下だった。水沢は南慎介の盟友であり、東京統一のもう一つの原動力だった。ガワで言えば同じガワではあるし、知らない仲じゃない。高橋涼子も水沢花音も、一方通行ではあっても南慎介に思うところがあったのは不思議じゃないさ。我らが曾祖母は、海援隊を支援していた米空軍と医療スタッフという最強のアセットを持っていた。今の高橋家の家祖は知っての通り新型天然痘を発見したドクター矢吹だが、その旦那のドクター・トーレスは米空軍の医療スタッフのトップで南慎介の主治医だった。知っての通りこの二人は婆ちゃんの両親だから俺らの血縁だな。話によるとトーレス博士は品川で検診を受けさせて南慎介の精子を採取し、我らが曾祖母水沢花音は慎介爺の精子を独り占めするつもりだったらしい。」
 「それが二つの血筋に分かれることになったと・・・」
 「ああ、南慎介は不審に思ったらしいんだ。なんで精子まで取られたんだって。それを元看護師で部下の中島清美副保安官にちょっとした雑談の中で話したらしい。まぁ、我らが曾祖父は他の仕事で頭がいっぱい。細かいことは気にしない人だったらしいし、そんな細かいことを気にしていられる時代でもなかった。ほどなく重い心臓疾患で南慎介が亡くなり、葬式となった時、渋谷を訪れた我らが曽祖母水沢花音を、うちのはるか婆さんやら五人娘たちが取り囲んで詰問し、どうせ良からぬ方法で採取した精子でしょ?涼子にも寄越しなさい!ってな。」
 「精子を取り合ったのか!」さすがのバカバカしさに僕は噴き出してしまった。
 「いや、後にも先にも、俺の人生であんなに笑ったことはなかったよ。どうだい弟よ、歴史の教科書に載ってる英雄様の人生だって、騙されて精子をくすねられたり、この世はそんなバカみたいなことで溢れてる。」
 「確かに度を越したバカバカしさだ。」
 「時に、俺に教えて欲しいことがあるんだって?」
 「ああ、今僕は斉藤財団で銃で武装した集団同士のショートレンジでの闘い、CQBと言うんだが、これをデザインし直すためのシミュレーションに協力してるんだ。横浜で見つかった例の高威力弾薬に対処するためにね。その一つとして僕がお兄に教わった例の足運びを改めて教えてほしい。」
 「それは縮地とか瞬歩とかかな?」
 「合気道やってた頃だし、どう呼ぶのかもう忘れちゃったくらいだけど、僕は無意識に使っちゃってるみたいで。」
 「確かに、慎作はバスケでもあれ使ってたぐらいだからな。」
 「うそ!それは全然気づかなかった。」
 「無意識の部分が多くて人と共有するのが難しいから、理屈の部分で教えて欲しいということだな。」
 「そう、まずは三浦さんが処理してくれた僕の戦闘データを見て欲しいんだ。」

 地下のトレーニングルームで、三浦氏、ルカさん、僕と雄作兄は、コンピューターが抽出した戦闘における僕の動きを食い入るように見た。そして雄作兄はしばらく考えて口を開いた。
 「これはほとんど常人には参考にならないな。」
 「やはりそうか・・・。」ルカさんは頭を掻いた。
 「俺ら兄弟は子供の頃から合気道やら剣道に親しんで、合気道やりながら目線の先には総合格闘技的なものをイメージしてたんですよ。だから合気道でありながら合気道じゃないし、剣道でありながら剣道じゃないものを作り上げてきた。俺はこっちの世界には行かなかったけど、慎作は大成していたというわけだ。」
 「でも雄作さん、その先の話があるんじゃありませんか?」三浦氏はなぜか笑みを浮かべている。
 「もちろん。恐らく皆さんがやりたいことは、この複合格闘技そのものじゃない。ポイントは、できる限り素早く動く、音を立てずにターゲットに近づく、可能なら相手より早く索敵する、そして障害物を上手く利用する、そんなところでしょう。」
 「やっぱり雄作兄は頭が良いな。」僕は感心した。
 「マスターまでは不可能でも、ある程度はこの動きに寄せるトレーニング出来ますよ。あとは渋谷保安官事務所お得意の便利グッズで補えばいい。」
 「つまり、ダウングレードした瞬歩、縮地といった動きに、例えば・・・足音を極力消す靴を組み合わせるとか、索敵は暗所トレーニングとナイトビジョンを組み合わせるとか、銃はサプレッサー標準にするとか。」
 「さすが、三浦さんはクリエイティブだ。」雄作兄はニッコリ笑う。
 「そうと決まったら保安官事務所にタスクフォースを組んで貰ってトレーニングを始めましょう。今は時間が惜しい。」三浦氏はトレーニングルームを出た。
 「ルカさん、お元気でしたか?」退室する三浦氏の背中を見送って雄作兄はルカに言葉を掛けた。
 「雄作さん、手伝ってくれてありがとう。とても感謝してる。」男勝りでバンカラとも思えたルカさんが、雄作兄には随分丁寧だ。
 (奇妙だな、なんだこの距離感。)
 「また来ます。お達者で。」と雄作兄はルカさんに言った。
 僕はある種の確信を持った。三浦良平と葉山ルカ。この二人は森山家と、曾祖母の縁者という以上の浅からぬ、それも現在進行形の縁があるのだと。
 雄作兄は僕に一族の空白について話してくれた。でも、この二人と僕ら一族との浅からぬ縁については、まだ秘密があると察せられた。
 でもそれはまだ僕に話すタイミングじゃないのだろう、きっと。

8 KRISS VECTOR
 渋谷保安官事務所から21名の精鋭が斉藤財団に集められた。5名で構成される小隊4チームと、それを指揮する中隊長1名で構成される1個中隊だ。中隊長は僕の幼馴染の有田、小隊長の中には僕の祖母の実家である高橋家のジュリアナ高橋、僕の母の実家である成海家から従弟の耕作が参加する等、五家門出身者も小隊長クラスに混じっている。
 ジュリアナも耕作も、小さい頃から僕が子守をさせられた子たちで、随分と再会を喜んでくれた。その彼らが例の赤レンガ倉庫のビデオを見せられて以降、とんでもない任務を負わされたことを知り、顔色が変わってしまった。
 「まずは先入観無しに、例の徹甲弾を使用したライフルでCQBがどう変わったのか、全小隊で体感していただきましょう。このゲームのルールは殲滅戦です。ビデオで横浜市警が相手にした敵はおよそ20名ですが、皆さんの敵役は私と部下の葉山、そしてそちらの森山慎作さんの3人でやります。1小隊ずつ入場してください。」
 保安官事務所側はナイトビジョンを装着し、慎重に索敵を行う。流石にビデオを見ていたらしく、メインのMPXのライトを点灯する者はいない。
 こちらはダットサイトから非可視光線で様々な障害物を照準する。照準する度に、新型弾で破壊可能オブジェクトか否かがダットサイトに赤と緑のライトで表示されるので非常に分かりやすい。僕は鋼鉄のコンテナの陰からエアコンの室外機の陰に移動しようとした隊員2名にレーザー装置付きのAKを向けて撃つ。2名は死亡の判定となった。ルカさんが1名射殺、三浦氏が2名射殺で1ラウンドはゲームオーバーとなった。
 全チームが3名の敵役に見事に殲滅されて、保安官事務所側には事態の深刻さが非常に良く伝わった。
 今後は僕1名に対して1小隊という組み合わせで敵味方を入れ替えての殲滅戦だ。僕に渡された武器はIRIS CORPSが近接戦で使っている45口径サブマシンガンのKRISS VECTORである。オールFDEのボディ、同色のサプレッサー付きである。
 先にサイト越しに破壊可能オブジェクトの判定を見てきた僕には、障害物の利用の仕方がよく分かってるというアドバンテージがある。障害物から障害物を器用に移動し、一人ずつ音も無く葬っていく僕に、全隊員が恐れをなした。
 とは言え何の進歩も無かったわけではない。このトレーニングを続けるにつれ、自分たちがAKで攻撃するターンで、彼らは破壊可能なオブジェクトの情報を頭に蓄積していく。こうして新型弾薬の優位は少しずつ崩れていった。
 「大変良いデータが取れました。レビューをしましょう。」と言って、三浦氏は大画面を使い、その日の講評を行なった。
 「新しいプレートが明日全員分納品されますので、明日は皆さんのバイタルエリアは非破壊可能オブジェクトになります。もっと戦い易くなるでしょう。しかしまず第一には被弾しないこと。被弾しないためには位置を悟られないよう静かに移動すること、素早く移動すること、障害物を上手に使うこと、これに尽きます。とは言っても今日対戦していただいた森山さんのように動くのは困難です。ただ、彼の持っているアドバンテージは、例えば足音を極力消すトレッキングシューズや、消音性能の高い銃等で補うことができます。皆さんの部隊では明日より消音性能の高い45ACP弾を使ったKRISS VECTORと、亜音速の300BLK弾を使ったAR-15の射撃訓練を行います。」
 「渋谷保安官事務所の草創期に使われていた銃に戻すわけですか。」有田が意外といった様子で言った。
 「ええ、恐らく当時はギャングへの直接的なダメージを狙っての45口径使用だったのでしょうが、今回はあくまで消音性能で選びました。」
 「そんなに違うものですか?」有田は疑問を口にした。
 「論より証拠、音を聞いてみましょう。」と三浦氏は言って部屋の灯りを落とした。「まずは9ミリをサプレッサーつきMPXで30メートル先から撃たれたとしてどんな音がするか。」

 ピュン!ピュン!ピュン!・・・

 「これが9mmの音ですか。三浦さん、サプレッサーで30メートル離れた射撃だと風を切る音だけがするんですね。」有田は唸った。

 「では45口径いきますね。」

・・・・・・・・・・・

 「あれ、音は?」
 「5発くらい撃ち込んでますが、やはり聞こえませんね。」三浦氏はニヤリと笑って灯りを点けた。
 「銃には機械音と炸薬音がありまして、サプレッサーが対処できるのは火薬の弾ける炸薬音だけなんです。これに加えて音速で空気中を飛ぶ弾頭が、今有田隊長が風を切る音と仰ったソニックブームを発生させます。音速で飛来する9ミリにはソニックブームが発生しますが、45口径は亜音速のため・・・」
 「ソニックブームが発生しないというわけか。」有田は納得したようだ。
 「皆さんはいわゆるタスクフォースですから、委託料の範囲内である程度取り付けるアクセサリには融通が利きます。基本の仕様を維持しつつカスタムのご相談には乗りますよ。」
 「それは助かります。しかし頭では知ってましたが、サプレッサーの効果は結構侮れないもんですね。渋谷保安官事務所の黎明期にはこのベクターが活躍したとは聞いてましたが、渋谷保安官事務所がこれをサプレッサー無しで使っていたなんて勿体ないですね。」有田は首を捻る。
 「記録によると、第一期生の斉藤玉緒隊員がサプレッサーつきをセンター街制圧戦で使ったとのことですね。その時は同じく一期生の久住夏希隊員もAR-15にサプレッサーを取り付けて使用したそうです。センター街制圧戦は奇襲作戦ですから特別だったのでしょう。」
 「しかし、南補佐官という人は45口径信者だったのかな?」
 「この間時間がありましたので、渋谷保安官事務所の9mmへの移行に関する記事、ちょうど65年ほど前の記録を読ませていただいたのですが、当時の成海鉄平保安官、現市長のお祖父様にあたる方で、小隊長の成海耕作さんには大お祖父様にあたる方ですが、彼が南補佐官と装備全般について話した思い出を語ってらっしゃいました。」
 「うちの曾祖父が?」耕作が身を乗り出した。
 「ええ。こと細かに記憶していらしたようで。また、現場の担当として、40口径や45口径の有効性はどうなのかと、かなり率直に突っ込んだ話をされたようです。」
 「それで、南さんはなんと?」有田が興味深そうに尋ねた。
 「渋谷保安官事務所は自警団・・・大体一期生からして女子高生に毛が生えたような隊員中心で構成されてる。とてもプロ集団とは言えない。リコイルが軽く扱いやすく貫通力の高い9ミリは魅力だが、隊員に頭や心臓に致命傷を撃ち込めるほどのコンバットシューティングの練度が無い。なら、弾丸の破片が体内に残る大口径弾の方がダメージは大きいんじゃないか?」と言ったらしいですよ。
 「それは怖い発想だが、医療が崩壊した東京の話としては分かりますね。ぞっとしませんが。」有田は苦笑いで頷いた。
 「今は今、昔は昔ってことだと思いますよ。」と言って三浦氏は笑みを浮かべた。
 
9 SWALLOWS


  有田率いるタスクフォースは、300BLK弾を使うSIG SAUER MCXと、45ACP弾を使うKRISS VECTORを制式な装備として使用し始めた。ハンドガンは9mmのSIG SAUER P320のコンパクトを引き続き使用している。
 委託を受けた訓練教官である三浦氏は、タスクフォースの一人一人と適切な距離感を保ちつつ親身に相談に乗り、隊員たちに良さん良さんと親しみを込めて呼ばれるようになった。
 僕は体術の訓練教官として隊員たちを鍛えた。IRIS CORPSの訓練のとてもユニークなところは、週2回2時間ずつバスケットボールのミニゲームを入れていたことだった。もちろん単なるバスケットボールではない。コンクリートの床にゴールを設置し、電気を消してコート全体を暗所とし、ナイトビジョンを装着して靴は例の特殊なトレッキングシューズだ。
 チーム対抗5対5が基本だが、優勝チームは三浦氏とルカさんに僕の3人との対戦ができる。最初は3人というハンデに憤慨した隊員たちだったが、三浦氏の素早いクロスオーバードリブルとノールックパスには全くついて行けない上、ルカさんに何度もアリウープを決められるという体たらく。正直ルカさんの女性とは思えない凄まじい身体能力には僕ですら舌を巻いた。負けじとルーズボールを拾いに行き、パス回しに参加し、時には自分でカットイン、あるいは速攻の先頭を走ってダンクを決める等、僕もかなり奮闘することになった。
 悉くリバウンドを取られていた隊員たちだが、そのうちルーズボールを取れるようになっていく。その足が、僕が無意識にやっている縮地だということに気づくのに時間は掛からなかった。改めて三浦氏の育成力に僕は驚かされた。
 射撃訓練、体術訓練、座学、バスケットボールと繰り返し、その成果がCQB訓練にフィードバックされていく。
 訓練も半月になったある朝、訓練場に到着すると射撃場に人だかりが出来ていた。テンポ良く聞こえる銃声、その度に上がる歓声。人だかりの中心にはなんと GLOCK17を持った敦子がいた。
 「私の曽祖母は、スナイパーのイメージがあると思いますが、実は近接射撃も得意で、CARシステムに準拠した近接射撃は荒川市では非常に盛んです。」と解説していた。
 「驚いた、敦子さんはこの射撃をどなたに習われたんですか?」有田が本当に驚いた様子で尋ねる「まるでジョン・ウィックだ!」
 「私は荒川保安官事務所に所属したことはありませんので、銃に触れたのはこのIRIS CORPSで三浦所長に手ほどきを受けてからです。」


 「良さん!これ教えてくださいよ!」腰から制式銃のSIG SAUER P320キャリーを抜いて三浦氏に向き直り、口々に言う隊員たち。苦笑いをする三浦氏。
 「いや、優先順位がありましたんでね・・・でも良い頃合いかも知れませんね。」
 「僕も是非教わりたいです!」と手を上げる僕。
 「分かりました。・・・じゃあやりましょう。」と承知する三浦氏。タスクフォースの訓練にCARシステムの訓練がサービスで追加された。
 こうして手に取るように分かるスキルアップを伴うタスクフォースの訓練は最終日を迎え、僕はIRIS CORPSより講師料を貰った。
 「長いことお付き合いいただけて助かりました。慎作さん、今日で全課程終了です。ありがとうございました。」三浦氏が手を差し出した。
 「ええ、僕もとても勉強になりました。」手を握りかえす僕。「ところで、こちらは・・・新しい隊員、募集していらっしゃいますか?」
 「・・・つまり、慎作さんが弊社に加わっていただけるということですか?」三浦氏の顔がほころんだ。
 「自由な民間人の立場でいたいし、三浦さんのところの雰囲気が好きですし、得意なことで貢献できそうですし・・・それにここにいればあの徹甲弾のヤマが追えるわけですし。」
 「まあ、ほとんど歩合制の仕事ですからそんなに給料はたくさん差し上げられません。ただ、私たちにはありがたい。私たちはこの渋谷では根無し草みたいなもので、慎作さんに加わっていただくことで、渋谷に根を下ろせるようなところがありますから。」三浦は喜んでくれた。
 「僕にとって重かった森山の名前が、初めて役に立つわけだ。ボス、よろしくお願いします。」と僕は苦笑いした。
 翌日、僕は斉藤財団でハンドガンを除く武器、装備一式を受け取った。その中に、ヤクルトスワローズの野球帽があった。軽装備の時のヘッドウエアだろう。
 かつて神宮球場をホームとしていたヤクルトスワローズの復活は渋谷、新宿、港の3市が設立した球団の株主となることで、祖父が市長だった30年前に成立した。斉藤財団は、3市の募集したスワローズ球団運営企業募集に応募し、3市の委託を受けてスワローズを運営している。このため財団内にはスワローズ直営グッズショップもテナントとして入っている。
 厄災後福島に本社を移したヤクルトと新しいスワローズ球団には資本関係は無い。それでも名称使用料を払ってまでヤクルトの名を残したのは、厄災前の東京の復活を印象づけるためだ。ヤクルトは、今では年に数十万円のスポンサー料を払っている。
 森山の家名と地縁の重さを随分負担に感じた少年時代を過ごして来た僕であったが、スワローズの紺のキャップをかぶると、改めて渋谷に帰ってきたなと思うのである。

10 SIG SAUER P226
 僕がIRIS CORPSに加わったその日の夕食の席は、珍しく祖父母、両親、兄と僕の全員が揃った。祖父母が食卓を主催する時は祖母が仕切ってプエルト・リコ風のポークチョップ等かなり味濃い目の料理が並ぶ。祖母はジュリアナと同じ高橋家の出身、それもプエルト・リコ系米人のアレックス・トーレス・タカハシ博士を父に持つ人だ。祖母の兄弟は医師になるか保安官事務所を経由して政治家になるかの道を選んだが、祖母は料理人の道を選んだ。70代後半の今でも現役の料理人だ。
 「就職のお祝いだから沢山食べなさいね。近々フィエスタ・デ・アレハンドロもあるから、慎作も久しぶりに行ってらっしゃいな。」と祖母は嬉しそうだ。
 フィエスタ・デ・アレハンドロとは、渋谷のラテンダンス愛好家のパトロンであったトーレス博士に因んだ高橋家主催のラテンダンスパーティで、東京中の愛好家がやって来て大盛り上がりになるイベントだ。僕は祖母に連れられて小さい頃から良く参加し、ダンスとスペイン語をこってり仕込まれたものだ。ちなみに横浜はその種のダンスイベントが多く、僕もアレハンドロ3世という偽名でよく参加したものだった。
 食事の後、男たちだけで父の茶室に集合した。こちらは母の実家の成海家の趣味で、中華風の綺麗な茶器とフルーツたっぷりの小さな焼き菓子を味わいながらの文字通りのお茶会である。
 両親お手製の焼き菓子の上品な味、恐らく値段のつけようのないターコイズや金等で絵付けされた茶器で、これまたいい香りのお茶を楽しむのは幼少の頃からの僕の楽しみだった。父は祖母の気質をより多く受け継いだのか、とても親しみやすく優しい人だった。
 「さて、本題だ。この木箱には森山家が南慎介から受け継いだ遺産がある。もう知ってると思うが、私の祖父、雄作と慎作の曽祖父である渋谷の英雄、南慎介の遺産だ。」と父は木箱を開いた。


 鈍い光沢を放つそれは、SIG SAUER P226。つい最近まで米軍の制式ハンドガンだったP320の一世代前のダブルアクションオート、ネイビーシールズがベレッタを退けて制式銃にしていたものだ。
 「これが?厄災資料館にあるHK45が彼の愛銃じゃなかったの?」と僕は怪訝な顔をした。
 「知らんのは無理もない。」祖父が口を開く。「この銃は親父が斉藤の文さんと檜原に避難する際に米軍の密売屋から購入して以来、厄災時代のほとんどを一緒に過ごした銃だ。お袋の・・・つまり水沢花音だが、海援隊総長引退式で彼女の日本刀と交換するまでな。」
 「海援隊総長引退式の画像を見せてやろう。」と父がプロジェクターのスイッチを入れた。
 髪の短い長身の男が、渋谷保安官事務所のフル装備を着てセレモニーに参加している。海援隊の士官服を着た、小柄な、頰に傷のある少女のような女性が腰の日本刀を外し、これを渋谷の代表に預けると発言する。驚いて立ち上がる男。無造作に腰にあるハンドガンをホルスターごと外して刀と交換した。
 「どうも親父は、何の代償もなく刀を受け取るのはマズいと思ったらしい。それで、ちょっとしたパニックだったんだろうな・・・自分の大事な得物と交換しちまったそうだ。」顔を綻ばせる祖父。僕は祖父のこんな顔は見たことが無かった。
 「後ろにいる爺さんの副官が、高橋涼子、後の南涼子市長。そしてこっちの小柄な女が水沢花音。後のことを思うと何とも気まずい場面だな。」ニヤリと笑う父。
 「それでうちと南家は何年も関係を断つことになったわけですか。」と感慨深げに言う雄作兄。
 「バカ言え、はるか婆さんと南の婆さんは幼馴染だぞ。あの二人は何かっていうと良く会ってたよ。それに俺だって市長会のたびに兄弟の敬介と仲良く上野で呑んだくれたもんだ。まあ、南の婆さんは俺の顔なんぞ見たくないってことだったらしいがな。あの人は寝たこともない親父にぞっこんで、正常な判断ができなくなるタチで・・・いや、そんなことはどうでもいい。」上機嫌な祖父。
 「しかし、父さんと荒川の敬介さんは本当によく似てた。私は小さい頃敬介さんを親父と間違えたことあるからな。」
 「そうなんだよ、英介は本当に薄情な奴なんだ。」と言って大笑いする祖父。「南大介初代荒川市長、これが大層立派な人だったらしいが、俺と敬介はこの大介爺さんに良く似ていたらしい。俺は離れていたからどうということは無かったが、ガキの頃の敬介は大介さんの子じゃないかと随分陰口を叩かれて閉口していたらしいぞ。そりゃ人工授精だから産み月も合わない。大介さんが涼子さんを手籠めにでもしたんじゃないかと噂も立つわな。」
 「うわ〜それは大変だ。敬介さんの心中を思うと、身につまされるな。」雄作兄は渋面を作った。
 「じゃあ、もう一度巻き戻して見るか。」と巻き戻し、プレイボタンを押す祖父。「慎作は親父に本当に良く似ている。見てくれも、宮仕えに向かない所もな。親父は自由な立場だったから地べたを這い回ってでも金を稼ぎ暮して行けた。そういう才覚はあって何とかなったんだ。でもお前には森山の家がある。さぞ重荷だったことだろうよ。」
 「いえ・・・父さんからは、良い家に生まれたことや豊かな暮らしを知っていることは良いことなんだと教えられてきたから、重荷だったというのとは少し違います。ただ、皆さんに恥をかかせたんじゃないかと。」
 「恥だなんて少しも思っとりゃせん。何もかもうまく行く人生なんてあるものか。人生なんぞ上手く行かんで当たり前だ。親父を見ろ。この男は50間際にこの世の不幸によってようやく世に知られ、英雄として名前が残る人物になった。努力とか才能なんてもんで人は立っとりゃせん。世に出る人になるかどうかは世に求められるという星回りの問題だ。行蔵は我にあり、毀誉は他人事なりだ。今の世ですべきことは世の中が勝手に決めるもんだ。だから人というのは何にもならなくて元々なんだ。少なくともこの南慎介は本来そういう男だった。お前が何にもならんかったら、こいつの所為にすれば良いさ。」そう言って祖父はからからと笑った。
 「何ですかそれは。」と苦笑いをしながら、僕は初めてこの家に生まれた幸運を思った。
 「ただな、はるか婆さんはこう言ってた。渋谷保安官事務所一期生は全員が女子高生だった。最年長の斉藤玉緒さんは17歳、最年少の成海樹里さんは15歳だ。全員がほとんど無傷で東京大戦争を生き延びた。政治の素人の初代五人衆をブレーンとして支え、少女兵をそれこそ一人も脱落させずに東京一の精鋭に鍛え上げた。誰にそんなことができる?俺にはとても無理だと言ったら、はるか婆さんは、笑いながらそりゃあんたには無理だとハッキリ言ったよ。」
 「要するに南慎介とは、どんな人だったんだと?」
 「ただただ、面倒見の良い人だった。ほとんどそれだけみたいな人だったとはるか婆さんは言ってたよ。あのキレ者が言うんだから話半分だが、そこそこ秀才ではあっても、特別頭が良いわけでも、特別肉体的に恵まれてたとも思えん。しかし面倒見の良さだけが長所だと言うなら南慎介の代わりは到底見つけられなかったろう。俺は五歳の時に母を亡くした。それまでは母と、母の副官だった女と暮らしていたんだ。母の死後最初は子沢山の斉藤家に引き取られ、斉藤の文さんが暗殺された後、渋谷の子供たちはまとめて檜原の三井市長に預けられた。三井市長は旧姓中島、親父の部下だった女だ。どこに行っても親父に世話になった人がいたよ。その人たち全員に、お前には絶対不自由はさせないと言われて育ったんだよ俺は。そして戻るとはるか婆さんが俺を養子にしたいと言い出した。ただただ、面倒見の良い人だった。ほとんどそれだけみたいな人だったというのはお陰で胸にストンと落ちるものがあった。気質もあるが、俺には無理だったのだろう。俺は親父のそんな遺徳を食い潰し、別の形で世の役に立つ星回りだったのさ。」
 「同じような話を俺も聞いたよ。ただただ、面倒見の良い人だったとね。はるか婆さんは飛び切り頭のキレる人で、悪いことに我らが高祖父の森山和樹は、娘を甘やかす人だったんだと。若い頃はそれこそ鼻っ柱が強くて扱いづらい娘だったと。それをとにかく辛抱づよく指導して、気づいたら記録に残る仕事を沢山させられ、その功績に敬意を払われる人になってたって。だからうちの爺さんの養育は、一番世話になった自分がするべきだと思ったんだと。」雄作兄は言った。
 「雄作ははるか婆さんにべったりだったからな。」父はそう言った。「受験勉強も見てもらってたくらいだし。」
 「あの人に実子がいたらどんな秀才になったんだろうと思うよ。あれ森山の家に生まれたからこその贅沢な体験だった。」
 「しかし、親父この頃は血色が良かったな。高血圧だったんだろうな。それと老眼鏡はかけてない。」動画を見ながらボソリと呟く祖父。
 何気なく目をやると、僕の曾祖父南慎介がそこにいた。これはきっと48歳の姿だ。強いストレスを抱え、酒を手離せない人だったという逸話もある。この人に老後があったとしたら、健康を取り戻せたとしたら・・・その瞬間僕の頭の中で火花が散り、一つの像を結んだ。
 「待ってくれ!そんな、あり得ない!」僕は叫んだ。「絶対に、絶対に、そんな、あり得ないよ!」
 祖父、父、兄は顔を見合せた。
 「三浦良平というのは、一体誰なんだ!」僕は3人の血縁の男たちに言った。「ああ、納得だ、敦子さんがインターンで預けられているのも、森山家に銃を携帯して出入りできる理由も!でも、絶対にあり得ないことだと・・・道警の巡査部長?あり得ない!」
 「気を確かにしなさい、慎作。」父が心配そうに僕の肩に手を置いた。
 「まぁ、普通の反応だろう。」と祖父は言った。
 「あの葉山ルカという人・・・・は・・るか?嘘だろ!だってはるか婆さんは葬儀で骨だって拾って!」
 「どうなさったの?大声出して。」茶室の外から母が心配そうに声をかけた。
 「母さん、済まないが応接室からウイスキーを持ってきてくれないか?どれでも構わないから。」雄作兄が母を促す。「南慎介がコールドスリープを施されて生きていたというのは五人娘以外だと五家門でも限られた人間しか知らない。森山家だけは我々3人が知っていた。それははるか婆さんが一番長命で、斉藤玉緒さんから南慎介を託されたからだ。」
 「南慎介には代わりの心肺が必要で、その開発をはるか婆さんが指揮していた。でも、蘇生した後のこともやっぱり心配だったんだろうな。衰えていく体を脱ぎ捨てて、機械の体に・・・」父は恐ろしく常軌を逸したことを語っていたが、考えてみれば状況が常軌を逸していたのだ、父が悪いわけじゃない。
 「はるか婆さんは通信教育で学位を取ったが、世の中が正常なら東大の理一に進んで工学博士にでもなってた人だ。渋谷保安官事務所の装備には先進的なものがいくつもあるが、はるか婆さんの発明が多い。尋常ならざる業績から渋谷のマッドサイエンティストと呼ばれていたものだ。」と祖父は言った。「それでも完全擬体を作って自分をサイボーグにするほど狂ってるとは思わなかったよ。」
 「頭が痛くなってきた。それで、みんなは僕に何をして欲しいの。」
 「まぁ、事情を知って側にいてくれるだけでも助かるよ。」父が言った。
 「それで、この銃は?ボスに返せばいいの?」
 「いや、銃はお前のもんだ。森山家の法執行官に受け継がれるべきものだからな。政治の道に進んだ雄作じゃなく、お前が受け継ぐんだ。これからエージェントをやること考えたら必要だろう。それに親父は夏希さんの形見の銃を今使ってる。」
 「そうか。・・・しかし、僕はこれからあの二人とどんな顔をして付き合えば良いんだ。」
 「まぁ、ああいう人だから、心配はいらないさ。」そう言って雄作兄はウィンクをした。

11 IRIS & SPIDER
 「慎作さん、簡単なオリエンテーションをしましょうか。」センター街の事務所に出勤すると、三浦氏改めボスが言った。
 ODグリーンのプレートキャリアの胸にはFUGITIVE RECOVERY AGENTの金文字の刺繍のある緑のパッチが、文字パッチの左側には紫色のシールドに金色の蜘蛛が八肢を広げているとても特徴的なパッチが貼られている。


 「これは何のインシグニアですか?」と僕が尋ねる。
 「紫色は渋谷の花である花菖蒲の色、蜘蛛は私なりに考えるエージェントの仕事のあるべき姿です。渋谷のハチ公さんたちの目の行き届きにくい小さな仕事を、コツコツ誠実にやっていきます・・・みたいな感じかな。」
 「ああ、渋谷を立ち腐らせる小さなバグを丁寧に摘み取りますといった意味合いですね。悪くない。」僕は頷いた。
 「渋谷も大分治安が良くなってきたので、むしろ民間人である私たちの仕事は重要かも知れません。強盗や放火ならまだしも警察が出張ると却って火に油を注ぐようなケースも無きにしもあらず。そうだ、これは高橋家からのオーダーで来た仕事なんですが、やってみませんか?」
 「国民生活基礎調査?何ですかこれは。」
 「厚生労働省の基幹統計調査で、今年は生活と支え合いに関する調査というものらしいですね。社会保障政策の基礎資料としてアンケートを取るらしいです。どうも今年は笹塚の市営住宅が当たってしまったようで・・・。」
 「ああ、たまに銃声が聞こえるとか、白昼堂々薬物の取引が行われてると噂のある。」
 「ええ、エージェントの本来の仕事じゃありませんが、慎作さんには丁度良いんじゃないですか?」
 「分かりました。保健所に寄ってオリエンテーションを受けて、身分証明書と帳票を受け取って来ます。」
 「やり方はお任せしますが、エージェントのバッジとその腰のチーフスペシャル、あと無線は持って行ってくださいね。くれぐれも気をつけて。」
 「承知しました。」

 僕は保健所の担当官から鍵のかかるアタッシュケース入りの帳票とネームタグを受け取り、社のオフロードバイクで笹塚に向かった。
 笹塚の市営住宅には入居者の中から選ばれた世話人のような人が居るとのこと。市営住宅を管理している福祉課の人によると、福島さんというお名前の75歳のお婆さんとのことだが、もう何年も打ち合わせが出来ないでいるという話だ。不思議なことに家賃の滞納は無いらしい。近くの小学校の校務の人に声を掛ければバイクを停めさせて貰えるとのことだったので、アドバイス通りバイクを小学校に置いて、スワローズのキャップをかぶって徒歩でアパートに向かった。
 アパートの敷地にはバスケットボールコートがあり、中学生らしき男の子が一人ボールを置いてバックボードタッチを試みている。決して極端に小柄というわけではないのに、ジャンプが流れて十分な高さに届かないのは、多分足の踏切が弱いのだろう。
 「やあ、ボードタッチは難しいかい?」と僕は声を掛けた。
 声を掛けるや少年は僕の声に返事もせず、ボールを持って走って逃げ去った。子供への声掛けが難しい時代などというのは今に始まった話ではないが、市の役人に腫れ物扱いされている地域の子供というのは、「大人」に対してこういう独特の対応をするものだ。横浜でも経験がある。
 それにしても噂とは随分違った雰囲気だ。本来は芝と植え込みのみの庭だったはずの場所に所狭しと野菜が植えられている。胡瓜、茄子、トマト、トウモロコシ、ズッキーニ、パプリカ等の夏野菜が大量に実っている。薬物取引?銃声?何の話だ。僕が内心驚いてると、後ろから声を掛けられた。
 「あんた、何の用事で来た?ああ、市の人か。」僕に声を掛けた男は、僕と同じくらいの背丈だ。首に龍の刺青、頭頂部の頭髪を綺麗に後ろでまとめ、脇と後ろを刈り上げたヘアスタイルはちょっと威圧感がある。中華系ギャングの中堅といった雰囲気がある。
 「済まない、良い畑だったものだから。僕は厚生労働省の調査で市営住宅の地域を保健所から依頼されて来てる森山というもんなんだけど、このアパートの福島さんという人に挨拶がしたいんだ・・・」
 名札を一瞥した男は素っ頓狂な声を上げた。
 「慎作!(シェンツオ!)、一点也不小心(イーディエンイエーブーシャオシン)、特殊攻击者!(テーシューコンチーチャー!)」
 「王克强!(ワンコチャン!)」
 ここからは日本語で、
 「ワンコちゃんじゃない、ワン、クー、チャンだ、リピートアフターミーだ特攻野郎!」と言って笑顔で僕を抱き締める男。
 「いや本当に久しぶりだ。懐かしいな!」と僕も抱き返す。
 王克强、渋谷保安官事務所の中隊長である有田と同様、僕の中学の同級生、そしてバスケ部のチームメイトだ。ワンちゃん、わんこ等と僕は呼び、彼は僕をシェンと呼んだ。クールなプレイスタイルの彼から見ると、僕のプレイスタイルは無謀極まりない危ういもので、特攻野郎(特殊攻击者)とよく呼ばれたものだった。もちろん僕らを強く結びつけたのは北京語だ。
 僕は、なぜ自分が派遣されるハメになったかをワンに詳しく説明し、福島という老婆への取次を頼んだ。
 「入院してるんだ。長いことな。市の福祉の担当もここを怖がって来やしないから伝わっちゃいないんだろうが。もちろん俺らには好都合ってもんではあるんだが。」
 好都合とは畑の件であると察せられた。公営住宅は市の承認した植栽以外は禁止されている。ましてやこの畑で収穫を得ているとなればそこそこ問題となる。更に厄介なのは、市としてはこの畑を無理矢理潰すことも出来ないということだ。ペット等と同様、入居者に禁止することは可能だが、無理矢理取り上げると問題になる。
 「お手上げだ・・・というか、この件は僕の仕事とは直接関係無いからな。」
 「で、シェンは何をすればいい?」
 「とりあえず入居者と世帯構成をリストアップするのと、調査票を渡したら終わりなんだが。」
 「じゃあ、俺が口利いてやるよ。」と言うワン、携帯電話で2棟のアパートの世話人にメッセージを送ると、順番にやって来てくれた。僕の作業は彼のお陰で2時間で終了した。

 事務所に戻るとボス、ルカさん、敦子さんが揃って終業の準備をしていた。
 「早かったですね、調査も上手く行ったようで。」ボスはメッセージを見てくれていたようだ。
 「ええ、何事もなく。」
 「我々は上がるところです、慎作さんも上がりますか?」
 「僕はこれから常磐松の斉藤財団で射撃訓練をして来ようと思いまして。」
 僕が射撃訓練と言うと、ボス、ルカさん、敦子さんの3人が目を輝かせ、代表してボスが言った。
 「ぜひ一緒に行きましょう!」
 最近エージェント資格試験に合格して、ホルスターに真新しいGLOCK17を差してベルトにバッジを着けた敦子、同じくピカピカのアンティークのベレッタを差したルカ、腰の8時の位置にコンパクトなGLOCK19を差したボス、やる気満々だ。元々3人で射撃訓練に行くつもりだったようだ。
 助手席に敦子さんを、大きなトランクをジムニーの後部座席に載せて走り出すボス、オープンのスポーツカーに乗り込むルカさん、僕は2台の車をオフロードバイクで追う。
 レンジでイヤーマフを装着。僕はリュックからP226を取り出してスライドを引いて中を確認、マガジンを差し込みスライドを引く。そしてデコッキングを行い、ホルスターに収める。
 早くも隣で敦子さんがG17を撃ち始める。
 (良いグルーピングじゃないか、しっかり反動を押さえ込めてる)と僕は感心した。
 その向こうではルカさんがベレッタをバンバン撃ちまくる。こちらは30メートルの的に正確無比な射撃。ど真ん中に綺麗な穴が空いてる。
 僕の左隣にいるボスはいつものG19ではなく、STACCATOを使用している。これも凄い命中精度だ。ルカさんはサイボーグだが、ボスは生身であることを考えると驚異的だ。
 僕はダブルアクションで初弾を撃つ。弾は狙いから2センチ右にずれた。その後は外さなかったが、どうしてもダブルアクションの初弾は綺麗に当たらない。ルカさんもダブルアクションなのに雲泥の差だ。
 「今はダブルアクションオート自体が骨董品ですからね。でも十分使用に耐えるレベルじゃないですか?」と、ボスは言ってくれた。
 「これだと突入時に不安です。練習しないと。」
 「慎作さん、私がそれを使ってた頃は針の穴を通すような精密な射撃というものが求められない時代でした。幸いうちはテスト部隊だから試供品の銃が沢山あるんですよ。試してみませんか?」
 トランクを開くボス。FN、S&W、SIG、HKとメーカー各社の最新の銃がズラリだ。僕はハマポリ時代愛用していたS&Wと、渋谷保安官事務所が使っているP320 CARRYのハイエンドカスタム、HK VP9の新型を試した。
 M&Pは外す気がしないというレベルで良く当たった。P320 CARRYはそれ以上の出来だ。VP9は握った瞬間に手にしっくり来る。これも綺麗な弾道で標的中央に当たった。
 「どれも素晴らしい。」僕は唸った。
 「HK VP9の内蔵ダットサイトを使わないでそのグルーピングはさすがですね。」
 「内蔵ダットサイト?」
 「自動ゼロイン機能つきの内蔵ドットサイトですよ。慎作さんに支給したワイリーXのフレーム左にGRAPHICS機能のスイッチがありますよね。それをオンにしてスライドの上の赤いボタンを押してみてください。」
 「うわ、これバーチャルドットサイトですか!」
 「一度的の中央に赤い点を合わせて撃ってみて下さい。」
 僕が撃つと右斜め下に弾道がズレた。
 「一度撃つとドットが修正されます。もう一度撃って。」
 「当たった!すごいな。二発目、三発目も!」
 「ゆくゆくハンドガンはみんなこの仕様になるでしょう。あっちゃんのグロックも私のSTACCATOにも同じ機能がついてます。」
 「ルカさんは?」
 「ルカは・・・まぁ、ダンディズムというやつです。それにね・・・」ニヤリと笑うボス。
 (サイボーグだからなぁ。)
  「VP9を使わせていただきます。」
 「レポートを書くとHKからデータ料を貰えますから是非挑戦してみてください。」
 「ありがとうございます。」
 僕のガンロッカーに新たにVP9が加わった。

12 ハロウィン
 僕は今、荒川保安官事務所出身の女性エージェント太田智子とハロウィンでごった返す渋谷を歩いている。長い髪を後ろで結わいてキャップをかぶっている。お色気ムンムンの肉付きのいかにも精力的な感じの人で、年は僕と変わらないくらいか。場所は道玄坂二丁目東から道玄坂二丁目の間、つまり文化村通りだ。これは保安官事務所からの委託でうちの会社が警備を受け持った地区だ。こういう仕事は警察官として市民対応をしてきた現場勘が無いと難しい。器用なボスとルカさんはそれもなんとかこなしてきたようだが、元本職の僕と太田さんが加わったことで後ろに引っ込んでいる。
 僕と太田さんは揃いの紺のフーディを着て緑のプレートキャリアを防刃ベスト代わりに着用、警備の黄色い腕章を着用、スワローズの野球帽の上からヘッドセットを着用して、無線を聴きながら文化村通りを歩く。腰にはこれ見よがしの銃だ。

もちろんマガジンには実弾ではなくゴム弾が入っている。太田さんも同様に拳銃を携帯しているが、こちらは40口径のGLOCK22、相当なアンティークだ。聞くと荒川保安官事務所が法執行官向けのオークションに出した東京大戦争時代のものらしい。
  「これを手に入れた時は、憧れの南涼子市長と繋がれた気がしました!」と目を輝かせる太田さん。「撃つ度に東京大戦争時代の英雄の息吹を感じます!」
 東京を混乱から取り戻した英雄たちの時代への憧れから、法執行官への道を進む若者は少なくないが、これほど熱狂的な人も珍しい。フレームを生体認証つきのタンカラーのものに換装し、現場でも使用可能なセッティングになっている。ちなみに落札価格は100万円とのこと。マニアここに極まれり。
 彼女は荒川の南家が送りこんできた敦子さんの護衛だ。敦子さんがエージェント資格を取ったことが原因らしい。彼女の祖父の敬介氏とうちの祖父の泰介は異母兄弟でツーカーの仲であり、母の世代を直に知っている彼らの共通認識は、女の子も多少お転婆ぐらいが良いというものだったが、その下の世代の人たちは保守的で、慌てて護衛を送りこんできたということだ。
 ちなみに太田さん、保安官事務所では中隊長クラスまで進んだ優秀な人らしく、東京大戦争時代の研究のためにキャリアを放り出して青山学院大学に進み、生活費はエージェントと保安官事務所のインストラクター業で賄っていたとのこと。人は見かけによらない。そんな人物がこの仕事に乗ったのは、もちろん死んだはずのリアル南慎介の下で仕事がてきるというエサに釣られてのものだ。
 「事情を聞くまでは敦子お嬢様ご乱心かと思っていたものでしたが、まさかのアダム様、しかもあんなに腰の低い素敵なイケオジになっていらっしゃるなんて!」
 「ボスはなるべく目立たないように気をつけてますから。」遠回しに僕はクギを刺す。
 「ご懸念には及びません。私はこれでも口が固い女ですから。それに評判の森山の鬼武者とご一緒できるのもすごい幸運ですし。」
 「森山の鬼武者?僕は荒川でそんな風に呼ばれてるんですか!?」今更ながら警官の情報の速さにはうんざりだ。
 「素手で四、五人捻るくらいの猛者は厄災後80年の歴史を考えれば数年に一人くらいはいたんでしょうが、ナイフ一本で銃を持った30人を相手に圧倒するのはちょっと人間離れしてますよ。」
 「でも部下は全滅ですからね。ことさらに空気を重くする気は無いんですが、例の新型弾薬が渋谷にも流れて来ているのは明らかで、僕は僕なりのケジメをつけたいんですよ。」
 「私も同じくらいの職位だったからお気持ちは分かります。」急に警察官の顔になる太田さん。「意外とエージェントという立場は思いを遂げるには近道なんじゃないかと思いますよ。」
 「ええ、僕もそう信じてます。」
 彼女の胸にはIRIS CORPSの花菖蒲色の特徴のあるパッチが光っている。すっかり渋谷のエージェント然とした風体になった彼女だが、スワローズのキャップにはギリギリまで抵抗した。荒川は巨人軍の有力なスポンサー自治体であり、彼女自身もG党だったからだ。
 「ボスだって旧荒川区民じゃないですか、心はジャイアンツプライドじゃないんですか?」と泣きそうな顔をした。
 「私は多分この東京で唯一人、後楽園球場を知ってるG党ですよ。でも渋谷の市民を陰ながらお守りするのが私の今の仕事ですから、だから太田さんも、ね?」とウィンクした。
 嘘だ。彼の好きな球団はバスケットボールのロサンゼルスレイカーズだけだ。厄災時代は同じLAのドジャースのキャップをかぶったりもしたらしいが、ボスは野球には全く興味がない。後に東京地方政治の傑物となった五人娘もこんな風に転がされたのだろうか。
 ちなみにボスは後楽園球場で興味の無い野球を見ていられるような辛抱強い子供ではなかったらしい。すぐに飽きてしまったボスのせいで落ち着いてデイゲームを観られなかった僕らの高祖父南大介氏は、帰りに幼かったボスを後楽園遊園地のバルーンという乗り物に乗せてたっぷり泣かせたそうだ。どんな恐ろしい乗り物だったんだろう。
 文化村通りを往復しながら、僕らはロケットチューハイと呼ばれているアルコール度数の高いチューハイを路上で飲んでいる若者たちに切符を切ったり、泥酔した若者による執拗なナンパ付きまといに割って入ったりと警備業務をこなす。一時間でボスと太田さんが交代した。
 「退屈じゃありませんか?」ボスが僕に尋ねる。
 「制服警官だった頃を思い出してました。この仕事は退屈のまま一日が終わってくれれば御の字ですよ。」
 「実にらしい言葉ですね。私は警官の基礎的な訓練を受けて来ませんでしたから、この方面では私は慎作さんのお弟子になりますよ。」
 「恐縮させないでくださいよ。」僕は苦笑いする。
 「スキルセットの中でもそれでお金を稼いで生活してきたものはとても尊いと私は思いますよ。」
 偽らざる実感なのだろう。アウトプットを見ればこの人が80年前に成し遂げたことは偉大と言う他無いが。ふと、右腰のSTACCATOが目に入る。
 「最近グロックはお持ちになってないんですね。」
 「あれねぇ、あいりちゃんにどうしてもってお願いされましてね、譲ったんですよ。」
 「あれ、久住市長の大事な形見なんじゃ・・・」
 「形見と言うか・・・今の皆さんに夏希の人物像ってとう伝わっているんですか?」
 「そうですね、保安官事務所を引退された後、早稲田大学に進んで法曹資格を取得。お父上の引退後市議選出馬、渋谷市保安官時代に日本の警察制度と同じレベルまで保安官事務所の組織を改革、その功績で斉藤文太郎政権の副市長に。法律家らしく緻密で分析的、強い意志と実行力のあるリーダーというのが僕らのイメージですね。」
 「そうなんですね。夏希頑張ったんだな。」
 「違ったんですか?」
 「いや、すごく精力的ながんばり屋さんでしたよ。ただ、私の知ってる夏希は豪快というかおおざっぱで、有り体に言うと体育会系って感じでしたね。センター街の戦闘の前日に南さーん、私のグロックがなんかトラブってるみたいで~って言い出しましてね、交換する部品がちょうど切れてまして、もうちょっと早く言えよ~って。」
 「それは・・・本職の警官ならあり得ないですね。なるほど未成年の少女を使うってそういうことなんですね。」
 「もー仕方ねぇなぁ、これ使っとけって私がバックアップ用に持ってたグロック19を渡して、そのまま・・・。」
 「えっ、借りパクですか?」
 「まぁ、生前あの子がずっと肌身離さず使ってたっていうんだから、お役に立てて良かったって話ではあるんですが。それが80年ぶりに私のところに戻って来たってわけです。」
 「それを、あいりさんが欲しがる理由が良く分からないんですが。」
 「ゲン担ぎかな。いよいよ政界進出ってところなのかも。」
 「じゃあ、斉藤財団はどうなるんですか?」僕は少し慌てた。
 「すぐって話じゃあ無いんでしょうけどね。あくまで可能性の話なんでしょう。」
 「確かに久住市長が使ってた銃なんてご利益凄そうだ。」
 「お陰であいりちゃんの伝手で試供品のしかもかなりハイエンドなハンドガンを沢山貰いましたからね。」
 「このVP9、出所はあいりさんだったんだ!」
 「ええ、私たちには夏希のご利益より新型の銃の方が有難いし。」
 「それはそうですね。」
 「最新技術ってのはバトルプルーフの蓄積によって生まれるんです。武器だけは新しいものが良いですよ。」
 もしかしたらボスは僕がP226を封印したことに少し失望してやいないかと思っていた。全くの杞憂だった。
 「それでは慎作さん、そろそろルカと代わりましょう。お腹空いたでしょう?」
 「ありがとうございます。一旦上がらせていただきます。」
 僕は一度社のワゴンに戻った。

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