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東北横断の旅 01 松島から山寺まで

東北を選んだのは、とくに理由はありませんでした。これまで東北とはそれほど縁がなかったこと、それに関東ではまだまだでも、東北はそろそろ紅葉づいているのではないか、そんな単純な動機です。

これまで多くの旅をしてきましたが、東北に旅行したのは1度のみ。それも盛岡、秋田、青森といった北部の、最奥の陸地、陸奥といって良い場所でした。なぜか、自分自身の旅はより奥へ、より先へという傾向が強く、中間どころ、中庸というものがうまくバランスが取れない傾向がありました。

今回の旅は宮城に始まり、山形に終わります。東北の中での彼の地はまさに中間どころ、東北のへそといっていい土地柄でしょう。それでは、拙い旅行記ですが、でっちり(たくさん)ご賞味ください。

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深夜の都心のバスターミナルは眠りません。日付が変わり周辺からだんだんと人々の姿が消えつつあるときでも、バスの発着場ではまるで朝の通勤ラッシュ並みにバスが到着し、それぞれの目的地を目指した乗客を乗せて慌ただしく出発していきます。

実は、このような夜行バスを利用することはほとんどありませんでした。旅の殆どは飛行機あるいは列車を乗り継ぐものでした。夜行バスや高速バスのたぐいはこれまでの旅行計画には入ってきていませんでした。それがなぜ、今回は夜行バスなのか。これも、理由ははっきりとは伝えられません。ただほんの少しの動機をあげるなら、仙台には朝に着いてみたかった。

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早朝の仙台駅前に着くと、バスの乗客たちは蜘蛛の子を散らすように方方へと歩いていき、バス停にポツンと残されます。目の前にある仙台駅のコンコースに向かうもほとんど無人で、改札機のピンポーンという電子音が定期的に聞こえてくる空間でした。ふだんは雑踏でごった返す風景が思い浮かび、その対比に早くも非日常がやってきました。

改札をくぐり抜け、すぐに最初の目的地に向かいます。

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走っている電車は都心で見かけるものとほとんど変わりがありませんでした。車内アナウンスも似たようなもの。それもそのはずです。運営会社はJR東日本。都心と同じなのです。もう少し、その地を走る路線によって地域色を付けても良い気がしますが、そんな地域色を降り立った駅で発見します。

なんと、駅員がいない無人駅にICカードの読み取り機だけが置かれています。都会ではあまり見られない光景で、ICカードという最新技術が無人の空間にポツンと置かれているギャップが、妙に感心しました。やはり遠くに来たのです。

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最初の目的地、松島に来ました。

そういえば、東北といえば、ですが、もう一つありましたね。芭蕉です。彼は江戸を出発し一路東北へと向かい、ここ松島にも立ち寄り俳句を一句残しました。その後東北を横断し庄内平野に至り、そこから日本海側を上り敦賀まで行き、最終的に大垣まで旅しました。実に2,400kmほどの徒歩での行程となります。それ以外にも多くの旅をした彼は、俳聖であり「旅聖」でもあったのかもしれません。

芭蕉で有名な松島ですが、意外なことに芭蕉は松島については俳句を残していません。そのかわり、彼は旅行記「おくのほそ道」を残し、その中で松島を

”松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ず”

と賞しています。中国の景勝地、西湖にも劣らない日本第一の景勝地という意味です。

なるほど、海に浮かぶ島々はまるで宝石のように見えますし、遠近様々な島が折り重なる様子は他にない優れた風景ですが、訪れた朝はあいにくの雨・・。

この時間、晴れていたら朝日が見えていたはずです。でも、まあ、これが旅ですね。芭蕉が訪れたときも晴れていたとは限りませんし。

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松島という名の由来になったと云われる雄島を訪れたところで、急に雨脚が強くなりました。手持ちの雨具が心許なかったので、その後の予定は切り上げいそいそと駅舎に向かいます。また列車の旅が戻ってきます。

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松島を離れ、太平洋に別れを告げて内陸部へと踏み入ります。なるほど、列車の名前にも奥の細道が使われているのですね。列車を乗り継いでいき、一路、芭蕉ゆかりの地平泉へ・・とはならず、途中で新庄方面の列車へ乗ります。平泉は中尊寺金色堂ですが、幼少の頃訪れたことがあるので今回はパスしました。それに、あまりに有名どころなので・・。

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乗客は紅葉狩り目当てが多いのか、ハイキングの出で立ちの人が多く乗車していました。山あいに近づくにつれ、植物の色に赤みが増してきます。途中、列車がスピードを落としたかと思えば、紅葉が美しい渓谷に差し掛かりました。車内にアナウンスが流れ、見どころを解説しています。この路線は観光路線でもあるのですね。

ふと、向かいの座席に目をやると、初老の男性がまだ立てるようになったばかりの幼児を抱きかかえていました。おじいちゃんとお孫さんの風情です。席をあちこちと座り直し、お孫さんに景色を見せたかった様子でしたが、当のお孫さんはお菓子に夢中。それでもおじいちゃんはめげず、身を乗り出して後ろ窓に手を伸ばしていました。ほほえましい光景でしたが、お孫さんに紅葉の美しさがわかるのはもう少しお年を重ねてからかもしれませんね。

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その後も列車を乗り継ぎ、次の目的地、立石寺に着きました。通称「山寺」です。

山寺といえば、芭蕉の次の俳句が有名です。

”閑かさや岩にしみ入る蝉の声”

意味はいわずもがな、山寺の静寂さを表現したすぐれた句ですね。でも、訪れた季節は秋、セミなんて1匹もいません。地面を掘り出したら幼虫はいるかもしれませんが。

そんな静かなはずの山寺も、現在はたくさんの観光客が押し寄せる一大観光名所となったようです。ふもとにはさまざまなお土産屋さんが立ち並び、お食事処も充実して郷土料理に舌鼓を打つ人もたくさん。でも、山寺の本当の魅力は奥の院にあります。

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圧倒的な階段数。奥の院に行くためには、実に1,070段もの階段を登っていかないと辿り着けません。いくら秋とはいっても、この重労働でまわりの参拝客の額から汗が流れています。そんなこともあるであろうことを想定し、駅のコインロッカーにしっかりと荷物を預けてきたことは、会心の出来事でした。

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階段に四苦八苦しながらやがて見えてきた奥の院は、断崖絶壁に囲まれた狭い場所に建てられていました。その中でも釈迦堂と呼ばれるお堂は断崖絶壁の上のさらに岩の上に建てられ、岩もろとも真っ逆さまに落ちてきそうな錯覚を覚えます。もしこのような場所で修行をすれば、芭蕉でなくとも浮世離れした感覚が得られるのかもしれません。

朝から降り続けていた雨は、この時だけは水滴を降らせるのを止め、晴天も顔を覗かせました。

老い若き問わずたくさんの方が奥の院まで参拝されていましたが、頂上まで登ってきた方は一様に満足したという表情を浮かべていたように見えました。

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見下ろすと門前町が眼下に広がっています。芭蕉も同じ風景を見たかもしれませんね。

山寺を降りるときにはもう日が傾いていました。日が沈むにつれ急激に気温が下がってきました。内陸の気候は気性が荒そうです。急いで次の目的地に行きましたが、時間が切迫していました。

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楯山城跡公園から見下ろす最上川です。ここで最上川は手前の山に阻まれ、大きく右に流路を変えて流れていきます。ここが現役の城郭だったころに、お殿様も居館からの眺めに満足されたのかもしれませんね。

最上川もまた、芭蕉にゆかりが深い川です。そのエピソードはまたの機会に譲るとして、山形で宿をとり、一日目を終えます。

次回は蔵王の旅記録です。



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