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弱音、吐いてもいいじゃん。

見てくれてありがとう。

埜澤かずみ です。


色々と気付きがあって

自己紹介も書き直す予定なので

いつもと違う感じでお届け。



最近、いつもよりもっと

じっくり感じる時間を増やしていて


そうすると、2月に亡くなった母の事を

ふっと思い出すんだよね。


母が大好きだった福山雅治の

YouTubeチャンネルは

登録してて


ふっと思い出すだけでも

泣きそうになるのに

曲聴いたらもう

号泣だよね。


こういう想いもあっていい。

そうだね、って

ただ存在させてあげる。

それでもいいんだよって

届けたくて


溢れてきた思いを

Twitterで呟きました。


リプ欄に続きがあります。



何でもそうだけど

ドラマチックにしてるのは自分で

怒りも、憎しみも

喜びも、悲しみも

全部、そう。


だからこそ

それをあっていいとして

続けるか止めるかも選べる。



私は、母の死を通じて

弱音を吐く大切さを

改めて感じました。



昔は弱音ばっか吐いてて

聴いて聴いて!って

見て見て!って

構ってよ!!って

助けてよ!!って

生きてた。


そうしたら

人は離れて行きました。

甘え方もよくわからなくなってた。


だから強くなりたくて

出来る自分でいようと

まぁ、ドヤって

頑張ってたんだよ(笑)


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弱音吐いて、

何か変わる訳でもないしって。


それでも、受け止めてあげる事って

大事で。

まぁ、ノートでもね。


別に声に出す必要はないんだけど

それでも受け止めてくれる誰かが

いるのなら、

ただ、聴いてもらう

というのもいいんじゃないか

って思うのです。



別に解決して欲しい訳じゃない。


よく、男性は解決したがる

とも言うけども

男性に限らずかな、と

最近は思うんだ。


ただ、起こってくる

その溢れ出てくるものを

あっていいよ、って

して貰えるだけでも


すごく、安心するよね。



ノートに書いて

自分自身に受け止めて貰うもよし


受け止めてくれる人に

そうかそうかーって

ただ聴いてもらうもよし


弱音って

頑張って出すものじゃなくて

もっと自然と

ぶわーと溢れるもの。


いいのよ、それでも。

それを感じたいだけ。

今はね。

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