アパレル業で私が知ってる事 余談2。ZOZOは単なるプラットフォームか?

 相変わらず私見まみれで恐縮なんですけど、あまりに「ZOZO凋落」的な話題が多すぎてちょっと違和感が出てきまして。いや確かに難しい局面には立っているとは思うんですけど、でもぶっちゃけそんな簡単なもんじゃないと思っているんですよ。これだけでは凋落はしないってのが個人的な見解です。でも不安材料は山ほどあるかも知れないんですけどね。

 「ZOZO凋落」という文脈の背景には「ZOZO」のプラットフォーム的な側面ばかりが強調されていて、まあ実際そういう捉え方しちゃうのもわからんでもないんだけどなー、とは思っているんですけど、個人的には違う見解を持っていて、要するに「ZOZOってプラットフォームってだけじゃないんだけどなー?」って思ってたりするんです。

 じゃあ何よって言われるのは当然ですので、まあそのあたりを書いてしまいたくなったわけです。

 端的に言ってしまえば「ZOZOはメディアとしての側面も持っている」って思ってるんですよ。まああくまで個人的にですが。

 ZOZOTOWNを支えてきた、特に初期から中期にかけての顧客って、多分なんですけど「ファッションに飢えていた人々」だと思ってるんですよね。これは、例えばユニクロ等のファストファッションが「ファッション疲れしていた人々」であるとしたら対極の人たちで、まあ厳密にはこのあたりはスペクトラムだろうからそんなに二極化できないとも思うんですけど、それでもやっぱりファッションに飢えていた人達ってのはいるはずなんですよ。
 これは別のところでも書きましたが、例えばコスプレであったり、例えばなんちゃって制服であったりという風な方向に流れた層もあったと思うんですけど、この2つ、はっきり非日常なわけで、じゃあ日常的におしゃれを楽しみたいって人はどうすりゃいいのよっていう意味ではやっぱり飢えはあったんだと思います。

 彼らからしたら「高感度なECモールの存在」っていうのは、それこそ喉から手が出るほど欲しかったものであったと思うんですよね。
 でもこれって「プラットフォーム的な受け取られ方か?」っていうと違うと思ってるんですよ。

 さて、なんかこういうのってあったよなー、って思った時に思い出しました。「an-an」と「NON-NO」です。はい、どちらも一世を風靡した雑誌ですね。「an-NON族」なんて言葉が出てくるくらいですから。

 要するに「ファッションの発信基地」としての存在意義ってのはまだ残っているんじゃないかと思っているわけです。そういう意味では新陳代謝さえされている限りZOZOは残り続ける事になるのかな?って思ったりします。

 このあたりが、個人的に楽天やAmazonという既存のECサイトでは取り込めない要素だと思っていまして、私が「新規に」って言い続けてる理由でもあったりします。

 さて、それはともかく、このあたりの雑誌の流れになりますと、サイズカテゴリー違いでいまいち詳しくないってのが本音ではありますけど、本好きとしての面から見てみたら、面白い類似性がある事には気づきました。いわゆる「おまけつき雑誌」です。

 「おまけつき雑誌」ってのは、まあ説明する必要もないかと思いますが、ペンダントやら万年筆やらシリコンスチーマーやらが付いた、どう見てもおまけがメインだよね?的な雑誌というかムック集団です。購買意欲はおまけ側で取りながら、ついでに雑誌を着けておくことで書店に並べられていたあれですね。一時程のブームは無くなりましたが、今でもあります。

 これって、ZOZOがPB展開を始めた構図となんとなく似ている気がするんですよ。いや個人的にですけどね、もちろん。

 ZOZO側がこのあたりの流れっていうか「メディアとしての存在意義」っていうのを理解して咀嚼した上でいろいろな事をやっているのであれば、まあそれはそれでありだと思うんですけど、このあたりを意識していないのであればちょっと今後違う意味で心配です。

 ファッション雑誌でもそうだったとは思うんですけど、メディア側は掲載している商品を目立たせないといけないんですよ。当然メディアとして自分たちの名前を売らないといけないってのもあるんですけど、それだけじゃなくて、掲載している商品の露出もきちんとしないといけないわけです。そうじゃないと広告料を払って掲載してもらう価値がありませんから。

 まあ、メーカー側の反発ってのはそのあたりにもあるとは思うんです。ZOZOの引き立て役かよ的な感じに取られちゃったら辛いですもん。

 ところで、an-anやNON=NOからはいろいろなブランドが飛び出していきましたね。いちいち覚えていませんけど。こういうブランドたちって、要するにan-anやNON-NOを踏み台にして力をつけて、直営店をどんどん出していって、例えばその流れのなかで109出店というステップがあったりもするわけなんですけど、要するに雑誌を踏み台にして雑誌に頼らないでも売れる構造を作っていったわけですね。

 その結果、まあデフレとかファストファッションの台頭とかっていうのも大きかったと思いますが、an-anやNON-NOの相対的な価値が薄れていって、結果的にどちらも今となっては名前すら聞かないっていうか、an-anなんかはファッション雑誌じゃなくなってるみたいですしね。

  さて、ZOZOを踏み台にしていくメーカーは今後も増えていくことでしょう。こればっかりは仕方がありません。知名度を高めるためにはZOZOのメディア的側面は本当に利用価値がありますから。でもこれが続けばやっぱりZOZOの相対的な価値って落ちちゃうんですよね。

 今って、ZOZOそのものをバズらせようという施策が多いんですけど、これってファッションブランドメーカー的にはちょっとそれほど面白くないんですよ、多分。ZOZOが目立つ→自社商品が目立たなくなるっていう流れですから。ECサイトってのは一見無限大に売場面積を増やせるような感じがあると思うんですけど、やっぱり個人の処理レベルを超えたらいわゆる死に場所がでてきちゃうんですよね。

 まあ、そういう感じの事を今思ってたりします。ですので、ZOZOの凋落ってのは半分は的外れでしかなくて、でももう半分っていうか、今後の展望を考えた時に、やっぱりそういう意味でも流出する場所が出てくれば一気に流出するだろうな、とも思っているんですよ。

 まあ、ファッション業界全体の話とすれば、こういう多様性ってのはむしろ歓迎したいところではありますので、そういう意味でも新規ECモールとかできたら楽しいだろうなって思ってたりします。

 このあたりに関しての腹案はありますけどさすがにこれは内緒。っていいますか、ここまで読んでくださった方ならなんとなくは思いつくでしょうし。野暮はなしってことで。

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