アパレル業界で私が知ってること(総論)要するに何やってきたかってのを時系列的に整理してみる。

 実は総論てのとはちょっとというかかなり違うんですけど、まあ要するに何がどうなったら私みたいなのになっちゃったかっていうのを一度整理しておきたいなーって思ったわけです。

 1992年4月に某ベビー子供アパレルに入社いたしまして、最初は京阪神の百貨店担当補助だったわけです。
 まあ、自慢じゃないですが本当に出来が悪い子でして、唯一の優位性が「販売力だけはなぜかある」っていう、そもそも営業には必須でもなんでもないスキルだったりします。
 考えて見てください。ベビー子供服の百貨店の売り場で男性がスーツ着て接客してるんですよ。その瞬間に胡散臭いこと甚だしいです。でも一日の販売金額が販売員と同等だったりしましたから意味がちょっとわかりませんでしたね当時。
 ま、正直言えば販売員が不足気味の(=お客様が多い)売場のヘルプがメインですからある意味当たり前だという考え方もできるっちゃできます。ま、接客好きですしね。

 ってことで、2年半ほどで地方の専門店へ異動しました。面白いのはこの頃ってバブルは弾けるわ大店法は撤廃されてでっかいショッピングセンターが乱立するわで、アパレル企業の場合、バブル前にはとにかく送り込むのが優先で売掛金回収は後回しだったものが、丁度異動したタイミングぐらいで売掛金回収ってのが主業務になったんですよ。
 当たり前なんですが、顧客店舗が儲かっていなければ売掛金の改修なんざできやしませんから、そうですね、2/3くらいの得意先に対しては売ることよりも回収する事を優先していました。
 実はこのあたりで決算書の読み方を覚えまして。まあ当然必要なスキルです。とは言え当時はCF計算書は本にも載っていなかったりとかそういう時代でもありましたけどね。
 個人的には中小企業との関わりはこの時が最もダイレクトでして、例えば「給料はこれ」とかって在庫を指さされたりとかっていう、なかなか目から鱗な事とかもありました(とにかくいらない在庫を持たないようにって本気で考えるようになったのはこの時からです)し、そもそも店頭で売れそうにないものは意地でも卸さないっていう、営業の本業からはものの見事に外れた考えの下で営業してました。いやそういう意味では営業してないか。苦笑。
 当時一番注力していたのは、店舗のコンサルティングで、なによりも売れる可能性が低いものはたとえ仕入れ値が安くても仕入れるなっていう事を口を酸っぱくして言いまくってましたから「売らないセールス」「得意先を怒り倒すセールス」として有名でした。
 ま、そういう事を直接言ってきてくれる程度には良好な関係は築けていたと思います。

 ちなみに、営業成績なんですが「店舗を把握して売れるものだけを厳選してお薦めする」っていうスタンスでしたから、売る気はなかったんですが売上は増えまして。「なんやねんこれ」って当時は思ってましたけど、今から考えたら当たり前ですね。売れるものを選んでくれて、かつそれが売れるんですからそりゃ買いますよ買う側は。個人的にはジレンマ真っ只中でしたけどね、当時。

 ちなみにこの頃、部内の雑用めいた事は単純に手が早いっていう理由だけでわりかしやってました。あと、展示会の集計ソフトの取り扱いが可能だったのが、営業部門では私だけだったので(変なバグ持ってたんですけど、そのバグを回避できるのが営業では私だけだったんです)、展示会の集計業務もやってたりしました。かなり特殊なバグで、プロセスに落とせなかったんですよね。それどころかバグが発生しているのかどうかすら判別困難でしたから。

 ま、なんだかんだと長い事営業でいろいろと渡り歩きながら、気が付いたら「ややこしい取引先は松田にやらせとけ」っていう風潮ができちゃいまして。専門店担当なのに百貨店も担当してましたし、GMSも専門店チェーンも担当してました。あ、ネット通販も担当しました。規模が小さい上に自然消滅しましたけど。
 一番笑ったのは雑誌のコラボ企画で販売したものがありまして。まあマーケティング部が何もわからないまま動かしていた企画なものなので営業的な処理が一切なされていなくて、販売が終了してから数か月後になってから取引開始→販売数値集計→取引終了までの流れを全部やらされたっていう愉快な事例もあります。

 まあ働いていた会社は、ライセンシー契約をして商品を作って販売するっていうのがメインの会社でして、営業やってる時にナイキ社から子供服のライセンスを頂いたんですが、その時の条件としてスポーツ用品店への卸売りを行う事ってのがあったりもしました。
 スポーツ用品店って、伝票の記載内容とかまで異なっていましたから、いろいろ調整がややこしかったので、例にもれず私が担当する羽目になっちゃったりしたわけです。ま、所詮物販業界ですから内部摂政と対外折衝さえきっちりと行ってルールのすり合わせさえできりゃ問題なんて起きないんですけどね。いや、単純に面倒でした。

 ま、そんな感じでお気楽に営業してたんですが(注:この段階でまともな営業からはズレてきていましたけど)、なんか機械とか仕組みとかに詳しいからって理由で本部の商品分配っていう仕事に異動することになりました。
 何するかっていうと、入荷された商品を得意先に振り分けるだけの一見簡単な仕事なんですが、これがまたアパレル業界ではメンドクセー仕事でして。そもそも予定通りに入荷しない、入荷数量は変わる、下手すりゃ発注の分以下とかになったりするわけです。
 この段階でなんとなくですが西日本の全店舗の傾向はつかんでいましたので、独断に基づいて商品を分配してたりしました。ついでに生産部門との折衝も。
 一応自分ルールは決めていて、返品が多いところはとりあえず減らすのはあり、売掛金の回収が宜しくないところはとりあえず減らすのはありってのが基本にしてました。

 もちろん、各担当者や営業課長とかからはクレームが毎日のようにきたりなんかしてたりしました。ま、知ったこっちゃないです。「返品減らしてくれたら考えるわー♪」とか「回収よくなったら教えて♪」とかって調子です。
 若かったので喧嘩腰になる事もしょっちゅうでしたけどね。
 「予算いかへんやないか!」とか言われまくってました。「自分の担当お産だけ行かせて会社潰すつもりか!」とかって平然と言ってましたけど。
 ちなみにこの頃から経営は悪化してきていましたから、こういう言い分は正当性があったりしたってのもあります。

 まあそんなこんなで2003年、いつもの事でのんびり手抜き(ただしクオリティは維持かアップは前提)の手法を考えながらお仕事していたら、ふらっと当時の社長が来て「返品多いからなんとかならん?」ってな話を持ち込んできたのがその後の愉快な地獄の始まりでした。まあぶっちゃけ立ち話(ちなみに私は仕事しながらだから座ってましたが社長は立ちっぱなし、しかも残業時間にはエアコンが切れるのでズボンはロールアップして短パン化してました。冬だったんですけどね)。
 1時間くらい話をしていく中で「要は本部が店舗への納品量とかそういうのを管理すりゃ良いんじゃね?」的な結論に達しまして、数か月後にレポート出しました。
「じゃ、これで」的ななんかよくわからない軽い感じでOKが出て、一年程度準備期間が与えられたんですが、裏側ではその1年でファンドへの売却が進んでいまして。気が付けば大幅な人的リストラ&ファンドへの売却が決定しちゃったんですよ。

 ファンドへの売却の条件として「本部中心の商品管理」ってのがあったために、リストラで手をあげる権限は(法的にはあったんですが、実質的に)ありません。さて業務改革の最先鋒になっちまいました。ちなみにガチ平社員です。笑。

 その折に、大幅な組織変更が行われ、職能別組織からブランド別を主とした事業部制に移管しまして、名目上はナイキの商品コントロールを行うのが主となりました。
 でもこんなもん名目です。大きな業務改革が行われていて、第一人者は言い出しっぺの私ですから、全貌を把握しているのは当時私だけです。必然的に他のブランドも見ないといけません。

 この時に行ったのは大きくは「本部主導発注」「企画のMD計画の現場への落とし込み」「追加投入の管理」「そもそも投入予算の管理」みたいな感じの事です。
 今までは卸売りでしたから、まあ勝手に店舗毎で発注して、発注に原則従いながら商品を分配して、いつ店頭に送るかは営業が独断とかそういうので決めていたという、中々愉快なメカニズムでしたから、そのうちの大半を営業の手から取り上げたわけですね。だって返品山ほど帰ってくるんだもん。ま、なかなか非難だらけでした。「全店舗発注なんかできるわけない!」とまで言われましたからね。個人的には目算が立ってたので「いや余裕なんやけどなー」とかってお気楽に思っていましたけど。

 ま、1年位は営業とあーだこーだと喧嘩じみた事をしながらやりましたけど、結果さえ出しちゃえば勝ちです。少なくともナイキ事業部は結果出しましたから文句は止まりました。理屈を考えて理屈通りにやったら理屈通りの結果がでただけですから簡単ですねー。

 1年後には商談のややこしさから営業部門は独立して1つにまとまりましたけど、商品の差配は事業部側に残せましたから、まあそれはそれでやりやすくはなりました。

 ちなみにそれが可能となる背景として、店頭からPOSデータが(全店ではありませんけど)ある事はわかっていたので、まあそっちを分析すりゃどーとでもなるっていう計算もありましたし、店頭側のクレームは、店頭より売れ行きとかそういうものに詳しくなっちゃえば文句なんかでなくなりますし。

 ちなみにこの段階では基幹システムが卸売り特化だったので、オペレーションがとにかくうっとうしかったのを覚えています。

 ま、リストラの関係でPOSデータの抽出の方法とかが失われてたので、アクセス権限だけもらって自習しましたっけ。なんやねんって話なんですが、それやらなかったら破綻しますから1週間くらいで速習しましたっけ。
 基本無茶振りなのかも知れませんが、要するに会社を立て直すためにやらないといけない事は何してでもやるっていうスタンスは、会社に残るって決めた瞬間に(実質的な選択肢は無かったとはいえ、残るって決めた時にそのあたりは割り切りました)決めてましたから、その程度の速習くらいは、まあ、やるべきことでしかありませんからちゃっちゃとやっちゃいました。

 ま、当時のデータベースはいろいろ不備も多く、販売合計の欄が無かったりとか、まあいろいろ不都合がありましたので、Accessで前処理する事を覚えたりなんかしましたっけ。

 まあそんなこんなで何とか思うようになりつつあるよなーみたいな状況になった時に、衝撃的な事実が知らさえちゃったりしました。
 基幹システムだったメインフレームのリース期間が切れ、再契約したらウン億円の金がさらにかかるっていう中々ハードな事実です。
 当たり前ですが、メインフレームを当時流行していたサーバークライアントシステムに置き換えるっていうプロジェクトチームは聞くところによれば5年くらい前から作られてはいたものの、人的リストラの影響で関係者の大半が抜けていたので頓挫していたってのを、半年くらい前に急に知らされまして「まあとりあえずなんとかしろ」という愉快な指示が飛んできたりしました。
 まあ言いましたけどね。
 「とりあえず動くようにはしますけど、使い勝手とかは後から調整しますから動いたタイミングではかなりえぐい事になりますけどヨロ♪」って。
 ま、実際それでえらい目にあうのは自分のチームなんですけど。苦笑。

 折角なので卸売りメインの仕組みをSPA型(販売場所が百貨店での消化取引とかですから厳密なSPAでもありませんし、そもそもSPAなんて言葉知らなかったってのもありましたけど)、店頭在庫の時期時期での理想形を登録しておけば、まあ半自動的に売れて抜けた商品を追加するような感じのメカニズムに組み替えてやろうとか思ったりもしました。
 とは言え、あまり売れない店で1枚売れた場合と、販売力が強い売場で1枚売れた場合では必要性というか今後の販売期待値が異なりますから、いかに販売力がある店舗に商品を送りこむのかってのをシステム的に組み入れるかとか、まあそれなりに細かい調整なんぞ入れながら、週に1回は東京でベンダーと話したり、毎日のようにベンダーと電話連絡したりとかっていう、中々ハードな仕事してました。
 ちなみにテレワークをはじめてやったのはこの時期で、出張先だろうがお家だろうがとにかくつなげる環境ってのを整えられてしまいまして。ま、この頃には個人的な業務改善そのものは思いっきり進んでいましたから、自分の本来の持ち分の仕事は1時間程度で終わらせて、他の時間はシステムの載せ替えの仕事&他部門のヘルプとデータ分析ばっかりやってました。
 ま、この頃から自分の仕事より会社全体に関わる仕事がメインになっちゃってきていましたねー。それってどうなん?

 このシステムの載せ替え、個人的には中々シャレにならん思い出がありまして。当時母が末期がんで、お盆休みを利用して淡路島に旅行にいこうって話になってたんです。いくらなんでもこれをキャンセルするのは親不孝も甚だしいので旅行にはいったんですが、丁度システムの載せ替えタイミングが一致していまして。
 しかも当時のテレワーク、ノーパソ&PHSっていう、いまから考えたら中々のローテクでして(当時は最先端に近かったんですよ?)、淡路島の旅館に言ったら電波が入らなかったりっていう、なんやねんそれっていう状況で、まあ市街地に出た時に足湯につかりながらノーパソさわってました。

 この時の最大の問題は、ベンダーからかかってきた「テスト環境がパンクしたのでテストできないんですけどどうしましょう?」っていう、なかなか衝撃的な電話が入ったことですね。ちなみにお盆休みなのでシステム関係者とか休んでやがりますから本社に電話しても誰もでません。相談する相手すらいないわけです。
 5秒だけ考えました。いや一大事ですから。で、結論出しました。
「いいから本番環境に乗せてしまってください」
 はい、権限とかありません。知った事でもありませんけどね。そもそも動こうが動くまいが会社が数日止まるだけです。メインフレームのリースで何億円とか使うより数日会社が止まった方がマシに決まってますから。でも明確な越権行為ですから「動かんかったらクビだなー」とか気楽に考えてたりしましたけど。結果的には動きましたから問題ありませんでしたけどね。ロジック的にも動くはずでしたからそれほど心配もしてませんでしたし。

 ま、会社に帰ってからはひたすらバグ取りと使い勝手の改善です。むしろこの方がきつかったですねー。作業効率がた落ちでしたから。当時の同僚には頭が上がりません。まあむっちゃ文句言われましたけど、文句の部分は改善必要項目ですから言ってもらえてラッキーでした。
 あとこのあたりでシステム関係に関してはフリーハンドが与えられました。いや名目的にはそんなのないんですけど実質的に。

 折角なのでデータベースの再構築とかもしたりなんかしました。データベース関連に変に詳しいのはこの時の経験なのかも知れません。

 あ、システム移行の件ではあと一つ。展示会発注データから出荷済データをオミットしておかないと二重に送る事になっちゃうんですが、出荷データはフローデータですから、システム関係者にいくら説明してもらちがあかなかったので「メンドクセー」ってなって、私が作る事にしました。それはそれでなんやねんって話ですけど、Accessを駆使して・・・いやクエリー組んでましたから当日の作業はすぐでしたけど、まあそれをシステムに投げてからお盆休みに入った記憶があります。勉強にはなりましたね。

 さて、システム的にもSPA型に組み替えられましたし、データベースも使い勝手が良くなったので、またちょっとお気楽な時期になったりしました。まあこの時期何やってたかって言うと、ひたすらPOS分析です。今から考えればやっていた事はどちらかと言えばデータマイニングでして、テクニカルな面だけを取り出せば稚拙もいいところなんですが、それでも52週分析や季節の変節点、アイテムごとの特性と販売時期の関係みたいなのがかなり明確化されました。もっと言えばブランドごとの特性みたいなのも見えてきましたし、次年度の企画を考えるときのベースとかに充分使えるだけのものが出来上がってきました。

 とは言え、私のデータ分析手法ってわりかし独特で、なんて言えばいいかなー、原理的には「売れ筋商品を中心として他の商品群はそれを平均として正規分布的な分布をする」っていうのが考え方の骨子です。つまり、無理のない(=ブランドコンセプトからはみ出さない)商品であれば、量はさておき作っておかないと正規分布的な分布をするときの広がりが無くなってしまうので結果的に売上全体が落ちるっていう発想ですね。ベルカーブの底辺は長い方が面積(=売上)が大きくなりますから。
 あと、徹底して商品側を分析して、売れる理由・売れない理由をたたき出してたりしました。
 このあたり、いわゆるPOS分析者とはわりかし考え方が異なっている様子で、POSデータ外の情報を極端に重視していた事と、売れ筋だからってそればっかり作ってたらブランドとしての存在価値が薄れるっていう2つの事は本当に重要視していました。
 端的な表現ですが「プロパー消化率目標が60%ってことは40%は売れなくても良いって事やで?楽しもうや」っていう言い方してましたね。
 実際問題、残りの40%が全く売れないなんてことはありませんし、デザイン数で40%であっても生産量や金額ベースではもっと下げられますから大した問題じゃないんですよ。むしろ多様性と言うか幅がある方が売りやすいに決まってます。いわゆる「松」「竹」「梅」理論の亜流ですね。

 他にもいろいろ仕込んでました。52週分析も徹底してやってましたから「この時期はファンが先行購入する時期」「この時期はマスで売る時期」とかっていうデータを元にして商品の単価や特性を変化させてました。このあたりは企画との協業です。一例で言えば「4月半ばの夏物はファンが先行購入するので、デザイン的にも機能的にもおもしろいもので、かつ単価は比較的高額設定ね」「連休後は単価が一気に下がるので、簡単かつ安価なモノね」みたいな感じです。ナイキってのは基本的に男児ブランドですから機能性とかってバカにならなくて、ヤベーぐらいに売れた商品とかもあります。

 たまに思い出したように人事異動がありまして、百貨店で扱うブランドの全部を管理しろという名目で室長とやらになったりしたのもこの時期くらいですかね?でもやってることはやっぱり全社の問題解決なんですけど。もうこのあたりの時期になると組織上の仕事と実際の仕事は何の関係もなくなってきていました。「そんなんでいいのか?」っておもってたんですけど、全社の統一見解として「そんなんでいいんだ」って感じでしたね。誰も文句言いません。むしろやらなかったら怒られます。なんでやねん。

 アパレルの面倒なところは、納期通りに発注した数量が入荷する保証があんまりないっていうところです。中国の縫製工場はキャパの120%位の仕事を平気で入れますし、国内工場は運転資金不足とかになったら納期前でも平気で納品してきやがります。
 本来なら「いやちょっと待て」っていいたいんですが、国内工場を維持するためには多少納期が前倒しになる程度には寛容でなければなりませんし、中国の遅延は・・・まあ・・・製造と掛け合って1か月位先の納期とかで約束してたりしてました。それでも遅れるんだもんな―。
 ちなみに要尺間違えて半分しか納品されなかったってのも日常です。要尺間違えたのが本社側だったりとかもしますので、このあたりは「まあしゃーないか、なんとかするか」しかありません。先染めの生地は2回目に染めたら確実に色ブレしますし、仮にマシな色でできてもそんなもん縫ってる間にシーズン過ぎますからいりませんし。

 このあたりは間に商社が噛んでいたら、最低でも納品拒否とか値段交渉とかする余地ができてたってのが救いではありました。
 でもまあ、外部から生産部長が招聘されて全部直貿に切り替えやがったせいでその年は大パニックになりました。

 ま、ここまで持ってくる段階で部長クラスには煙たがられてた様子でして。まあ組織的には下位ですからね。わからんでもないです。逆に現場レベルとは密接に話し合いをしてましたから現場とは良好な関係ができていたんですけどね。ま、それはそれで仇となってた感があります。だってそこの部長より現場の事に詳しくなっちゃってましたから。自分より自分の部署に詳しい別組織のしかも役職的に下位者。まあ嬉しい存在ではないようです。

 ま、そういう否定的な理由以前に物流倉庫で数字に強い人材の要望が出ていたってのがありまして、1年ちょい物流で仕事してました。いやー現場は楽しすぎます。
 っていっても現場指揮と優先順位の設定&本社との折衝なんですけどね、仕事。あと各作業のマニュアル作成とかもしたっけなー。
 この頃にやった仕事で一番面倒だったのは、12月かなんかに本社が大規模なバーゲン大会を全得意先で行うって商談やらかしてくれまして。ぶっちゃけ物流的にはオーバーフローもいいところだったんです。平時の3倍とかですから。
 ま、一計を案じまして、商品入荷前に商品入荷量を把握して(なぜか)各店舗の商品配分とか決めちゃって、ペーパーベースで値札情報とか全部先に出させたんです。で、入荷した瞬間にピッキングして、事前作成していた値札をセットして外注にぶん投げてやりました。突合処理がめんどくさかったんですが、まあその程度の手間はそれはそれで、元々の出荷も並行してましたから残業しまくりながらなんとかやり切りましたけど。通常の3倍近い枚数の出荷量でしたから、真面目にやってたら確実にパンクでしたね。笑。

 ま、本社がそういう愉快な施策を打つって事は、かなりヤベー状態ですので、早急に本社に呼び戻されまして。論理的に整合性が無い年間計画を見せられてその瞬間にコンフィデンシープランをアンオフィシャルに脳内で構成したり、物流との連携を強化したり、そもそも仕入順序の管理とかを徹底したり、あとは全社予算って言うか店舗別ブランド別予算の監修と予実管理とかまでしてたり、投入計画とかの微調整とかしてたりと、まあ要するに全部やってましたね当時。冷静に考えたらトップラインを部門別にブレイクしていく仕事も私の仕事でしたし。なんでやねん。棚卸の総指揮までやってましたから。店舗の棚卸に関しては実務レベルで責任者でしたし。あとは営業とかへの指示とか助言とかですかね?大き目のクレーム処理もなぜか私のところに回ってきてたりしてました。

 ちなみにこの頃からファンドがいちいち口出しするようになってきましてですね。毎月の予実管理と実績不測の時のリカバリー施策とかを事細かくチェックするようになってきてたりしましたから、月2回は予実管理とかの集計業務です。各部門が22時ごろ出してくる書類をその後の時間で纏めるという、そもそも理解に苦しむ働き方してました。せめて営業時間内に出せと何度も言ったんですけどね。

 ちなみに、その時点での役職は相変わらず室長でしたから経営会議には参加してません。まあ嫌でしたからラッキーなんですが、会社側からすりゃ「松田に話をさせたら絶対ややこしくなるような事言いやがる」的な思惑は確実にあったと思います。まあ多分言ってましたし。でも会社をよくするための方策ばかりしか提言してなかったんですけどね、当時。しかも社長方針に従っていましたし。

 この頃には組織図上の仕事なんかほとんどしてませんでした。いや一応メイン業務はあったんですけど、1日10分位?長くて30分位?みたいな仕事量です。いや仕事量そのものはそれなりだったんですけど、適当でいい仕事は適当にやる主義ですから。システム的にも練れてきていたので手を入れる必要も極端に減っていましたし。管理メインになってましたね。問題なのは管理業務とやらの内容が、組織図上の職務から大きく外れ切ってたことですね。概ね全社の問題ごと解決係だったってだけです。トホホ。

 ま、別注が上がってこないからとりあえずお前やれとか、商談揉めてるからとりあえずお前やれとか、そんな事ばかりやってました。期末や半期末を目の前にした時期になれば全社指揮取ってましたし。この時期に入ったらぶっちゃけ上役とかどうのとか関係ありません。毎日東京店の支店長電話で呼び出しとかしてましたし。

 もちろん組織運営上は大問題です。いや、大問題なはずです。単に社内のだれ一人としてそのいびつさを指摘する人がいなかったってだけです。
 正確には私は指摘しまくってましたけど「今更ええやん」っていう一言で終わらされてました。なんでやねん。
 ま、2期+半期2回は本業黒字(正確にはプラマイゼロでちょい黒字レベル)にまで持ち込んでましたから超力業ですね。でもこれだけはクリアしないと金が出てこなくなりますから必須だったんです。やりたくてやってたわけじゃありませんけど、やらなかったら会社なくなりますから。
 このあたりで一つだけ自慢できるのは、違法になりかねないような指示は一切出さなかったっていうか王道だけで無理やりなんとかしていたってところですね。まあ中期的に見て全社利益を損ねる可能性があることまではやってましたから自慢にはならないんですけどね。

 結果論的に最後のご奉公になったのは、本業黒字を続けたことによって、赤字原因の物流のアウトソーシングが決まった時の事になります。

 ま、年度初めからプロジェクトチームが動いていたのは知っていたんですが、知ったこっちゃねーっていうかこれ以上仕事増やしにいくのはさすがに自殺行為だと思ってましたし、そもそもなんでもかんでも私がいないと話が進まないってのは企業として不健康すぎると思ってましたから。日常業務のほとんども部下に任せてましたし。予算組んだり実績との乖離を埋める仕事とかするだけでいい加減手一杯だったってのもあったりしましたし。
 まあ要するに油断してたわけです。

 そんなこんなのある日、っていうか10月頃でしたかね?会議室に急に呼ばれて「なんですか?」って顔を出したらアウトソーシング先までずらっと並んで会議中でして。まあいいかと聞いていたら、実はわりかし何も決まっていないという衝撃的な事実が発覚しまして。いつもの「なんとかしろ」ですね。
 で、次の週からプロジェクトリーダーです。いや何それ?その前の半年はなんやったん?って感じでしたけど、引き渡し予定は決まってます。しかたありません。
 救いだったのは、システムそのものは既存のモノを移管するだけで済むってことと、大雑把なロケーションだけは決まっていたってあたりですかね。

 ですので、なによりとりあえず商品移動の順番確認です。ちなみに業務を休止していいのは土日を含んだ4日間だけです。なかなかな無理筋ですから、事前に出荷予定がなさそうな商品から順番に移動を開始するように設定していきました。
 当然後ろの方になれば出荷可能性がある商品も先行で移動しないといけなくなるんですが、このあたりは強権発動です。いや強権なんて本来的にはないんですけどね。知ったこっちゃありません。
 ま、長く一緒にやっていた営業部門やらチームやらは、諦めてたのか任せてくれていたのかは別として文句も言わずに従ってくれたんですけど、途中で合併されたGMS専門の別会社から来た連中が大クレームだしてくれまして。
「いや本当に出荷されるんだったらトラック戻すなりなんなりして意地でも出したるから心配すんな」とかまで言って無理やり先行移動しました。まあ出荷されなかったんですけどね。ぶっちゃけ出荷されないよなー程度の予測は立ってましたから先行移動しただけで、個人的には問題なんかなるわけないって確信してましたけど。苦笑。

 ちなみに、これと並行して値段交渉してました。計算方法とかも含めてです。管理費用はこんな感じで、商品再生時にはこの作業で何円、この作業だったら何円っていう、いわゆる3PL的な計算方法の話です。正直言ってこの段階でやることじゃありません。
 ついでに部門別の配賦ルールとそれを表現する為の帳票とかも作って先鋒とか本社のシステム部門やら経理部門とかと折衝してたりなんかしてました。本町の本社と和泉中央の倉庫と南港の先方倉庫を毎日回ってましたね。ぶっちゃけ本社の誰も私がどこにいるのかはなんとなくしかわからないっていう。携帯あるから携帯で仕事してました。テレワークなのかなあれ?

 ま、これがひと段落した瞬間に身体が動かなくなりまして。普通に考えて当たり前な気もしますが。

 で、長期休暇に突入したんですが、半年ほどして体調が戻って会社に戻ろうとしていた時にはすでに遅く、会社はお亡くなりになる事がほぼ決定しておりまして。まあ素直に辞めました。

 ま、大変ではありましたが、勉強にはなったなーと。いやその勉強要る?って言われたらそれまでなんですけど、まあ中小企業診断士試験にろくすっぽ勉強せずに通る程度には知見は増えてましたからそれはそれでよかったなーと。

 細かいネタとか言い出したらキリがなくなるし10000文字楽勝で超えたのでなんぼなんでもこのあたりで終わろうかと思ったりはします。微妙に不具合があったりして販売できるかどうかの微妙なラインの判断とかもやってましたしねー。本気で何でも屋さんです。

 ま、まとめれば
1:営業時代に販売応援しまくってたので接客とか得意。ちなみにディスプレィとかも当然できる。箱詰めとか包装とかもここで覚えた。
2:けったいな専門店営業時代を経験してるので中小企業のコンサルは経験豊富。
3:ややこしい商談事はなぜか回されまくってたのでそういうのも得意。
4:SCMやSPA的な仕事は一から構築した経験があるので、まあなんとなくわかる。
5:POS分析ずっとやってたのでデータ分析も得意。っていうか半分趣味。
6:データベース構築とかやってたからまあわりかしできる方なのかもしれない。
7:システム再構築とかやってたからシステム的なこともそれなり。
8:経理とかとの折衝もやってたからそれなり。簿記3級。
9:生産管理とかもやらざるを得ない場面が多かったので、まあできなくはない。やりたくはないけどさ。
10:POS分析ベースにして52週MD構成とかやってたし、商品投入とかで実際に運用してたので、まあマーチャンダイジングはわりかし得意。
11:わけのわからないプロジェクトは途中参加だろうが何だろうが形にはしてきてるから、まあ運用はできるみたい。
12:仕組みづくりから運用ベースに乗せるまでっていう仕事は山ほどやってきてるから、まあ得意?なのかな?
13:対社員に対しての折衝やら理解して頂くみたいなのは、ある意味大きな柱だったので、まあ得意なのかな?
14:物流経験あるので物流改善とか特殊なオペレーションの企画運用もやってきてるから、まあできる方?
15:EXCELやACCESSは偏りはあるものの、できないと仕事にならないのでわりかしできる方?
16:書いてないけどN総研が会社に入った時にN総研に仕事教えてたので、まあ、対コンサルってのも経験済み。
17:その時に時間が無かったこともあって、パワポ1冊ほぼ丸投げに近い状態で作らされたのでパワポもそれなり。ちなみにその時にパワポの効果的な作り方を教わったので、最近は適当だけど一応N総研的なパワポの作り方がデフォになってたりします。
18:物流やってましたし、本社要望と物流のキャパとのすり合わせも仕事でしたから、まあSCM観点での物流を含んだ全体最適構造とかは考えられる方かな?
19:アウトソーシングの折衝とかやってたので3PLも周知してるつもり。
20:MD構成もそうだし、そもそも全社発注とかしてたので、ま、このあたりもできる。
21:そういえば全社予算作成とか予実管理とかリカバリー施策とか普通にやってたからできるんだろうな多分。
22:本気でどうでもいいけど、対外的な始末書とか書きまくってました。なんで俺やねんとか思いつつ。スキルなのかなこれ?
23:業務改革とか新しい手法の説明とかしょっちゅうしてたので、プレゼンじゃないですけど人前で話とかするのは得意とまでは言いませんが苦痛じゃありません。部下とかの理解度とかから考えれば、それなりに教育的な事もできる気がします。いやわからんけど。でも中高の国語教諭免許持ってるからできるはず。いや知らん。

 みたいなのが社会に出て初めて入った会社で得たスキルです。ちなみに大半は同時期に並行してやってますので、総合的なバランスを取るのも当然できるはずです。っていうかできてなかったらヤバすぎる。
それ以外には母親が洋裁やってたので服は作れます。適当な上に下手だけどねー。

 基本的に無茶振りに応えていたらこんなんになりました。まあいいか。

 ま、結果的にアパレル企業と呼ばれる会社でやってることのほとんど全部経験だけはしてきてます。
 個人的に非常にありがたかったのは、各業務の超スペシャリストが教師になってくれたっていう事。おかげでぶっちゃけ部長クラスよりその業務に詳しくなれちゃいました。いやそれは本当に良い事なのか?

 ま、一応本業めいたものはデータ分析をベースにしたMD構築と企画ベース作成、及び販売予算と生産計画作成なんですけどねー。あと予実管理とコンフィデンシープラン運用。
 裏本業はソフト面からの企業風土変革。なんだそれ。笑。

 ま、楽しませてはもらいました。ただまあ、一人でやる仕事じゃねーよなーとしみじみ思いますが。ぶっ倒れましたし。

 なんていいますか、案外前向きなんですよ実際。他の方が無理だって思ってるような事でも、なんとなくできる気がする気がしちゃうタイプでして。
 まあ大半の事はなんとなく出来ちゃってるあたりが問題ではあるんですが。
 あと割と気楽にやり始めちゃいます。マネタイズとか考えないといけないんですけどね、特に今後は。でもちょっとというかかなり苦手なんだよなー。苦笑。

 

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松田 剛

1992年4月某アパレル業に就職。10年弱勝手にコンサルタント営業をしながらその後は本部へ。卸売業からSPA的な形にBPRしたり、物流改善したり、MDの仕組み作ったりデータ分析したり。まあ組織横断しまくり。 中小企業診断士。alex.t.m0618@gmail.com

世の中のアパレル事情

長い事アパレルで仕事していて感じた事っていうか、まあお仕事のお話。問題叩き潰しがメイン業務だったので、わりと端から端まで並列処理してた日々。 まあ実際のところ、アパレルから離れて数年。昔の事がメインになるかも知れませんが、POSデータ分析、企画・MD ・製造から販売、物流...
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