「ホロライブとホロスターズのコラボに反対すること」にまつわる偏見について

■ ホロライブとホロスターズに関する簡単な経緯

1. ホロスターズは設立当初からホロライブとは別の事務所であった
2. 当初それぞれの事務所のメンバーは互いに言及することも制限されていた
3. のちにメンバーや事務所の判断に任せるという形でこの制限は解除された
4. ホロライブ、ホロスターズを含むカバー株式会社が運営するVTuber事務所を統合する「ホロライブプロダクション」が設立される(それぞれの事務所の独立性は変わらず)
5. ホロライブとホロスターズ双方のメンバーが参加する初めてのコラボ配信(以下単に「コラボ」と記載する)が告知された

当該動画(埋め込みができないためリンクのみ)
https://www.youtube.com/watch?v=ENtIGJ3DHPM

ひとまずここの裏取りは各自でどうぞ。あとで追記するかもしれない。

■ 何が起こったか

・コラボ配信の待機所に対して多くの低評価がついた(高評価も多い)
・コラボ配信の待機所のコメント欄が荒れた(これは後から検証ができないため言及しない)
・twitter等でコラボに関して様々な意見が表明されるようになった

注) 12/12現在、待機所の低評価コメントは減少している。
その理由などは不明だがこのnoteの内容とは関係ないので言及しない。

当初数百もの低評価がついていたことはtwitterを遡るとおおよそ確信を得られるだろうと思う。

■ このnoteの趣旨

このコラボに関する意見の中には強い偏見を伴ったものが散見される
腹立たしいのでそれらを論破したい

■ 意見の例とそれに対する反論

これから挙げる意見はtwitterやnoteなどで簡易的な検索をしてたまたま目に止まったものから抽出している。こういった意見が実在することは少し調べれば確認が取れるため、具体的なツイート等を引用することには(たとえ正当な引用であっても)晒し上げ以上の意味合いは薄いと考え、控えることとした。

参考:twitterにおいて使用した検索クエリ
(コラボ OR ホロライブ) (ホロスターズ OR ホロスタ)
注) わたし個人のアカウントで実行しているため、わたしがブロックしているアカウントからのツイートは見えていないことを付け加えておく

以下、意見とそれに対する反論。

低評価をつけるのはアンチ/荒らし行為

低評価をつけることは視聴者の正当な権利であり、自由である。にも関わらず、低評価を「荒らしコメント」と同等のものであるかのように言及し、「嫌いの押し付け」といった言葉で断罪する人がいる。多くの場合「低評価する人」を一方的に敵視しており、許容するつもりがないことが読み取れる。

評価を下すことが自由である以上、特定の動画になんらかの評価をつけることを「アンチ」と呼ぶのは勝手な妄言である。そもそも高評価と低評価には本質的には大した違いがないことも理解していないようだ。例えば前者が擁護で後者が攻撃だなどという事実はなく、独りよがりな解釈を勝手に一般化しているにすぎない。

低評価はライバーを傷つける/悲しませる

低評価を喜ぶライバーは多くなさそうだが、仮にこれが事実だったとしても一視聴者にそれを勝手に代弁する権利も、それを盾に他者の自由な評価を制限する権利もない。

また、低評価によってライバーがモチベーションを失うかのように言うのはプロの配信者に対して失礼でもあると考える。彼らが度々過去の自分の配信やコメントを見直して改善を図っているのは配信を見ていればわかることだ。

そしてコンテンツは視聴者の評価を受けて応じて少しずつ洗練させていくものである。視聴者が良いものを良いと評価すること、良くないものを良くないと評価することもまたクリエイターに対する真摯な姿勢というものである。評価を下すこと自体を敵視し、阻止せんとするのはそのフィードバックの機会を奪う重大な背信行為である。

自分の考えを押し付けるな/強制するな

「コラボが嫌だ」と言及することが押し付けになるだろうか?現実的な話として、「コラボが嫌だ」という意見が見える形で存在したとしてもコラボを実施するかどうかの判断がライバー側に委ねられているのは明らかである。
ならば何をもって、そのような意見が存在することが何かを「強制している」と言えるのか。「応援しろ」「嫌なら黙ってろ」「低評価するな」という要求とどちらが押し付けに近いだろうか。

ファンなら応援しろ/応援できないならファンじゃない

例えばライバーの誰かが「今日○○時に配信あるから見てね」と言っていたら、その日たまたま何かしらの理由でそれを見られなかった人はファンじゃないのだろうか?「リアタイできない奴はファンじゃない」「スパチャできない奴はファンじゃない」「デビュー日から追っている奴だけが本物のファン」というような荒唐無稽な主張と何が違うのか。

ライバーを恋人だとでも思っているのか/処女厨、ユニコーンなどの蔑称

だったらどうした。好きなライバーを恋人のように大切にしていること、あわよくば本当に恋人になりたいと願うこと、自分以外の人間と絡んでいるのが嫌だと思うこと。そういう考えを持つ人をバカにする権利が一体誰にあるというのか。恋心を抱くこと、その感情を吐露することを誰が妨害できるのか。人の考えそのものに不当に踏み込んでいる、人権侵害の領域。

コラボに反対するなんて理解できない/なぜ反対するのかわからない

いよいよ過激になってくる。にも関わらずそれが過激な主張なのだという自覚すらない。腹立たしい。

理解できないのは理解力がないからで、反対する理由がわからないのは想像力がないからなのだがそれは本質ではない。問題は2点。ひとつは「理解できないもの」「よくわからない考え」はそもそも存在しないかのように振舞っていること、もうひとつは「理解できないもの」「よくわからない考え」を受け入れるつもりがないこと。

あえてデリケートな例を挙げる。「性別は何種類あるか」を考えてみてほしい。今時「2」と答える人はそんなにいないとは思うが、それが4だろうと6だろうと8だろうと、「自分が思いつかなかった性別はこの世に存在しない」「そんな性別は存在してはならない」などと主張するのがどれほど悪辣であるかも「わからない」のだろうか。

既に他の男性Vとコラボしているじゃないか

これはホロスターズ設立の時からずっと言われている意見。この主張は下記のような構造だろう

1) 他箱男性コラボに対する反対意見が見当たらない
2) 反対意見が見当たらないのは反対意見が存在しないからである
3) 他箱男性とのコラボは「受け入れられている」
4) ならばホロスタとのコラボも受け入れるべきである

まず2)、反対意見を持つ人の全てが常に反対意見を表明するわけではない。例えば「他箱男性とのコラボにも反対だが何も言わずにいたが、ホロスターズとのコラボでは反対意見を表明した」ことに何か変な点があるだろうか?

「反対意見があるならそれは常に目に見える形で表明されているはずだ」という主張は「目に見える形にない意見は存在しない」という発想とも繋がっている。そもそもフェアな意見交換を否定する態度であり、議論に値しない。

次に4)、他箱男性とのコラボを歓迎しているがホロスターズとのコラボには反対するということに矛盾があるだろうか?そこから読み取れるのはせいぜい「男性全般とのコラボに反対しているわけではない」というような話であって、「他箱はOKだけど同プロダクション傘下の箱だと嫌なんだな」という当然(というか単に言い換えただけ)の帰結である。それが何かおかしいのか?またも「理解できない」から「存在を許さない」のか?

ただゲームでコラボするだけじゃないか

「ただ」とか「だけ」とかそういう軽率な言葉選びに、自分と異なる考えを微塵も理解しようとしない浅はかさが透けて見える。あなたが「ただそれだけのもの」と感じたことを、譲ることのできない大切なものと捉える人が存在するとは夢にも思わないのだろうか。

何を言っても変わらないから黙っていろ

反対を表明するのは自由である。どうしてこんな当たり前のことを文字化しないといけないのかわからなくなってくるが、前述のように「目に入らない意見は存在せず、存在しなかった」と捉える人間が存在することと合わせて考えると「静観しろ」という主張も実は非常に暴力的。そうして黙らせたら最後、その意見そのものが存在しなかったことにするくせにな。

嫌なら見るな

ごもっとも。ならば己が見たくない「反対意見」は自分の責任において正当な方法で眼前から消してはどうか。例えばtwitterにはブロックやミュートの機能があり、ユーザーはそれを使用する権利がある。

しかし、視聴者に配信をやめさせる権利がないのと同様に、あなたに他者の言論を封じ込める権利はない。

■ わたしの立場

・ホロライブの配信をよく見る
・ホロスターズの配信は最近ちょくちょく見るようになった
・ホロスタの一推しはアランさん
・ホロライブプロダクション全体を応援している
・今回のコラボも応援している

なぜ最後になって取ってつけたように立場を表明するのかというと、前述のような偏見を持つ人たちの中には、ここまで述べてきたような反論を見るとすぐに(わたしが立場を表明していないにも関わらず)「ホロスタを応援していない」とか「コラボに反対している」とか、果ては「ファンのふりをしたホロライブプロダクション全体の敵だ」などと決めつけるものが少なくないからだ。自覚しろ。

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