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ぜんぶ君のせいだ。様へ。(11/13)

渡したお手紙の文字起こしをNoteに緊急転載して投稿
めんどくさかったら1番最後の見出しから先だけ読んでくれ

hello Dear. 愛しの君ヨ。

親愛なるぜんぶ君のせいだ。の皆さんへ。
こんにちは、アリシアと申します。

この手紙を読まれているころとは、ライブも特典会も終え舞台から撤収した後であると思います。ライブで泣き腫らし、特典会でも大好きな想い人達を前にして手が震えキョドり散らかしている自分が想像できます。皆さんから見て私の姿はどうでしたでしょうか。「患い」に成れていたでしょうか?
…と、ここまでを書くのにも、「うぉぁぁ…」「推しにお手紙なんて畏れ多い…」と悶え苦しんで何度もを書いては消してを繰り返して、失敗した便箋が積み上がってしまいました。伝えたい気持ちは星の数ほどあるのに、それを文章にするのは難しくて、恥ずかしいです。
推しという存在にこうして手書きのファンレターを書くのも初めてで、書き方もよく分からず語彙力も無い私の文ですが、包み隠さずぜんぶ君のせいだ。の皆さんに感謝を伝えたいと書き綴っています。重い文書かもしれない。こんな不器用な推し方しか出来ない。それでも伝えたいという気持ちだけは真実です。どうかこの愛もこの想いも、受け取ってください。

『僕に成って、君に逢えた。それが唯一の誇り。』


今年に入ってから、推していたグループのチケット抽選に全て落ちたり、人間関係が破綻したり、再就職が上手くいかなかったり、精神に負荷が掛かる事が多くありました。
それによってゲーム、アニメ、絵を描くこと、大好きなグループの歌、いろんな趣味、それらで自分を癒そうとしても癒える事が出来ず、好きなものから見離された感覚になり世界の全てに拒絶された被害妄想に取りつかれてしまった時期がありました。世界の全てが、見える物全てが、気持ち悪くなっている精神状態だったのです。
思い詰めて自分の命を投げ出す行動を2回もしてしまい(今となれば未遂で終わってよかったと思ってます。)、そんな絶望の内にイヤホンで耳を塞ぎ部屋の隅で泣きながらスマホを弄る中で出会ったのが、ぜんぶ君のせいだ。と皆さんの歌う歌でした。
初めて出会った「僕喰賜君全ヲ」。次に出会った「AntiIyours」「唯君論」。

涙が止まりませんでした。自己肯定感が低いけれど好きな人の為に変わろうとする歌。僕がぼくであるための歌。君と未来で笑い合う歌。

『"好き"が正義だ「生きてて」』と何も無い自分を肯定して貰えた気がして、一言一句全てのリリックに共感をして、「患い」ました。

僕喰賜君全ヲとAntiIyoursと唯君論で紡がれる「僕」と「君」、そして『僕に成って 君に逢えた』という強力なロマンチシズムに自分を当て嵌めて、『君という概念以外の思想はいらない』と盲目的に信仰し、『泣くくらいなら君に逢いたい』と涙を堪えて今日まで生きてきました。

ぜんぶ君のせいだ。という存在と歌を知れば知る度に「もっと早く知っていたかった」、「ライブに行きたかった」と後悔を重ねていたけれど、大好きな唯君論の『病んでる?いや大丈夫。君に会えたら小躍りぷりん』にもまた自分を当て嵌めて、歌詞に共感をしてこうして会ってお手紙を渡せる日を待ちわびてたのです。


この出会いがなかったら、自分は本当に命を投げ出していたかもしれない。とっくに折れて、諦めていた。出会ったその日から今に至るまで、毎日聞いている大好きで大好きで大好きな曲です。勿論他の曲全ても。
ぜんぶ君のせいだ。が掲げる病みかわいいに自分自身を重ねて、共感することで病み(闇)を発散できていたのかもしれません。貴女達のおかげで恨むばかりだった世界に意味を見出す事が出来たのです。


皆さんが歩んできた7周年という道筋、それを支えてきた患いの方々。私の患いはまだ半年なのでちっぽけなものですが、それでもこの半年間「僕がぼくで在れた」のは皆さんのおかげです。

この私の「患う想い」を特典会とこの手紙で伝え切れたのでしょうか。
こんな1600字に渡る長文を書いてしまいごめんなさい。こうまで長くなってしまったのは、この想いが伝わらないことが何よりも怖かったからです。

ごめんね。

書いてる途中でふふちゃんがいなくなって書き直そうとも思ったけどそれも無粋かなと思って伝えたい想いは書き換えないことにしました。僕はぜん君の「歌」「人」「概念」全てが好きだから。止まらないみんなに食らいついてついて行きたいよ。離さないし離させない。ずっと患いでいさせてね。


ねぇ、ぜんぶ君のせい。よわむしでごめん。
それでもいいよと、笑って許して。
君は僕の為、僕は君の為、此処に居るんだよ。


 アリシア 2022/11/10











以上。ここから先はライブを終えた後の衝動的な情動によって生み出されたものです。

お手紙に書いた通り(書くような事ではありませんが)5月頃気が狂って自殺未遂を2回やりました。(その首吊りに使ったパラコードで編んだブレスレットは肌身離さず身に付けています)目に見える物全てが気持ち悪かった。消えてなくなりたかった。死ねば楽になると、頭の中を渦巻く不安障害から逃げる手段を見つけた。こうなった原因はいくらでもありますが手紙の通りであることに追加して人間不信を発症したと思ってください。なのでこれ以降人と絡む事は大幅に減ります。リプライすらできません。好きな事楽しい事を他人と共有する事が出来なくなり始めました。コミュニティという物に属することも辞めました。この時は大好きなゲームをしたり歌を聴いたり何をしても気が晴れませんでした。
そんな限界窮まる精神状態にずっと寄り添ってくれていたのがぜん君の歌でした。
無理に励ますような、無責任な肯定や未来への希望では無く、ひとりぼっちの自分の横で一緒にひとりぼっちになってくれている様な強烈な共感が歌とメンバーに対してあったのです。

僕がぼくで在るために。君という概念以外の思想はいらない、此れが僕の存在意義。決まり事(法)
このリリックが僕の全てです。自分と君以外いらない。何もかも。もしかしたら自分すらもいらない。君がキミで在ってくれたらそれでいい。

君がキミで在るために。君の孤独になれるように…
独りぼっちの僕が、愛した唯1つ

怖くない。訳が分からない。
救われてしまったんだよ君に。

何かに縋らないと生きていけない自分に、共感と慈しみをくれてありがとう。
大好きだよ。
ぜんぶ君のせいだ。

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