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ソロのダンス公演はどうあるべきなのか。Pietragalla solo « La femme qui danse » を観て

昨夜(2021年11月26日)パリ8区のマドレーヌ劇場にてMarie-Claude Pietragallaの« La femme qui danse » を観て来ました。そこで思ったこと感じたことをつらつらと残したいと思います。

まず58歳の女性がたった独りで一時間以上の舞台を、毎日踊り続ける体力に感服する。そしてマドレーヌ劇場(709席)を連日埋めている。昨日は全席6割ほどの入りでしたが、それでも凄い。

衣裳は黒の稽古着(タンクトップとズボン)、裸足、ナチュラルメイク、ヘッドセットのマイクから台詞を言いながら踊る。観客との会話もある。字幕は無し。舞台装置は無し。黒のリノに背景大黒。照明、レーザー、プロジェクションは豊富。音響は非常に良好。観客の休憩が無し。一回演者の休憩あり。ここで着替え出来たはずなのにしなかったということは、黒の稽古着で通すというところにこだわったと思われる。この休憩中の映像がこの公演の中で一番卓越していた。CGで大勢のピエトラガラ(黒の稽古着)が群舞しているような効果の映像。このセンスや全体の構成、演出はピエトラガラの夫のJulien Derouautが担当。

女性だけで作る舞台はヘンに甘くなりがちなのですが、こういう男の乾いた感覚でまとめると全体のレベルが上がる。振り付けはピエトラガラ自身ですが、振り付けも誰かに任せたほうが良かったんじゃないかな、独りで即興で踊っていると(即興ではないんだろうけど、即興に見える)どうしても同じパターンになり、飽きる。最初の十分間ですでに飽きた。

オペラ座のエトワールだったのだからもちろんレベルは高いのですが、凡庸なコンテンポラリーダンサーが即興で踊るときのような普通の振り付けになる。バットマンの足の高さなど、ところどころのクオリティは高いけれど、振り付けの斬新さはどこにもない(ごめん!)。一時間強の公演の10分間だけでもいいから、難易度の高いきっちりと振り付けた踊りを入れ、50分くらいの作品にしたほうが密度が高くなる。

あと黒の背景に黒い衣裳は非常に見にくい。体の動きしか見るものがないのに、その身体が見えにくい。たぶん本人が「いつもの稽古着」にこだわったのだと思う。そういうときは周囲のスタッフが忠言するべきだと思う。見えにくい舞台は、観客に対して全く優しくない。

90年代、私がまだ日本に住んでいた頃、東京でピエトラガラのソロ公演を見に行った。だからファン歴長いんですよ。その時はCarolyn Carlsonが振り付け。

じゃあ、すべての自作自演は面白くないのかというとそうではないから、自分で振り付け、演出して実演もする、なおかつレベルの高い作品を作る努力も続けたほうがいいんだけど、

踊りのソロ公演をしている人は一度見たほうがいいんじゃないかな、

ソロ公演は、とにかく時間と空間を受けなければならないから、2部構成や3部構成にして設定や役柄や衣裳を替えたり、一部に他のダンサーたちを入れたり、映像やナレーションを入れたりと工夫するのですが、ピエトラガラのこの公演は、作品の完成度をめざすというより、ピエトラガラの自叙伝というか私小説のようなものをピエトラガラのファンに向けて発信したという感じで、だからピエトラガラは彼女自身を踊っているのであって、何かが憑依するとかメタモルフォーゼするとか、そういう喜びはまったくない。

普通のダンサー(ピエトラガラ以外のダンサー)が作品を作るときは、初めての人が見ても感動できるような作品を目指すべきで、自分を知っている人しか楽しめないようなものを作るべきではないな、皆がピエトラガラではないのだから。

おこがましいけれど、私がピエトラガラに興味を持っている理由は自分と共通点が多いから。1963年生まれ、キャリアの中盤で若い男と結婚し、ギリギリで出産しているところ、など。しかし同じように舞台歴40年でありながら、なぜ私はこんなにうだつがあがらないのかはまた別の話。

まだ公演は続いています。

PIETRAGALLA : LA FEMME QUI DANSE
Theatre De La Madeleine , 19, Rue De Surène 75008 Paris 
Du 12/11/2020 au 31/12/2021

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書き散らしですみません。

有科珠々


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