日々是雑感2017/8/30

今の時代は「サザエさん」や「男はつらいよ」の車寅次郎のような人情はどこ行ったのだろうか。

確かに1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震など、「事あるごと」に善意あるボランティアが人々を助けている。

が、日常はどうだろうか。ささやかながら善意はあるのだろうか。高度に都市が発達し、明らかな個人主義傾向が見られる中で、心の奥底に他人に対する善意(というより他人に対するゆとり)をする余裕があるのだろうか。

エレベーターで、エスカレーターで(最も過去に起きた事故の原因は結局整備不良で利用者に原因を押し付けるのは酷だが)、様々なシーンにおいてささやかな善意を自分はやってきてはいるが、周りを見ているとどうもそのようなゆとりはなさそうだ。

話を人情に戻すが、そもそもその意味は「思いやり」である。今の時代は思いやりで通用するかもしれないが、その人のためにはならず、ただの自己満足に過ぎない風潮が気になって仕方がない。それが自分のためであっても他人であっても、ささやかな人助けで感謝することを忘れなければ、自分にも他人にもゆとりは生まれるはずである。

デジタル社会の時代において人の温もりが感じられる、人のありがたみが感じられることはどこへ行ったのだろうか。矛盾と疑問が交錯する朝であった。

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