私の中の生と死

私のお腹には今、
生きているか判らない、
でも、まだ死んでいない命が在る。

これを書くかどうか、とても悩んだ。
けれど、悩んだからこそ、残しておこうと思った。

 * * *

 ことの始まりは、去る3月30日。
 生理が遅れていたので、産婦人科を尋ねたことだった。市販の妊娠検査薬も買っていたがうまく反応しなかった為、直接、産婦人科を訪れたのだった。
 そこは最近できたばかりの産婦人科で、分娩も可能な病院だった。信号はなく、歩道橋を渡って歩いて行けるのが魅力的だった。
 新しい産婦人科はとてもキレイな場所だった。看護師さんたちも丁寧に接してくれる。
 尿検査と血圧、体重を測って、診察室へ入った。軽い問診の後、妊娠検査を行ってもらう。

「陽性ですね、それじゃ超音波やりましょう」

 産科医は淡々と言い、隣の検査室へと促された。
 あまりに淡々と言われたせいでまるで実感が無いまま、検査室の特殊な椅子に座る。カーテンの向こうから声がして、カーテンの内側にある黒い画面にザラザラとした映像が映し出された。
 その中に、白い丸い点が見えた。

「これが赤ちゃんの入ってる袋ですね」

 3.9mmと表示されたそれは、胎嚢だった。
 この中に、新しい命が在るんだ。

「とりあえず、おめでとうございます」

 産科医はにこりともせずに淡々と言い、私もそのエコー写真を受け取って淡々と病院を出た。病院を出てーーじわじわと喜びが胸に湧き上がってきた。思わずスマホの録音画面を開き、心情を吐露した。
 小さな川のせせらぎを聞きながら、涙が出そうなほどの喜びを語った。

 結婚して3年目のことだった。


 私の仕事は整体師だ。9時10分くらいに到着するよう出勤し、朝の準備をした。うちの店のスタッフは平均年齢が高いので、朝礼の後にラジオ体操をするのが日課だった。平日は3〜5人、土日は8〜10人ほどのクライアントを施術し、21時の閉店から閉店作業を行い、終礼をして、早くて21時30分、遅ければ22時に退社。帰宅するのは22時〜22時30分くらいであるのが常だった。
 そんな夜中に食事をすると、私は食べた直後は動けず、そのまま寝てしまう事が多かった。そして1時くらいに目覚め、そこからお風呂に入り2時くらいに就寝。朝は体が重くてなかなか布団から出られなかった。これは整体師としてよろしく無い、と、朝と昼にしっかり食べ、夜帰宅してからは植物性のプロテインのみという生活に切り替えた。その結果、お風呂ものんびり入れるし、植物性のプロテインは胃もたれを起こさなかったので、よく起きられるようになった。
 その頃、私は会社で“ある事件”があって、退社することを強く決めた。元々占い師としての資格も持っていたので(占い師には本来資格は不要なのだが)、整体と占いを組み合わせ、心と体のケアが出来るサービスをしようと考えていた。
 ところが、私はひどく落ち込みやすい性格だった。決めたはいいものの、思うように自営業としての成績は伸びない。元々、堂々巡りをしやすいタチで、これからそういうケアをしていこうという人間が、そもそも自分のケアができていないという本末転倒の事態が起きていたのである。
 そこで占いを使ったセルフケアを行う師と出会い、気持ちが回復し、もっと自分を大切にしていこうと決めた矢先の、妊娠だった。

 私はとても嬉しかった。本当に嬉しかった。夫は大きく感情を表に出すタイプではなかったけれど、二人でとても喜んだ。母にもすぐに連絡した。母はすぐに電話をかけてきてくれ、本当に喜んでくれた。

 世間は新型コロナウイルスで騒然としていた。WHOがパンデミックを宣言し、各国で猛威を振るい、主要都市が次々とロックダウンして行った。
 そんな中での、一筋の明るいニュースだった。昨年の4月1日、私は乳腺腫瘍を切除する為、入院していた。そのちょうど一年後の出来事だった。なんて象徴的なのだろう、と改めて幸せを噛みしめた。

 けれど、それから約1週間後──
 最初は下腹部の違和感だった。不意に何かが漏れたような感じがして、慌ててトレイに飛び込んだ。ショーツは真っ白だったが、水のようなものがシミを作っていた。それが翌日もあり、そのさらに翌日、一点の赤いシミができた。

「出血しちゃったから、明日病院に電話する」

 何も無いといいね。
 そんなことを言い合いながら、その日は同じ布団でくっついて寝た。


 翌日、病院は午後から休診だったにも関わらず、来院していいよ、と言ってくれた。医師は相変わらず淡々と私の話を聞いていた。

「前回から1週間経っていますから、育っているか確認しましょう」

 神妙な顔のまま、隣の検査室へ入る。
 どうか、何もありませんように。
 黒いザラザラとした画面に、白い丸が見えた。ああ、ちゃんとあった。そう思った。「うーん……」という声が聞こえて、ドキッとした。医師はしばらく画像を見つめて、

「ここに赤ちゃんの入っている袋はあるんですけど」

 口を開いた。
 何か問題があるのだろうか。

「本当なら姿が見えるはずなんですよ。米粒くらいですけどね。で、こっち見えますか? じーっと見てると形が変わるでしょう。これ、多分出血してます」

 ──流産に向かっている可能性があります。

 本当なら見えるはずの、赤ちゃんの姿が無いのは、細胞分裂がうまくできていないからなんです。初期の段階でね。これは、赤ちゃんの問題なんです。
 でも、これは妊娠の1割くらいの確率であることなんです。

「私がプロテインとか飲んでたからでしょうか」
「それは関係ないです」

 被せるくらいの速さで、否定してくれた。
 それから、生理が始まるように流産が始まるだろう、という話を聞いた。その時、重い生理痛のような感じになると思うから、痛みが強くなりそうだったら痛み止めを飲むように、という話だった。市販薬を持っていると言ったら、それを飲んで構わない、ということだった。もしナプキンに塊が出てきたら、それをジップロックに入れて来院するようにも言われた。何か検査をしてくれるらしい。もし塊がトイレに流れてしまったとしても、それはそれで構わない、という話だった。
 ひとまず1週間後に来院予約を入れて、病院を後にした。看護師さんが気遣ってくれたのが、胸に沁みた。言葉を発すると声が震えて、なんとか笑顔でお礼を言い、帰宅した。

「おかえり」
「流産かもしれないって」

 帰宅してひと言目、私は夫にそう言った。
 病院で聞いた話をそのまま伝える。震える声も、涙も止められなかった。夫は私を抱きしめて、頭を撫でてくれていた。

「妊娠ができることは分かったから、良かったよね」

 この3年間、生理が遅れたことはあったが、陽性反応が出たことは一度もなかった。それが、今回は出た。お互いに何か問題があるわけじゃない事がわかった事は、二人にとって大きな意味があった。だから、それは、良かったよね。

 今回の出来事で、夫は何か大きな決断を自分の中でしたようだった。「今まで中途半端にやってきた」と、「だからちゃんとやる」と。

 私は、どうだろう。
 この2日、考えていた。
 私の中で命が育つ事が難しい状態なのは、何故なんだろう。産科の医師は、赤ちゃんの方の問題だ、と言っていた。慰めだったのかもしれないが、私はそれの意味を考えた。今回のことを、ただの悲しい出来事にしたくなかった。そこに私なりの意味を持たせることで、今私のお腹にまだある命について、しっかり向き合いたかった。

 受精卵が細胞分裂できなかったのは、何故なんだろう。
 それは、生きる力が無かった、ということなんだろうか。
 もし、そうなのだとしたら、私にできる事は何なんだろう。
 そう思った時、稲妻のように駆け抜けたものがあった。

 ──私自身の、生きる力が弱かったのではないか?

 私自身の生きる力が弱いから、お腹の命に回す生命力が足りなかったのではないか?

 勘違いしないで欲しいのだが、これは自虐ではない。
 これは大きな気づきだったのだ。

 私はこれまで、食事には無頓着だった。食べるスピードが異様に遅く、給食の時間だけで全てを食べ切れたことなどほとんどなかった。学生時代も、時間内に食べきれる量しかお弁当に詰めなかったので、私はいつもお腹が空いていた。仕事をし始めた頃はさらに悪く、睡眠時間まで短くなった。体は回復する事ができず、土日になると熱を出して寝込んだ。そうこうしている内に咳喘息を発症し、免疫はますます落ちていった。
 仕事を変え、夫と出会い、一緒に暮らすようになって、彼はまず「俺の仕事は君を健康的に太らせる事」と言い切った。当時の私は、黙って立っているだけでも肋骨が浮き出ているような状態だった。彼の宣言通り、私は食べた。すごく食べた。吐きそうなくらい食べて、食べるという行為はなんて過酷なんだと辟易した。彼は冷凍食品などがあまり好きではなかったので、ほとんどのものを手作りしていた。(これについては結婚当初ずいぶん喧嘩したものだが、今では食事作りは彼のルーティーンとなっている)おかげで私は彼の宣言通り健康的に体重を増やし、平均にはまだ少し足りないが、少し背中の肉がつまめるくらいになった。

 食べるという行為は生きる事なんだと、今、改めて思う。
 それが生命の根源であり、生きる力の源なのだ。
 誰もが普通にしている「食べる」ということを、私はなんて疎かにしてきたのだろう、と改めて思う。夫の手料理の、なんて温かくて優しいことか。
 食材は、それそのものの栄養素ももちろん大切だが、どんな人がどんな土で育てたかも見えない栄養だ。そして、それを誰がどんな想いで調理したかも、きっと影響を与えているのだろう、と思う。
 すべての人に、自炊をしろとは言わない。けれど、自炊でなければ味わえないものも、そこにはあるのだと思う。だからこそ、口に入れるものは選びたい。それは別に、オーガニックの食材を選ぼう、ということでは決して無い。オーガニックの良いところというのは、殺虫剤などを使わず安全だ、ということだけではなく、その土地で、虫にも風にも雨にも負けず、力強く育ったというその生命力。私たちは、その生命力をいただいて、自分の生命力を高めているのだ。
 ちなみに我が家が愛用しているスーパーは、某マートである。有機野菜は高くて手を出さないが、安い野菜を買う。それは、それが旬の野菜だからだ。野菜の値段は、最も生命力が高い時期を教えてくれる。

 脱線したが、つまり、私は「食べる」ということを見直そうと思う。私自身の生命力が高まれば、自然と私の中で育つ命にとっても、強い生命力を持ってもらえるのではないか、と考えたのだ。
 そして、私は整体師という職業をしてきたが、運動というものはあまり得意ではない。しかし、ランニングなどをするよりも早歩きの方が運動効果が高いということを知ったので、今朝は早速3kmほど歩いてきた。ところが、この3kmで私はヘトヘトになってしまった。体力の無さを痛感し、これも私の生命力だ、と思った。
 足のむくみにも注目をした。私は小学生の頃から靴下の跡が消えなかった。むくみは腎臓、東洋医学でいうところの「水の気」だ。腎臓は“沈黙の臓器”と言われるほど、我慢強い臓器である。それはつまり、私は何かを我慢している可能性があって、それがむくみとなっている可能性がある。

 私は整体師であり、占い師だ。
 私はこの培ってきた知識と技術と気付く力で、これから生命力を上げていく。そして、この体験が、きっと誰かの役に立つだろう。これを書き始めたのは、そういう意図があってのことだから。
 しかし、この話は万人に受ける話でも無いと思っている。なので、このnoteを序文とし、マガジンに掲載していこうと思う。それは私の日々の気づきであり、整体師として占い師としての集大成となるだろう。今、私のお腹にまだいる生命の生と死も、書き綴っていく。

 この記事が、誰かの助けになったり、生命を考えるきっかけになったり、ご自身の生命力について考えるきっかけとなってくれれば幸いに思う。

 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。

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