誰にも知られずに生きる

 そんなことって、可能なんだろうか。

 人は1人では生きていけない生き物なのだと、社会性動物なのだと、誰かが言った。

 1人きりで家に引き籠ろうと、1人で生きていることにはならないのだと。

 なぜならば、人は服を着る。
 その服は誰かが作ったもので、それを通販で買ったのなら、それは、誰かが作り、誰かが販売し、誰かが運搬したものを、自分の手に入れているのだから、1人で生きているとは言えないのだと。

 なぜならば、人は食べ物を食べる。
 その食べ物は誰かが作ったもので、それを通販で買ったなら、それは、誰かが作り、誰かが販売し、誰かが運搬したものを、自分の手に入れているのだから、1人で生きているとは言えないのだと。

 誰にも知られずに生きるのならば、それこそどこかの山奥にでも引きこもり、自ら家を建て、自ら畑を作り耕し、作物を育て、調理道具をこさえて、雨水を飲み水とすることなのだろう。

 けれど、と何かが囁く。

 果たしてそれは、1人で生きていることになるのだろうか、と。

 家と成り得る木々は山の恵、畑に成る作物は大地の恵、雨水は地球の恵。
 これらを享受して生きることは、果たして1人で生きているのだろうか、と。

 真の意味で、誰にも知られずに生きることは不可能である。
 生きるとは、この大地に立ち、恵みを享受し、邁進することである。

 人は考える葦である。
 葦は、黙っていても生きている。
 考えなくとも、生きている。
 大地からの恵みを、空からの恵みを享受して生きている。

 ならば、思考し人として生きよう。
 知られることを恐れずに、自らであることを恐れずに、生きていよう。

 恵みを享受するということは、生かされている証なのだから。

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