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生きるという動作

2024年1月13日土曜日

 ふと、深夜徘徊をしようと思い立った。
 今日の天気は下り坂で、雨が降り雷が落ちた後、大粒の雪が降った。それなりに大粒の雪だったがすぐに止んだ。なんだか嬉しくなって、窓から写真と動画を撮った。そのせいかもしれない、僕は深夜に外を歩こうと思った。気温は約1度。凍え死ぬかなと思ったけれど、もうなんだかそんなことはどうでも良かった。
 玄関を出るてみると、思いの外寒くなかった。びゅうびゅうと冷たい風が僕にぶつかってくるのでこれはもしかしたらすぐに体が冷えるのじゃないかなと懸念したが、そんなことはなかった。外は綺麗に澄み渡っていた。肉眼でもいくつかの星が見えた。オリオン座も変わらずそこにあった。
 駅に着くと、駅から出てくるいくらかの人々に逆らって行った。たまにちらっと僕の方を見る人があった。なんだかそれも反抗的行動に思えて面白かった。最終の電車に間に合い、僕はそれを待つことにした。
 改札付近やホームにはそれなりに人がいた。1人でぼけっと待っている人、名残惜しそうに抱き合っている恋人たち、家に子供を置いて友達同士親しげにしている母親どうしと思われる2人、子連れの夫婦、その他諸々。
 電車に乗り込むと、空席は見受けられるがそれなりに活気があった。楽しそうに話してる人もいれば、黙々とコンビニおにぎりを貪っている人もいた。僕の2つ隣の席の男からは酒の匂いがする。スマートフォンに没頭している人も多かったけど、みんなそれぞれ自分の世界を持って、互いに干渉せずにいた。朝の電車とは違う。おそらく仕事帰りだろうおにぎりを喰んでいる人は随分くたびれた格好をしてる。髪もくしゃくしゃで疲れている。が、なんとなく僕の勝手だけれど、朝よりは幸せだろうなと思った。
 そういえば寒空の下歩いているなかで僕はこんなことを考えていた。はるか昔の人間たちは今みたいに温かな電気外灯なんて無く、ぎらぎらと輝く星たちの下で強かに生きていたのだろうなと。今日のように人間は密集していなかったろうし、周辺の敵生物への警戒を怠らずに目を光らせていたかもしれない。夜を歩く僕は朝よりも頭が冴えていた。目もはっきりしているし、わざわざ冷えた空気を吸って苦痛を感じながら、ああ生きているぞ、ここにいるぞと妙な嬉しさが込み上げていた。冷えた空気の中、口から白い息が出てくるのが僕は昔から好きだ。それはなぜかとここ数年でわかった。僕やその人が明確に生きていると判断できるからかもしれない。

 僕の右目下瞼の痙攣は治っていない。こういう痙攣は何時に寝ようがしっかりと眠れば治っていたのに、今回はかれこれ2ヶ月ほど続いている。いつ治ってくれるかしら。

 浅草に着いた。意外と人がいる。

仲見世通り

さむい。
無計画にも外を出たので、24時間営業の喫茶店も近くにない。『ロッジ赤石』という店は日曜日なのでやっていないようだ。仕方なく新宿三丁目の珈琲貴族エジンバラを目指すことにした。と、この一文を書いた今は無事このカフェに辿り着くことができたので、思い返しながら文章を書くことにする。

 外は馬鹿みたいに寒かった。カフェにたどり着いた頃には凍結した体がじわじわと溶け出していく感覚があった。手が膨張して、霜焼けで膨らんでいるようにも見えた。暫くしてようやく治ったので、今これを無事に書くことができている。耳が真っ赤になった。熱い。

 浅草から日本橋方面にずっと歩いてから、浅草橋を渡って右折し、そのまままっすぐ新宿方面に向かった。外は僕を歓迎していないように思われたけど、浅草橋を右折したあたりに柳が生えている道があって、それがなんとなく僕を懐かしくさせた。柳というと川沿いにあるもので、日本画か何かの影響のせいか妖怪とセットで出てくるというイメージがあった。でも今は、九段下付近をぷらぷらとよく歩いていた僕を懐かしく、安心させてくれるものになっていた。また、京都の明智光秀の首塚を見に行った時、安倍晴明神社に行った時も柳が近くにあったような気がするなとぼんやり思い返していた。街灯を包むように揺れる柳は美しい。葉っぱの隙間からちかちかと暖色の明かりが見え隠れするのが僕は好きだ。

 街は車の交通量はそこそこ、人はほとんど歩いていなかった。時折自転車が追い越したりするくらいで、歩きの人間とすれ違うことはあんまりなかった。浅草橋を過ぎてからは特に。昼だとうじゃうじゃいるのに、見事に誰もいない。全く奴らはどこに隠れているんだろうな。周りのビル群マンション群だけじゃ巣は足りない。虫みたいだ。

 鼠がいた。どこに行くのだろうかと追ってみようとしたがいなくなっていた。石造りの段差に丸い壊れた穴があった。恐らくそこに住んでいるのだろう。こういう人間よりも小さな生き物があらゆるところに潜み、密かに住んでいるのだと思うと不思議な心地がする。

 ちょっと頭が痛い。左右に振るとくらくらする。

 浅草のコンビニで買った飲み物が僕の右ポケットで手を暖めてくれている。多分、多くの人はこの暖かさを人間から貰うのだろうし、ちょっとそれを想像してみた。それも悪くなさそうだなと考えて、やっぱり僕には向いてない分野だとすぐに思い直した。でもそれはだんだんと冷えていくことはないのだろうし、きっとそれなりにお喋りもしてくれるのだろうなと思うと、少しだけ羨ましくも思えた。

 黙々と歩いているときに、僕はぼんやり家族のことを思い出していた。今頃寝ているであろう家族。そこから僕はスナフキンというキャラクターを連想した。冬になると旅をし、春と共にムーミン谷に帰ってくるという孤独を愛する有名なキャラクタ。どの話だったか、スナフキンが「僕は孤独になるために旅に出るんだ。長い間の孤独な生活から、春ムーミン谷に帰ってきたときの喜びは何ものにも代え難いものだよ」とムーミンに伝える場面がある。初めてこれを聞いた時、理屈ではなるほどと思ったけれど、感情ではうまく飲み込めなかった。が、なんとなく、この深夜徘徊でわかった気がした。僕は今このセリフを調べてここに書いたけれど、実際には「僕はムーミン谷に帰ってきた時の嬉しさを感じるために孤独になりたいんだ」というようなセリフと勘違いして記憶していた。

 チェーン店の店内の明かりがついていた。厨房の方は真っ暗だが、客席のところだけが明るくなっていた。僕はそれに妙に惹かれた。

照らされた客席

人ならざる何かがそこで食事をしているように見えた。彼らは人の姿をしている。軍人のようにも見える。深夜生者が寝静まった頃に、こういう店で英気を養うために食事している。僕はたまたまそこにばったり出会ってしまった。怪しい集団に見えるけど、彼らは昼の生者よりもずっと人間臭くて優しい。

 見慣れた地域までやってくると、僕は少しずつ元気になっていった。

 あと1時間ほどで到着するかというところで、右ポケットの恋人はすっかり冷え切っていた。僕の両手は感覚が失せていた。

家族


 防衛省の前の横断歩道で外国人に声をかけられた。
「Hello」
「うん?」
「市谷駅はどこですか?」
「市谷駅? あっち」
「あっち」
「ずうっと向こうに歩く」
「どうも」

 水溜まりが凍っていた。足で踏み潰して楽しんだ。久しぶりに外の水が凍っているのを見た。僕が初めて外の水たまりが凍っているのを見たのは4、5歳頃のことで、砂場に被せてあったブルーシートのくぼみに溜まった大きな水溜りだった。巨大な厚みのある氷で、それに触れたのをよく覚えている。「鬼ごっこ」という遊びを覚えたのもその時期で、「かくれんぼじゃないのよ」と注意されたっけ。絵を描くという行為を覚えたのも、その時期だ。初めて描いたのは女の人の絵で……と、記憶の関連ゲームが止まらなくなるのでこの辺りにしておく。

 僕が歩く前方に、新聞配達をしている人がいた。自転車で一軒一軒回っている。寺の門もちゃんと静かに閉めていた。夜中に働いている人間をどれくらいの人が認知していることだろう。

 曙橋駅を過ぎて真っ直ぐ歩いていると、やけにぎらぎら明るい通りが左手に見えたのでこの辺りに来るとやっぱり明るいなと思っていたら、新宿二丁目だった。僕は思わずふっと笑ってしまった。ここにいる人たちはいつも楽しそうにしている。僕の見ていないところではいろいろあるのかもしれないが、まあとにかく、僕が訪れる時はいつも楽しそうで賑やかだ。

 『珈琲貴族エジンバラ』に到着した。年齢確認をされた。僕が家出人間に見えたのかもしれない。じわじわと凍った僕の体が溶けていく。上にも書いた通り、両手は痺れて耳は真っ赤になった。モカジャバとレアチーズケーキを注文した。

モカジャバとレアチーズケーキ

左上のクリームをどうやって食べたら良いか分からず僕は暫く困惑していた。カフェオレは目の前で淹れられるらしいからと断念したのに、予想外のものがひっついてくると困る。「珈琲貴族エジンバラ モカジャバ 食べ方」と検索した。これはそのまま食べてもコーヒーに入れても良いものらしい。せっかくなのでコーヒーに全部入れて混ぜた。美味しかった。金額は今の僕には少々痛いが、約14.5キロ歩いた僕自身への労いと思えば悪くない。
 カバンに入れっぱなしだった『シャーロック・ホームズの事件簿』を読み進めてから店を出た。ここは日本のエジンバラだけど。

 1月1日、神戸に1人で行こうかとチケットを取ろうとしていた。途中名前の入力ミスがあったりなんかして、うまく取れず、一旦冷静になってからチケットを取り直そうとしていた。親戚たちと集まっていて、下手くそなヴァイオリンを披露した。そこで石川県の地震があり、これは僕に旅行に行くなという何かしらのお告げかと思い直した。僕はスピリチュアル信者ではないけど。そして2日には羽田空港の事故。加えて12日、僕が乗っていた可能性が無きにしも非ずだった飛行機会社がシステムエラーで全便運休となっていた。これはいよいよ何かしらが僕に行くなと言っているのかもしれないと思った。だから今日こうして、あまりにも行き慣れた場所ではあったけれど、一人で歩くことができて良かった。

 朝がやってきた。
 僕は今日、生きるということをしてきた。朝は僕を生かそうとはしてはくれないので、なんとか耐え抜こう。


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