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日記|2024年2月15日|論理と感性を高次元でもつ人は、紫色のオーラをしている

昨日は日記にも書いた通り、精神的な余裕は0でげっそりしていた。帰ったらサクッとご飯食べて寝ようと思ってたが、たまたま友達がかけてくれた電話で元気チャージできたのか、今日は明らかに頭がスッキリしている。相変わらずやることは多いのだが、前向きに立ち向かう気力がある感じ。

友達は会ってる間中、ずうっと話しててもとても楽しくて凄いと思う。趣味嗜好も近くて楽しいのはもちろん、私のことを理解してくれてたり、してくれようとするのが、ひしひしと伝わってくる。彼女はもちろん私にだけでなくて、身の回りの大事な人にも、きっと同じことができる人。こういう人をgiverと呼ぶんだなあ、と勉強になる。

誰かを大切だと思う瞬間は色々あるけれど、自分のことを深く理解してくれる人、はやはりかけがえのない存在だなと思う。私も誰かに同じことをできるようになりたい。理解するってなんだろう、相手の感情と原因の紐付けができること、ではないだろうか。

私が死ぬほど取り乱して自滅する時、なにかひとつにのめり込みすぎて、比較対象を失って異常に視野狭窄になっていることが多い。昨日友達と話して一緒に何が問題か整理して、この結論に至った。その友達は比較という概念を教えてくれて、ひとりでは出てこなかった観点でとても救われた気持ちがした。

話は変わるが、理解してくれる存在であるほかに、話してて楽しい理由を見立てている。論理と感性を高次元でもっており、それを自由に行き来することができる人だから、というのもある。この特徴は私の憧れでもあり、そして該当する人と仲良くなりやすい。該当者どうしを引き合わせても、仲良くなると感じている。

この特徴をもつ人はオーラがあるよね、と話して、互いのオーラがもつ色々のイメージを語り合った。そのなかで、私は赤と青と紫のグラデーションみたいな色をしている、と教えてもらった。赤と青が重なり合って、中間が紫みたいなイメージらしい。そして友達曰く、私も感性と論理を両方もってるらしい。

それを聞いて、赤は感性、青は論理、ゆえに両方ある人は紫のように見えるのだと直観した。確かに論理と感性を高次元でもってる人は、紫色っぽいオーラを感じるなあと、腑に落ちる瞬間があった。紫といえば、聖徳太子の冠位十二階でもいちばん位の高い色で、ちょっと光栄な気持ちがある。

初対面の人でも紫色のオーラをまとう人は見つ買ったら積極的に話していこう。

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