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迷路で動物を広げていく「解体」シリーズの話

スタートしたてのnote、マガジンでは新旧織り交ぜつつも過去作の紹介をするにあたって、HPなどではあまり深掘りしていないコンセプトについて触れつつ紹介しておきたいと思っています。

解体シリーズは、2017年から2018年にかけて制作したシリーズです。この頃からイラストレーションじゃない絵について朧げながら考えはじめるようになりました。
イラストレーションは他者との共感や価値観の共有がフラットにできる楽しい仕事ですが、この解体シリーズは「共感を意識しない愉しさ」を動機にして作っています。
誰がわかろうと分かるまいといいから、ただ漠然と琴線に触れる絵を描こうかな、という感覚です。アートっていうほどはっきりとした主張も責任もないアートっぽさだけの、熱量だけで描いたシリーズです。

猿の解体、鷹、鹿と続きました。

コンセプトは「現代人の野生」です。

現代にとって野生には圧倒的な溝があります。
都会に生きてる野生のコウモリや虫に対してすら拙く、ましてや森や密林に分け入るには技術や知識や運や経験と度胸が必要で、今この情熱や視点のままでは触れることすらできず分かり合えない野生。
それを映像や、檻の外から眺めるということが至極当たり前になっていることが寂しいなぁとも思いつつも、このままずっとそうして生きているだろうとも思うんです。

現代人の中には、現在進行形で果敢に野生に挑んでいる人や、野生とどう向き合うかを考えている人もいます。しかし現代のリアルは「分かり合えない野生を、安全地帯から安全に眺める」という姿勢が主流です。
そんなリアルに生きてる私が野生を描こうと思ったら、机上で矢を射るようなものだな、と思いつつも、現代人として生きる恩恵や安全地帯を意識しながらこのシリーズを描きました。矢が刺さり生きていて死んでいるような状態。シュレーディンガーの猫みたい。2枚1組で2コマ漫画的な試みもあります。

一方で、野生と現代人の関係がすごく変わってくる時期にいるんじゃないか、とも思っています。ジビエ需要や兼業ハンターが増えつつあることから、また変わっていくのかもしれない、10年後あたりに同じコンセプトで描くならどんな風景だろうかって考えると、机上の空想は広がって描いてて楽しいシリーズでした。

迷路をテーマにしたアートグラフィックの制作を中心に活動中。イラストレーション、キャラクター、ロゴデザインなど幅広く手がけています。