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【読書ふしぎ体験記】あなた、いったい誰!? ~古本のアンダーラインが気になる~

古本、買ってます?

読書を愛しながら、妙な体験がひっかかってしまう「ALL REVIEWS友の会」の坂元希美です。
新聞や雑誌など旧来メディアで、インターネットで、SNSで日々飛び込んでくる魅惑の本たち。ALL REVIEWS(@allreviewsjp)をTwitterでフォローした日にゃ新刊のみならず、あの日あの時手に取らなかった旧作や古典の名著が押し寄せてきます。読みたい本がどんどん増殖して…先立つものがない(;´Д‘)。

そんな時、いにしえより読書好きに寄り添ってくれているのが古本。いえ、私もコンテンツ業界に身を置く者として、正規ルートで正規の値段で購入するのがどれだけ重要かは、よくわかっています。ネット書店で買うか、リアル書店で買うか、新刊なら予約するか、旧刊なら取り寄せるか…あああ! でも先立つものが!! そんな時にスッと寄り添ってくれるのが街の古本屋さんだったり、ネット書店の「○○円より中古品の出品」だったり、オークション/フリマサイト。ああっ、作家さんごめんなさい!出版社さんごめんなさい!書店さんごめんなさい!
ちなみにALL REVIEWS経由で書籍を購入すると、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%(Kindle本の場合5.6%)が還元されるのです。ああっ、書評家さんもごめんなさい!

Amazonのマーケットプレイスであれば、中古本でも書評家に還元されます(^^)。

内容が読めれば、多少の汚れなんて…

そんなことで、つい古本を購入することがあるのですが、本のコンディションによってお値段が変わってきますよね。なんなら、汚れや書き込みがあるものしかないこともある。私は、そんなにコンディションにこだわらないので、カバーがないものや日焼けしている本でも買うことがあります。が、書き込みのあるものは、なるべく避けていました。ううん、違うの。あなたが、誰かが手離したものだってことはわかってるの。でもね、私には初めての相手だから…まっさらな気持ちで読みたいの…(//・_・//)。
しかし、ついに書き込みアリの古本を購入してしまいました。どうしても、すぐに読みたかったんです…鷲田清一さんの『モードの迷宮』。

パラパラと書き込みの度合いを見てみると、蛍光ペンではないし、色つきでもない。えんぴつでアンダーラインや目印の図形、ときどき文字が書き込んである。うん、これなら対して気にならないし、消しゴムできれいにしちゃうこともできる。けれど、先に読んだこの人は、どこが気になって書き込みをしてるのかしら…ついつい、見ちゃうわ…。

書き込み人は、どんな人?

購入したのはちくま学芸文庫、1997年の第3刷でした。うう、文字が細かいぜ…。目次から書き込みは始まります。むむ、これは重要そうなところをチェックした上で、読み始めているということか?

そして、真面目だなあと思うのが、ふだん使わないような言葉にアスタリスクを付け、辞書でひいたであろう説明を欄外に書いてある。
たとえば「透徹」に ①すきとおること②すじ道が通っていること と付してある。ただ、この語句解説は40ページあたりまでの3カ所にとどまっていた。うん、正確な意味を調べるより、どんどん読む方にノッてきたのかな。

そして、踊り出すアンダーライン。あ、縦書きだから傍線か。実線、波線、二重線。固有名詞やセンテンスを四角とか楕円で囲う。☆、○、◎、△などさまざまな印が飛び交う。ん? 印が付いている言葉に規則性があるな…
だから 要するに つまり だから しかし ところが けれども
これは、なんか見おぼえがある。大学受験の国語長文問題を解く時のコツだ! 短時間で文章のキモや作者の意図をピックアップするのに、こういった接続詞をチェックしましょう、というのがあった気がする。だとすると、レポートを書く学生さんかしら?

重要そうなキーワードにも傍線が引かれている。
・他者の視線
・境界感覚を覚醒
・<自然>の<文化>への変換
・共同性のなかにすっぽり包み込まれる
などなど…。
しかし。P100あたりから、書き込みがぐんと減る。大丈夫?読んでる??

どうした、書き込み人よ…!

P130あたりから、またラインや印が復活してきたものの、P140にうっすらと衝撃の書き込みが!

ああっ!わかんなくなってきたのか! ちょうどこの辺りは、ニーチェやバルト、バシュラールといった哲学者の引用が増えてくる。鷲田さんの記述も抽象的な語が増え、哲学の専門用語がバンバン出てくるからかしら…。

172ページの「ところで、これはソクラテスに対するメノンの理屈なのだけれども…」というセンテンスには、ソクラテスを楕円で囲みつつ、欄外に「哲」と書いてある。傍線は単語ではなく数行にわたって引かれ始める…さらには「哲学チック」という書き込み。チック…ぽい、ってことよね。哲学っぽい…あの、鷲田さんは哲学者なのですが…。

その後、「いみふめい」という書き込みが3カ所出てくる。

そして、3章の終りが近づく198ページには…

書きこんだ人よ…最後まで喰らいついていったようだけれど、「読めない」かあ…(;´Д`)。

いかん、いかん。つい、書き込みを追ってしまって、自分がちゃんと読んでいなかった。その後、何度か通読して書き込みを気にせず内容を取り込むことができました。

書きこむ派?きれいに読む派?


古本の楽しみに、他人の書き込みや挟まれている栞を鑑賞する、というのもあるそうですね。ロマンチックな恋文が挟まれたまま、半世紀が過ぎていて…なんてこともあるらしく。文豪や学者が、他人の著書にがんがん書き込みをしていて、それがまたおもしろいという話も聞きます。

私自身は、子どもの時から本でも教科書でも参考書でも、書き込みをするのは苦手でした。汚したくないのではなくて、ポイントを見付けるとか、チェックするという発想がなかった、あるいはそれよりも早く読みたいという欲望が強かったような…。大学で資料として本を読んだり引用文献にするために、ようやく付箋を貼ったり、アンダーラインや傍線を引き始めました。

そして現在はというと、読んでも感動しても、すぐにそれが何なのか忘れちゃうようになり、でも、それがどの語句や文章なのかを線を引いて明確にすると、そこしか読まなくなるからとページの端を折っておくようになりました。ドッグイヤー(犬の耳)というそうですね。

しかし、あんまり耳が多くなると、何に心奪われたのかさっぱり見付けられず、最初から読みなおすことが多いです。それはそれで、幸せなんですけれど。

この記事を書いたひと:坂元希美
本をつくる人、よむ人、あむ人、ひろげる人、うけとる人…好きだからこそ、もっと知りたい! 京都人・HR/HM愛好家・がんサバイバー
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