見出し画像

新井 伸

名前:新井 伸(Arai Shin)
年齢:19歳
大学:立命館アジア太平洋大学 国際経営学部
趣味 : キャンパスでバスケ🏀
出典 : 新井 伸

初めまして、新井 伸です!
あだ名はしんしんとか、アラジン。
シンプルに新井 伸と呼んでくれる方もいます/

最近は、最後の10代をどう楽しむか。
考えた結果、アフリカはケニアにいます🇰🇪
もうすぐ2週間が経とうとしていて、旅も残り半分となりました。まだまだやりたいことがある!後悔の残らないように全力で楽しむでごわす!

そんな楽しい日々を送っている僕ですが、この度noteを書いてみようと思いました!文章を書くのはど素人、、でも何とかなるはず👍
少し伝わりにくい部分が多々あると思いますが、「しんしん段々note書くの上手くなってるじゃん!」って言われるように一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします🙇‍♂️


さて、noteを書く上では絶対に忘れてはならない自己紹介をしていきたいと思います。(note公式が言ってた)

目次 : 新井 伸の過去
①小学校時代 
      
~やんちゃ坊主と恩師の出会い~
 ②中学•高校時代 
      
~ハンドボールで運良く日本一に~
 ③大学時代(1回生)
      
~逆境に快感を覚える日々~

①小学校時代

幼き新井 伸               友達M君

僕はやんちゃだった。親からは勉強より遊べと言われていたので、小学2年生の頃はオール△
(親向けに体育などは〇にしてくれたが、、)

どれだけ僕が遊んでいたかと言うと、
今日は3月11日ということもあって、あの大災害を思い出す。1万人以上の人が亡くなっているあの時、僕は友達の家に遊びに行った。お母さんには号泣して止められたけど、「友達と遊ぶ約束をしたから!」と謎の約束を守る正義感があったので、家を飛び出した。(友達には今日は流石に遊べないと断られたのだが。。)

そのくらい遊びに没頭していたし、習い事も毎日していた。/陸上・サッカー・そろばん・習字・空手・水泳../(加えて部活はバスケ部だった🏀)

そんな中、5年生で恩師に出会った。
彼は分数さえ知らなかった僕を見捨てず、放課後も残って勉強を教えてくれた。僕を勉強に没頭させてくれた。授業はスクリーンを使った当時では近代的なやり方で、社会の授業ではサトウキビを持ってきたり、鰹節を削らしてくれたり(これは後に大事件になるのだが..w)
まあ最高に楽しかった。佐橋慶彦先生に今でも感謝している、楽しい1年をありがとう😊

そんなわけで通知表はオール△からオール◎に変わり、新井 伸の中学時代が始まった。

②中学・高校時代

2017年度 第26回JOCジュニアオリンピックカップ 優勝🥇

中学に入ると、恩師の大学からの友人、ハンドボール部の顧問に強い勧誘を受け、ハンドボールを始める🤾‍♂️
今までボールを投げる競技をやってこなかった僕は、苦痛の3年間だったが、何とか努力を重ねJOCで優勝する結果まで辿り着いてしまった。(始めた頃は握力18しか無かった。ハンドボールにおいて握力がないのは致命傷😇)

JOCとは、各県で16人の代表を選出し、日本一を目指して戦う全国大会である。僕はその大会の代表メンバーに運良く選出して頂いた。

JOCに選ばれた選手は化け物ばかりで、自分のような個性の無い選手が主力で出ることは難しかった。(一応中学校では司令塔的ポジションで、活躍していたのだが、、)

ここで1つ後悔がある。それはこの環境の中で、死ぬ気で自分のbestを出そうとしなかったことだ。僕はセンター(司令塔)のポジションで選出されたから、このポジションで高校も続ける!そう言い張ってレギュラー争いから逃げた。もしあの時、センターではなくて左サイドのレギュラー争いを諦めなかったら。。僕は日本代表になるために今もハンドボールを続けているだろう。結果的に日本一になってとても嬉しかったのは事実だが、僕はベンチで応援してるだけ。自分で勝ち取った1番じゃない。

そうして高校受験に失敗し、強豪校ではない高校へ進んだ。本当は1年でハンドボールを辞めて勉強をしたかったが、熱い思いを持った仲間に恵まれ、キャプテンとして残り2年を頑張る決意をした。お世辞でも強いとは言えない高校だったが、市で準優勝するまでに成長した。一緒に頑張ってくれた仲間、自分のわがままをたくさん聞いてくれた監督、いつも支えてくれた保護者の方々には本当に感謝している。そして、最後のインハイ予選を迎えるその時だった。。

😱😱コロナウイルスの蔓延🤯🤯
Oh my gosh...
すべての積み重ねが壊された。自分の思い描く理想の道に大きな壁が立ちはだかるように、ドッスンのように壁が下へ落ちてきた。。

でも僕は意外と冷静だった。辞めるタイミングが少し早く来ただけで、これで勉強に集中できる!意外にもポジティブな考えだった。毎日8時間勉強した、ありったけのパワーを勉強に注いでいた。僕は筑波大学へ行く!ハンドボール日本一の筑波へ行って、最高の体育教師になるんだ!!

いや待てよ。俺ってハンドボールまだ続けるの?大学行っても社会人になっても、死ぬまでハンドボールやるの?

そもそもハンドボール好きなのか?
その答えはすぐ出ているはずなのに、信じたくなかった。何回も何回も考え直した、でも答えはNoだった。もうハンドボールに対しての熱は消えていた。それをコロナが気づかせてくれた。青春を1年潰されたが、ウイルスであっても良い面はあるのかもしれないと思った。

そんなこんなで、兄の影響もあり海外への興味があった僕は、大分県のAPUへ進学することを決めた。正直やりたいことがあってこの大学を選んだ訳じゃない、ハンドボールしか考えてこなかった僕はこの大学を卒業してどうなるかなんて想像もできなかった。今までの進む方向とは大きく外れた世界へと歩むことになった。

大学時代(1回生)

別府の温泉で気持ちよくなる新井 伸

僕の通う大学、立命館アジア太平洋大学はAPUと呼ばれている。(Asia Pasific Universityの略)したがってこのnoteでもAPUと呼ばせて頂きたい。この大学は留学生2人に1人いる、すなわち学生の半分は留学生である大学だ。
留学生はもちろん、入学してくる日本人も小さい頃から英語を習っていた、もしくは留学していた、そんな国際的な人ばかりだ。

僕、新井 伸はどうかと言うと。運動が得意で、海外に行ったことはないです!英検なら受けたことあります😇 そんな感じで大学生活が始まった。

入学前から英語の特訓講座があったので申し込み、初めてall_Englishの授業を受けたのだが、全く何言ってるのか分からない。加えて使い慣れてないパソコンが言うことを聞かない。

この時、新井 伸は確信した。
俺は全く踏み入れてない逆境に来てしまった

運良く友達もできて、かっこいい先輩方にも恵まれて、人間関係に困ることは無かった。でも一言ひとこと言葉を交わすだけで、僕の今までの積み重ねは、この環境で全く意味をなさないと理解した。だから僕はキャンパスでバスケをするのが好きだ、APUの中で居場所があるとすれば、自分が存在していいよと言ってくれる場所はバスケコートで体を使うことしかないんだ。

そんなことは言ってられない、得意なことは運動です!から早く脱却せねば。
そのためこの半年間は必死に英語を勉強して、何とかこの環境に適応しようと苦しんだ。
苦しんで苦しんで、まだハンドボールやっておいた方が良かったのかなとか思ったことあったけど、何とか力を振り絞って頑張った。

そしたら、
逆境が気持ちよく感じるようになった。

よくいるでしょ、山登る最中は苦しくてしんどいんだけど、登った後の景色が綺麗すぎてまた山登りに行っちゃうおじいちゃんおばあちゃん。僕もあの人間と同じタイプに属するようになった。

それから何か逆境を感じた時、達成出来そうでできないあのもどかしい時、気持ちいいって言うようになっちゃった。

そんな気持ちい大学1年間が終わる春休み、僕はケニアへ旅立つことを決めた🇰🇪

終わり

以上が新井 伸の自己紹介でした。
伸(Shin)という名前に恥じないように伸び伸びと生きていこうと思いますので、応援よろしくお願いします。
そして初めましての方へ、リアルタイムで新井 伸の成長を楽しんで頂くためにnoteやInstagram, twitterのフォローよろしくお願いします。

またね〜👋

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?