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第5章 ~スラムの生活~

ハバリ?ムズリ〜
どうも新井 伸です!ジャンボよりハバリの方が挨拶としてよく使われることに気づいたんですけれども、

今回のアフリカ物語は..
アフリカ最大のスラム「キベラスラム」に行ってきました。そこで新井 伸が目にした世界とは、スラムに住む人は何を思って生活しているのか。

この章では、
かなり衝撃的な内容が記載されていますので、あらかじめご了承ください。

それではケニアへLet's go〜🇰🇪!

(まだ第4章をご覧になってない方は下の記事をタップ↓↓)

第5章 ~スラムの生活~
 ①まずはスラムを探検だ!
 ②マゴソスクールとは
 ③スラムに住む人たちの心境
 ④疑問、未来へ届け
出典 : 新井 伸

①まずはスラムを探検だ!

次の選挙に出馬するオギラ先生


3/22(火)、日本帰国まで残り3日、
新井 伸はスラムにいた。

ケニアには、首都ナイロビの中に東アフリカ最大とも言われている。

キベラスラムがある。

実は、、
第3章 ~文化と伝統~
で登場した早川千晶さんが建てた、キベラスラムにあるマゴソスクールへ行かせてもらうことになったのだ。

(まだ第3章を読んでない人は下の記事から!)

キベラスラムの街並み

キベラスラムに入る。
まず思ったのが、人多すぎ!家も密集しすぎ!

道路という道路はなく、
家と家の間がという感じだ。

臭いは動物園の臭いでも、魚の生臭さでもない。色んなにおいが入り混じって、何とも伝えづらい複雑な臭いだった。

日本では2度と嗅ぐことができない、スラム特有のにおいだ。

水の色は僕の見た中で最低レベル、黒色。
今まで1ヶ月ケニアの色んなところへ行ったが、キベラスラムの水が最低レベル。

飲めるわけがない、けどその水を使って洗濯や掃除をしている現実。
すでに気が狂いそうになる、そんな世界だ。

水の綺麗さレベル
 Level 1     透明
 Level 2     濁った透明な水
 Level 3     茶・赤褐色の水
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 Level 50   緑色の水(ケニアの川の水)
 Level 100 黒色(墨汁の色)
出典 : 新井伸
政府の方針により、強制撤去されている

何もかもが別世界、だがこのキベラの世界でも同じだったのは、

「サッカーとM_pesa」

ケニア中がこの2色に染まっていた。
ほんとケニアのどこに行ってもこの2つはある。

それから、
スラムに一つしかないボロボロの病院🏥
今は使われていない電車のレール🚆
中古の靴と服のお店👟👕
大量に売られている最古の携帯📞
お金を払わないと使えないトイレ、風呂🚽🛀

どこのスラムにもあるのか?
箇条書きしてもわかるほど衝撃な世界がキベラスラムには広がっていた。


M_pesaの豆知識😽

M_pesaとは、今アフリカで大ブームモバイル電子決済である。
実はこの機能、作ったのはケニアの大学生!

だからケニアはほぼ100%(キベラスラムでも)電子決済なのか。。

以上、サクッとケニア豆知識でした。



こんな混沌とした世界をマゴソスクールを建てた早川千晶さん、教頭先生のオギラさん、目つきの鋭いボディーガード2人と隅々まで探検をした。

そんな壮大な体験をさせてくれた早川千晶、マゴソスクールについて詳しく説明しよう。

②マゴソスクールとは

昼ご飯の時間だ!

探検した後、キベラスラムの中にある小中学校、マゴソスクールへ到着した。

第3章で出会った友達に再会し、握手を交した🤝(みんな相変わらず元気だった!)

楽しい踊りと歌で大歓迎してもらったあと、子供たちの自己紹介、夢を語ってもらった。

相変わらず彼らの目はキラキラ輝いてるし、何より楽しそうに踊るし歌う🎤

そんな彼らは、、
スラム出身で、厳しい環境で生きている。

親がいない子供、親はいるけど暴力・レイプをされる子供、貧乏すぎて学校に通わず働く子供。

目を背けたくなるくらい過酷な環境で暮らす子供たちをこのマゴソスクールが受け入れている。

スラムの中に輝く青色の門

そんな彼らは高校入学、大学入学を目指してこのマゴソスクールの門を毎日通るわけだが。

なぜ子供たちは親の許可を得て学校へ向かうことが出来るのだろう?と疑問が湧く。

知識を得ることは将来に繋がる、頭で理解していても死にそうだったら働くしかない現実。

そんな環境で学校へ行くことを親は許してくれるだろうか。

マゴソスクールはお昼ご飯はもちろん、学校のない土日にも炊き出しを行なっている。

他にも色んな面でマゴソスクールは子供たちの援助をしているため、親御さんに理解してもらえ、子供たちも学校に通えている。


ここで残酷で現実的な話をする。
みんながみんな理解を示してマゴソスクールに通えるはずはない。

子供にレイプをしている親、子供を殺そうとしている親、暴力を振るう親。
または親のいない、働かざる負えない子供。

そんな家庭環境が劣悪で命の危ない子供、
ある意味エリート中のエリート。

その子たちは親御さんにこう伝える。
「この子は優秀だから留学、遠征をするのよ」

このような理由をつけて、
キベラスラムから約8時間かかるミリティーニ村のジュンバラ・ワ・トトへ中学卒業するまで保護するようにしている。

すなわち、僕が第3章で出会った友達は
キベラスラムのエリートたちであった。
(この村に行った時は慰霊祭だったので、マゴソスクールのOB・OGも居たが。)

そんな世界が、ケニアに、アフリカにあった。

子供たちの前で夢を語る新井 伸

さて、このマゴソスクールは一体誰が建てたのか!?

それは、
キベラスラム出身、みんなの大好きリリアン🤱
ケニア在住34年、ケニア人の子供を持つ早川千晶さん🧜‍♀️

この2人によって建てられたのだ。

最初は小さな家で授業をすることから初め、今ではこんなに大きな学校へと発展した。

彼女らの努力は、他にも比べならない。
自然と涙が出てくる、言葉なんていらない。

マゴソスクールについて、早川千晶さんについて詳しく知りたい方は下記のリンクから調べてみて。


そんなたくさんの思いで溢れた学校を後に、
僕の友達の住んでいる家へと足を運んだ。

③スラムに住む人たちの心境

ママSharon

まず向かったのは、
10人の子供と3人の孤児を持つ
ママSharonのお家に向かった。

水はどのくらい使ってる?
A. 20Lの水、毎日4個

平均収入は?
A. 2500 sil(2500円)

内訳は?
A. 300sil(電気代) 20sil(道路警備代, 夜に見張りをつけるためのお金)..

日本人からの質問は止まらなかった。

読者の皆さんにも、
スラムでの現状を分かりやすくするため、
ママSharonの1日ルーティーンを教えよう。

~ママSharon 1日のルーティーン~
起床 :  水汲みに行く🪣
6:00 : 市場行く(片道徒歩2時間)
家帰ってきて孫の世話して
10:00から
21:00まで : 転売(昼ご飯食べない)
夜ご飯作って
23:00 : 寝る
キベラスラムの日時

朝早いし夜遅い。
買い物行くのに2時間かかるし昼ごはん食べないし。

子供の世話をあるし、余暇はない。

何を目的に生きてるの。いつ幸せなの?

「こうやってみんなと話すときだよ^_^」

度肝を抜かれた。
自分がこの人と同じ環境に居たらどうだろう。
何を感じ、どう思うだろう。

でも思った、みんな助け合って生きてるんだって。当たり前だけど重い現実に立ち向かうママSharonを見て改めて理解した。

なぜ孤児を引き取るのか?今でもきついのに!

「人が悲しかったら自分も悲しいでしょ、そんな気持ちに子供はさせたくないからさ」

彼女の子供は当日中学3年生、
医者になりたいと志す娘はジュンバラ・ワ・トトで猛勉強し、高校受験を受けようとしている。

そんな娘のためにも頑張る母が、スラムにも居た。

左 : ジョンソン 右 : 新井 伸

次のお宅はジョンソン。
第3章で出会った友達の1人だ。

彼は現在大学生。
マゴソスクールの中でもトップの成績で卒業した優秀な生徒である。

そんな彼は
父がドラックを吸う毎日。
見かけた叔父がジョンソンを引き取り、今は叔父と弟と暮らしている。

そんな叔父が最近調子が悪く、遠くの病院へ通っている。そのため、お金のないジョンソンは叔父に会うことが困難になっている。

そこで一緒にツアーに参加していた日本人は財布を開け、お金をジョンソンに差し出す。

ジョンソンはそのお金を手に取り、「Thank you」と一言述べた。


僕は今でもなぜなのか答えが分からない。
あの時、あの瞬間。

友達が困っていて、他の日本人はお金を差し出しているあの瞬間。。

なぜか僕は財布を開けなかった。
未だになぜお金を渡せなかったのかが分からないまま時が過ぎる。

困った人を助けたい、今まさに困っている、しかも友達が。なのにお金を渡せなかった。

自分はまだお金を稼いだことがないから?
友達にお金をあげるのは上から目線だから?

色んな疑問が溢れる脳みそ、そして助けられなかった現実。

ただただ、そんな自分に嫌気が刺した。

④疑問、未来へ届け

CHOOはトイレ、BAFUはシャワー。


この1ヶ月ケニアの色んなところへ行った。
村にも行ったし、学校もたくさん行ったし、
有名な観光地も、Morrisの地元も、
本物のサファリも。

でもこのキベラスラムはえぐい。
1ヶ月何もかも記憶が飛ぶぐらい衝撃が全身に走った。

ましてや最初の1週間で出来た友達の住む場所
だからかもしれないが、無気力になる日が今でも続く。

それでも前に進み続ける

そう思わせるのはケニアで、スラムで今も頑張る友達たちが居るから。

いつの日か、この旅で生まれた疑問が。
苛立ちが、もやもやが!

解消される日が来ることを信じて、
今日も大切に全力で生きよう。

そう心に決めた2日間であった。

ps. 今回の2日間のスタディツアーを開いて下さった早川千晶さん、そしてスラム街を案内してくれたみんな、素晴らしい経験をありがとう。Asante Sana.

次回 新井 伸のアフリカ物語
最終章 ~感動をありがとう~
ケニアに別れを告げるお話

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