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last train home
昨夜、私の祖母が亡くなった。
齢98の大往生である。
祖母は家にいた時から、次第に私たちのことを誰だか判らなくなっていて、それでも曾孫である私の子どもたちを連れて行くと「あら、可愛いボクちゃんたち、いらっしゃい!」と笑顔で迎えてくれた。
グループホームに入居し数年、コロナ禍になり最後に会うことができたのは確か一昨年で。
施設の入口に車椅子で連れて来られた祖母の瞳は霞みがかっていて、空(くう)
私だって宮本浩次でありたいのだ。
元旦の朝に、録画していた紅白を観ていた。
例年『笑ってはいけない』と格闘技の番組を録画して、紅白はリアルタイムで観て、大晦日感を大いに満喫するところが、長男がダウンタウンを観たいと言い出したので『笑ってはいけない』を視聴しつつ、紅白は録画でおあずけ。
大晦日に、過敏すぎる妹とツッパリな母の抗争に巻き込まれ、心がささくれだっていた私。
母は年中妹の顔色を窺い、その帳尻合わせは、いつだって空気読み
わが子への
心ばかりの なぐさめに
優しく煌る 窓越しの月
#短歌 #早く元気になります様に
1ヶ月ほど過ぎてしまったけれど、母の日の話を。
2017年の母の日は、5月14日。
朝、居並ぶこたちを眺めて、当たり前過ぎることなのだが、新鮮に心に飛び込んできたものがあった。
このこたちが無事産まれて元気でいてくれるから、私は母でいられるのだ。私ひとりでは勿論、夫がいてくれるだけでは母にはなれない。
『こどもがいるから母』そのこと自体は至極当然だが、『こどもがお腹にやってきて、無事産まれて、元気でいてくれる』ということは、当然ではないのだ
夫実家の家族旅行で訪れた館山のホテルが、こどもの頃毎夏宿泊していたホテルで吃驚!
名前が変わっていて、最初は判らなかったけれど
部屋の灰皿で判明。
30年以上経って、自分のこどもと訪れたという不思議な感じ。