オヤジを最後に看取った医師と面会

去年からオヤジを最後に看取った医師から会社を通して連絡が来てたのは知ってたが、時間が取れずにいた。やっと昨夜に面会。

昨日は夕方から仙台で、20時前に乗る予定だった新幹線に乗れず、待ち合わせに30分の遅刻。
山本さんと石垣さんが仙台西口デッキで演説してた。誘導してるスタッフがいるのだけど、演説を聞きに来た人を優先なんだよね。それで遠回りさせられて間に合わなかった。こういうのは悪い評判となるから気をつけないといけないんだけどね。まぁ、俺の選挙でないから、どーでもいいけどね。

話を戻して(笑)

顔のあちこちにすり傷があるから、ケンカしたの?って(笑)この歳で殴り合いのケンカはしないでしょって言ったら笑ってたけど(笑)

予備役だから訓練があってね。去年から訓練回数が増えていて、日々高度になるのでケガは付き物だよねと言ったら、オヤジからアフガンの映像をいくつも見せてもらってたと。
しかも俺のメットカムの映像を。その中で俺が応急処置や気管切開している映像が数回あった。俺が衛生兵だと思ったらしい。

オヤジも見せるならしっかり説明したれや。同じ海兵隊出身やろがー。今は衛生兵が少しずつ出てきたが、あの当時の海兵隊に衛生兵はいない。
海兵隊は海軍の中の組織だから海兵隊第4MEBの訓練の中で海軍衛生科に行かされ、戦地で必要な一通りの医療技術は学ぶ。その中に気管切開があるだけのこと。気管切開は10回程度しか経験はない。

10回であの手際の良さに感心したと言われたから誉めても何も出てこないよ。
どの映像をオヤジが手に入れて見たのかもわからない。と言うと、事細かに映像を覚えててびっくり。なぜ俺の隊に志願した。リーコンにいればこんな事にならなかったと言ってたと。それはSARCが首を撃たれた時だ。

もう1人は、もう手の施しようが無くて応急処置も殆ど出来ない状況。ごめん。モルヒネを打つが他は何も出来ない。対応できるキットがない。彼は数分後に亡くなった。
援護射撃を頼み、もう1人が負傷した現場へ行くと衛生兵であるSARCが首と胸から出血して倒れてた。彼の軍服を切り裂き傷を確認して、首の傷口からの出血を別の兵士に抑えさせて、背中の射出創にチェストシートを貼り、モルヒネを打ち呼吸が辛そうになって顔色が変わっていく中、あなたは〇〇聞こえるか?状況を正直に言う。気管切開しないと持たないから切るよ。モルヒネがあと2本ある打つか?と確認を取ると、彼は手でモルヒネをいらないと合図した。
あなたはそこにいたもう1人の兵士に聴診器を当てて、これが普通の人の肺の音。これが今の〇〇の肺の音。これをよく覚えておけ。3分おきに肺の音、脈拍を確認してメモしとけ。ここから発砲は絶対にするなと言って、〇〇切るから少し痛むぞ。と気管切開を始めた。

この流れの中でもあなたはあちこち走り回り、攻撃にも参加し、部下に指示を出し、救護ヘリの要請をしぶる本部とのガチンコのやり取りをしてる。指揮権は俺にある。基地に戻ったらお前覚えとけよって言ったら、直ぐにヘリを向かわせるから攻撃は終わらせろって言われて、あなたはやつらにタイムって言えばいいか?
お前が伝えろとキレてたと。民主主義なスポーツゲームやってんじゃねーだよ。武装ヘリを護衛に付けろ。ふざけんなと言って無線機を通信兵に渡し、ヘリが着陸できそうなポイントの座標だけ答えて、基地からのはシカトして構わん。責任は俺が取る。机に座って無線を受けてるのも軍人。ここで死にそうになってるのも軍人。これが現実。机に座って無線を受けてる奴が俺は戦地で仕事してたと誇らしげに語る。これも現実。くだらねーって言ってたと。

戦地の最前線でいた連中は、戻って来ても友達や知人に話さない。話したくない。記憶として、蘇る時に今の感情の記録して書き残すくらい。軍服を着てないゲリラと戦うのは、そのくらいしんどい。

で、この医者は毎年、オヤジの墓参りをしているらしい。俺、1回しか行ったことないけど(笑)この医者はアメリカに渡り、医者をするらしく、分骨したアメリカのお墓の場所を知りたいと。
確認しとくって言ったら、あなたらしいと言われた。オヤジの葬式にも作戦中で参列してないから、俺の中では死んでないのかもって言ったら、少し涙ぐんであなたのお父さんからは沢山の事を学んだと。
何を学んだんやろなー(笑)まぁ、俺の分の墓参りも頼みますって言ったら笑ってたけど(笑)

最後に戦争あるの?って聞かれたから政権が共和党ならやらないと思う。軍としてはそれに備えておく必要があるからね。俺からはこれしか言えない。言ってはいけないことが多くてね。

あの映像を何度も見せてもらっていたので、あの乾いた銃声の音、マイクに弾がかすめる音を今でも思い出します。これをあなたは現場で経験してる。当時の看護師も真剣に観ていましたと。

だからか。病院に行けた時、看護師から死なないでくださいねって言われたわけか。やっとわかった(笑)

そういえば、この医者と会ってたBarで流れてた場違いなノーランズの曲が流れて来た。オヤジの墓参りに行けってことなんかなー。
大学生の時に日本のプリンセスプリンセスのカバーをしたCDがサインと手紙付きで送られてきて、お父さんから事情は聞いた。ニューヨークに行った時は会おうって書いてあった。
で、会った時、ROTCで大学に進学したから軍人になると言ったら泣かれたけど。小さい時はノーランズのみんなの後ろに付いて回ってて可愛かったのにと。どうやってサーフィンするの?って聞くと、手を広げてポーズをしてくれてたと言われたけど。小さ過ぎて覚えてないわな(笑)
みんなでレストランで食事してる時に脱走して、見渡すと他のテーブルの知らないお姉ちゃんの上に座ってオレンジジュースを飲んでたとか、脱走するから手を繋いでると、手を離してと懇願してて、手がくっついたから取れなくなったと言われたら、助けてーって叫んでたとか(笑)

どんだけ小さい俺で止まってるんや(笑)
まぁ、ロンドンに住んでたのは2〜3歳頃だからねー。トミーが亡くなった時は軍人だったから花だけを贈った。この時も手紙をもらい、トミーは最後まで俺を心配してた。実の息子のように思ってたと書いてあったな。

トミーにもノーランズのメンバーにも小さい頃は遊んでもらってたから、その印象が強いんだろうな。いたずらっ子だったと。俺がオムツして、脱走して捕まって抱っこされて怒ってる写真まで見せられたこともある(笑)俺が追い出された事を知って心配していたと。多分、みんなの中では俺は2〜3歳で止まってるで(笑)

オヤジが死んだ時も家に手紙が届いてた。
軍務で葬儀にも参列できない。あなたがやりたいのは軍人なの?お父さんはあなたの成長を願って追い出したのよってね。
バーニーが亡くなった時は参列したが、それからは音信不通と言うか、毎年カードは届くが、俺から連絡する事はない。
オヤジの葬儀に参列した後の手紙には、アフガンの後方基地でメディアの取材に答えてた上官の前を通ったら呼び止められ、会話してるのが中継だったからそのまま流れているニュースを見て泣いてしまった。疲れ切った表情がとても気になる。苦しいのだろう。軍人になったとは聞いてたがショックと書いてあった。
それが流れた時、頭から血が流れてるが治療をしたのか?って上官に聞かれて、かすり傷だからいい。MATVをもらっていく。兵士とMATVの補充をしてくれと何度も言ってんだろうが。あの人数で渓谷を死守しろ?お前がやってみろってキレてたって(笑)軍服も血だらけだったと。いつものことや(笑)戦地の最前線やもん(笑)多い時は月に2〜3台のMATVがIEDの餌食になる。そりゃ儲かるよね。軍需産業ではなく、軍事装備品や消耗品のレーションや軍服を納入してる企業はさ。

アメリカと欧州、日本等でやったオヤジの葬儀の殆どに参加してくれたことは感謝してる。欧州の葬儀では、みんながオヤジからプレゼントされた着物を来て参列した写真も見せて貰った。
きちんと参列のお礼状は送った。他の出席者全員にもね。息子でありながら葬儀に参列できずに申し訳ないと。文句はブッシュ大統領ではなく、この種を蒔いてたクリントン大統領に言ってくださいと書いてね(笑)

別に俺の考えを理解してくれとも思わないし、やりたい事だけをやれる環境作りをずっとやってきただけ。その結果が今なだけ。自分で選択したのだから、その責任は全て自分が負う。当然のこと。

親の所得で奨学金が得られない中、大学へ進学するには、学生ローンかROTCかの2択だっただけ。学生ローンが嫌だったから、ROTCを選択した。ROTCに合格したしね。
戦争を知ってる奴は戦争が嫌いさ。
学生ローンで大学に進学しても、それを返済できる自信もなかったしね。4年後の経済状況なんてわからんわけで、その中で学生ローンで大学に進学する意味が見いだせなかった。リスクが高いと判断した。
でも大学で学びたいからROTCを選択しただけ。戦争が起こらないと願ってね。

まぁ、第4MEBに入ってからは訓練と作戦の連続だったけどさ(笑)
でも、軍の大学で学ぶ機会もあり、そこでは一般の大学では学ぶ事が出来ない事を学べた事は大きかった。
多分、オヤジもこれを理解していて、同じようなコースを辿らせたんだろうなってのは感じる。分野は全く違うけどね。

昨日は色々な事を思い出したなー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?